友達はいるが、面接には落ちる
就活ってよく恋人選びって例えられる
でも本当にそう???
恋人を選ぶ条件みたいに会社が選べるほど、対等な関係なの??
ありのままの自分を出せなくて、言っていいラインと踏み間違えてしまった後戻りの出来なさのハードルが高い気がして、恋人選びでも何でもないじゃん…と思っている
『見繕って相手に合わせに行く場』のような気がして、少しも好きになれない
(いや正直に対等に接すればいいじゃん)
きっと本当はそうすればいいのだと思います
……でもどうしてかそれができないのです
これまでの人生、直感で突っ走りすぎたのか、「いや、何となくです!」なんて言っちゃいけないことも言っちゃう気がして
ただ学ぶことはあって、普通人と話していて「あなたの話って抽象的だね」なんて言われることはないし、そんなことを注意してくれる人もいない
だからその言葉と時間を与えてくれることに優しさを感じてしまう、叱ってくれる人なんてわたしのことを想ってくれる人以外いないのだから
面接不合格の理由を一社会人の意見として有り難く受け止めながらも、やはり腑に落ちなさは残る
どれだけ距離が離れても会いたいと思ってくれる友達はいる。「面接落ちても俺がいるからいいじゃん」なんて、涙が出そうなことを言ってくれる人もいる。それらの人に巡り会える確率と、一会社に受け入れられる確率ってどのくらいなんだろう。
私はこれまで何人の人と会って、そのうち今でも友達や親友でいられる人が何人いるのか…
これさえ分かれば、友達でさえ作るのがあんなに難しいのに、全てをさらけ出せない環境なんだししゃあねえなって思えるのかもしれない
屁理屈を言いたくなった土曜の夜でした
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