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新幹線で占い師に予言された話

#私だけかもしれないレア体験

この話は、私が人生の中でも割りと暗闇に両足突っ込んでいる最中の出来事であり、1年の間に1番涙を流したかもしれない時期のことである。

結婚して数ヶ月のち、夫が発病した。

それはあまりにも突然で、私は週末の金曜に「また来週ー」と笑顔で会社のみんなと別れたのだが、それがまさか最後の出勤となってしまうとは思ってもみなかった。

1番辛かった20代ラストイヤー

彼の実家で夫婦ともにしばらくお世話になることになったのだが、私は楽観的にすぐに東京へ帰られると思っていた。そのため荷物も、2泊程度のものしか用意していなかった。
彼は辛くて、苦しくて、今後どうする?など先の話なんてとてもできる状態ではなかった。

1週間、2週間と日はどんどん過ぎていったが、夫の体調は一向に良くならなかった。
そこではじめて、私は現実に目を向けざるを得なくなった。
東京から荷物をもっと送らなきゃ。
夫の長期休暇の申請。
私の退職。
そっか。東京には、しばらく帰れないんだ。

20代最後の年が、こんな風になるとは思ってもいなかった。

1ヶ月後、私1人で慌ただしく東京に戻り、退職手続きや荷物の配送などを済ませた。
あまりにもあっけなく会社を辞めることになった私に、10年近く遠距離だった夫との馴初めを知っていた先輩は
「遠距離だったからさ、神様がずっと一緒にいる時間をくれたんだよ」と言った。その言葉のおかげで、曲がりなりにも多少は前を向くことができたのだと思う。

それからは、何ヵ月もお義母さんと夫を介護する日々を送っていた。

隣に座ったド派手なオバチャン

東京で、友人の結婚式があるという。相変わらず夫の病は回復の兆しさえ見えていなかったが、私は結婚式へ参列させてもらうことにした。
その頃の私達夫婦は暗闇のど真ん中にいて、よく2人で泣いていた。すぐには良くならない病だったし、今後どうすればいいのか見当もつかなかった。病は気からというけれど、病に勝てなければ気なんて持ち上げようがなかった。夫の実家に身を寄せている状況も、とても辛かった。

ボロボロの精神状態だったが、新幹線で東京へ帰ることはとてもリフレッシュできた。数ヶ月前まで東京のOLだったなんて、嘘みたい。
ジャージのような格好で夫の実家で日々を過ごし、苦しむ夫を介護し、小さな空間でただ身を埋めている毎日だったから、過去の自分は幻だったんじゃないかと思うほどにそのときの私は別の世界に身を置いていた。

東京行きの新幹線の車窓から、ボーッと外を眺めていた。夫から少し離れたことは心と体に良かったかもしれない。身内であればある程、介護者はしっかりリフレッシュするべきだと痛感した。
ある駅で、指定席の私の隣に人が乗ってきた。ギラギラとした、ド派手なオバチャン。その派手さは服装だったのか、顔だったのかは覚えていないのだけれど私がまとう淀んだ空気はそのオバチャンの明るさで一瞬に消し飛ばされた。
荷物を上に乗せようとしていたので、「やりましょうか」と声をかけながら手を伸ばした。するとオバチャンはぐるんと首を勢いよく私の方へ向き一言「あなた、いい人じゃない」と言ってきた。
はぁ、みたいな感じで荷物を手伝い、席に座った。そこから、オバチャンのオンザステージが始まったのだった。

荷物を手伝ってしまったことで、オバチャンの興味を一気に引いてしまった私。オバチャンはさらっと「占い師なのよ」と自己紹介をしてきた。ほほう。占いに興味はあったが、今まで関わることがなかった。周りの友人も「この間行ってきた~」とよく聞くほどに割と身近なものだったのだが、自ら「占い、行こう!」と言うほどの気持ちは沸き起こったことがなかった。もしもゴリゴリに誘ってくれる子がいたら、否定はせずに行っていただろうという完全受け身体制になるジャンルだった。
そしてまた、信じるタイプかと聞かれれば神社のおみくじのようなもので後にそれに当てはまるような出来事が起これば「そういえばおみくじに…!」と思い出す程度で、人生の指針にしたりは全然しない、占いは私の中でそんなポジションだった。
人は見た目で判断するべきでは無いのだけど、オバチャンのぐいぐい来る派手さに面食らってしまって、この時は完全に彼女の能力を軽視していた気がする。そしてあの時の私は、酷く大人しく、暗かった。彼女のおしゃべりに、私は何も否定しなかった。新幹線内では多分、なんでも言われるままだった。周りから見たら「いい食いものだな」的に思われていたかもしれないが、治安の宜しくない東京下町出身の女子は生まれつき警戒心が強い。肝心なことは何1つ、私の個人情報を彼女に提供しなかった。

「手ェ出してみて」

そう言われたので、手を差し出した。「ふ~ん、へぇっ」
「介護をしたことがあるの?」どきりとした。そう、私は20代前半に少し、親の介護に携わっていた。「はぁ」うやむやな返事をしたらオバチャンは言葉を続けた。「介護線があるね。人の世話的なことを今もやってるの?」私の脳裏に夫の顔が浮かんだ。てゆうか手の平見せただけでそんなのわかるんかい。見透かされてそうで怖いな。
「いえ、まぁ」なんか本当の話、したくないなぁ。どっちとも取れない返事をしたが、オバチャンは私の返答なんて全然気にもしていない様子だった。
新幹線で、ただ隣に座っていただけで客でもなんでも無いのだから占いが当たっていようが外れていようが関係ない。オバチャンはそのあと、身の上話をちょっとだけしてくれた。
地元ではまぁまぁ名の知れた占い師であること、最近息子が結婚するとかしないとか。家を買ったとかどうとか。
その内容は、正直あんまり覚えていないのだけどそういった雑談を挟みつつ、私を占ってくれていたのが面白かった。
結婚していることだけは伝えたが、それ以上彼女にはこちらのことは言わなかった。
するとオバチャンは「こどもできるよ、大丈夫。」と、唐突に言ってきた。夫が病に伏している最中、こどものことは遠い遠いはるか未来の話で、そのときの私としては考えられないことだったが「男の子2人できる」と彼女は言葉を続けた。その後私は数年ほど不妊に悩むことになるのだが、心の奥底に「オバチャン、こども授かるって言ってたしなぁ」とちょっとした安心材料となっていたのは確か。おかげさまで、その後は男の子を3人授かった。

大丈夫って伝えておいて

ズバズバ今になって真実と化したオバチャンの占い(というか既に予言)は、とても不思議な言葉で締めくくられた。
それは「あのね、旦那さんにあなたは大丈夫だから、絶対に大丈夫だからって言っておいて」と言われたことだ。
警戒バリアを貼っていた私は、夫が病気していて実家にいることも勿論言わなかった。介護の話を振られた時も、何も情報提供せずに黙っていた。
そう言われたときも私の返事は恐らく「はぁ」くらいだったのだが、心の中ではかなり驚いていた。

なんで、夫に「大丈夫」と言いたいのか。

夫はその頃、苦しみのどん底にいたからそれをそばで見ていた私としては1番ささる言葉だった。このオバチャン、何が見えているのだろうと気にもなったが、東京駅にそろそろ到着。オバチャンとはここでさよならをした。
しかし彼女、それだけでは終わらなかった。私だけにかかりきりに見えたオバチャンは、実は近くに座っていたギャルをずっとチラチラ気にしていたのだ。そして、東京駅に着く頃にオバチャンはギャルに話しかけていた。おヘソを出したファッションだったギャルに「お腹出して冷えるわよ」的な会話から始まって「え、何あんた妊娠してるの!?」とギャルに口を割らせ最終的には「〇〇線が分からない?」と、ギャルの困りごとまで数分ののちに言わせしめたオバチャン。すごいな、あなた。警戒していなければ、新幹線に乗り合わせていた時間内で私の人生の情報まるっと持っていかれて骨抜きにされていたかもしれないや。ふんふん横でギャルとオバチャンのトークを聞き流していた私に、突然白羽の矢が。
「そうだ、あなた〇〇線まで送ってあげなさいよ」
え…?無関係の私がですか?その会話に1mmも入っていなかったのに…ですか??まぁ聞き耳は立てていたけれども。(ていうか東京駅着いてからの私の予定とか考えましたか?)あと、今私人生真っ暗なんですけど。
いろいろな思いが駆け巡ったが地方住まいのヘソ出し妊婦であるギャルを、このまま無下に放置するわけにはいかない。
ていうかオバチャンが送ってあげては…?とも思ったが、既に新幹線内で私たちの間に上下関係ができてしまっていたので断るわけにはいかず。
オバチャンは、駅に着いたら颯爽と「ジャ・ネ~」といなくなり、私はというと何故か東京駅から、見知らぬギャルと一緒に歩くことになったのであった。

後日談

そんなおもしろ体験をした私だったが、この話を夫に当時はノリノリで語ることはできなかった。正直、それどころではなかった。
夫が体調の良い日に「そういえば」とテンション控えめで話をしたら、夫はとても驚いていた。

その後、1年をかけて夫は回復。病気を克服した。
長男を授かったあとも「オバチャンすごいな」と夫婦で話題にのぼり、続いて次男の妊娠時ではすっかりわが家でオバチャンの存在は確立されていた。

ほんと、彼女はあのとき一体何が見えていたのだろう。

オバチャン、わが家は家族が増えて今日も元気に過ごしております。

あのとき「大丈夫」と言ってくださり、どうもありがとう。

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