![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/10551578/rectangle_large_type_2_6941014c6ca67c0e18af8d0cf7fad246.jpeg?width=1200)
立ち止まる、わたしのセンサー
はじめまして。Miwakoです。大学生です。
わたしはもともと自分の想いや考えを字に起こしたり何か表現したりするタイプの人間ではありませんでした。日記も3日続けばまだ良い方(笑)
が!!! ここ最近自分の人生の中で(今のところ)一番デカい選択をして人生を本気で考えるにあたり「考えたこと感じたことを残すことをしなければ!」と思い立ちました。
残さなければ“わたし”は何も残らない。まずは日記を継続してつけることから。3年連用ダイアリーを買いました。
でもどうせなら、自分だけで消化してしまうよりは、自分という人間を記録するのと同時にわたしを知るあらゆる人に「こんな人間だ」と、より深く知ってもらえたら一石二鳥じゃないか!!との思考回路を経てnote に行きついた次第です(笑)。表現したくなったのです。
とりあえず未来の自分に向けた“足跡”のつもりで記録。初回は、先ほど書いた「人生の中で(今のところ)一番デカい選択」について書いていきます。
「ちょっと待てよ?」 立ち止まる決心
結論から言えば、その選択は「一年間の大学の休学」です。
思い立ったのはつい2か月前、1月の終わり頃。周りは就活やら公務員試験に向けた勉強やらでざわざわし始めるころでした。家族や知り合いからも「就職はどうするの?」と散々聞かれ…でもわたしはどうも何かが納得できない感覚があり、就職に向けての一歩が踏み出せませんでした。
悩みながら教師を目指してみよう、と思いながらも、どうにも何かが引っかかっている感じ…。なんだろう、この違和感…。
教職課程の授業やゼミで扱ったことの多くは、社会で起こる問題や課題。貧困、福祉、性(ジェンダー)、虐待、教育格差、差別、いじめ…など。書ききれません。大学ではそういったことを考え、それなりの知識も持てました。
…しかしここで「ちょっと待てよ?」が発動。
わたしはその多くを「自分で」見て、感じた経験がなく、心の底ではどこか他人事。社会の中で確実に存在していることなのに、私はそれを本当の意味で知らない。そのいろいろな背景を持つ他者と出会ってなければ対話もしてない。これでいいの?
ゆくゆくは教師になりたくて、子どもたちに「社会のことを考えましょう!」とかいう立場で、自分は何も知らないまま既存の価値観だけでそんなこと言いたくないなあ。と。
まずはもっと知ろう。本を読み漁って、いろいろな場所に行って、自分が今まで出会わなかった人たちに会いまくろう。対話しまくろう。自分が知らない考え方や価値観、世界をもっと知りたい!もっと考えたい!が止まらなくなりました。
…ここで再び「ちょっと待てよ?」が発動。
そんな時間なくないか?大学はあと1年しかない。教員採用試験は7月で今(当時)1月。あと半年しかない。試験勉強は今から缶詰になってやらなければ受からない。
でもそれでいいの?自分で自然と湧いてきたエネルギーを抑えて知りたいことを我慢して、試験を通る為の知識的な勉強をして大学を卒業するなんて絶対納得できない。今の状態で大学を卒業して、自分の中に何が残るんだ?
というか、大学を4年で卒業する意味、根拠って何だっけ?
学ぶって何だっけ??
「そうだ、休学しよう!」
ある日、日記を書きながらその時の勢いとテンションで思いつきました。しかし同時に決意になり、またそれまで抱いていた自分の将来に対する違和感が晴れた気がしました。自分以外の他者を知りたい。未知を知りたい。自分の中の価値観をぶっ壊してくれるような衝撃体験をしたい!これが今のわたしだ!!!
ということで休学をするにあたっては、家族やら身近な人やらとまあまあ色々とあり、なかなか労力と精神力が必要でしたが無事手続きを済ませました。今は活動資金をバイトで貯めつつ、毎日のように大学図書館に通って本を読んだり社会派映画を見まくったり…といった日々を送っています。 た、楽しい…!ゆくゆくはどこかをひとりでフィールドワークしよう、とも。
やりたいことって、時に勇気がいること
長くなりました。
わたしは今現在こんな人間です。初めて本当にやりたいことが明確に、強烈に湧いてきて、でもそれを選択するのはなかなか勇気と体力が必要でした。1年延ばすということは、やはりその1年に責任もあるわけで。
でもだからこそ後悔は無く、毎日答えの出ない面倒なことを考える時間も楽しくて、自分の核みたいなものが見えてきた気がします。
ふと、「ちょっと待てよ?」と立ち止まったこと。「これでいいの?」と自分の心の声に耳を澄ましたこと。これらがなければ恐らく今の「自分が本当にやりたいこと」に気づかないままでした。
自分の直感を感じ取るセンサーが今のところ健在でよかった。死ぬまでこのセンサーだけは死守して生きていきたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?