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受け入れがたい現実と向き合う『たけくらべ』(樋口一葉)

人生には、時として「まさか自分の身にこんなことが起きるのか」と思うような出来事が降りかかることがある。それは大切な人の死かもしれないし、恋人との別れかもしれない。それが現実で起きている出来事と理解はできても、自分の中で受け止め、苦しみを飲み込むことは難しい。そんな苦しみと向き合って生きていくのが人生だと考えさせられるのが、樋口一葉の『たけくらべ』だった。

『たけくらべ』とは?

作家、樋口一葉(1872年-1896年)の著で、1895年-1896年の1年間にわたり「文学界」という雑誌に連載された小説である。遊郭として有名な吉原に隣り合う町、大音寺前がこの物語の舞台。大黒屋という遊女屋に住む美登利(みどり)を始めとした、少年少女たちの生活や彼らをとりまく恋物語を描いている。

美登利が直面する信じたくない現実

『たけくらべ』は少年少女たちの淡くて切ない恋模様を描くとともに、子供から大人になる心の成長にフォーカスを当てた物語とも言える。作中、美登利(14歳)は姉御肌で快活な少女として描写されているが、ある時期を境にその明るさはぱったりと影を潜め、ふさぎがちな少女になってしまうのだ。

元々、美登利は遊女になる身として育てられてきた。ある日、美登利と同じ町で育った正太郎(しょうたろう・13歳)が島田髪を結った彼女を見かける。島田髪を結う、髪型を変えたということはつまり、美登利が遊女になる準備を始めたことを示していた。

その日から美登利は自分の身の上が受け入れられず、何もかもが恥ずかしく思えて臥せってしまうのだ。

この美登利の変化の理由は作中では語られていない。世間では様々な説が唱えられているが、遊女になる準備を始める中で、その仕事がいかなるものか知ってしまったのだろうと、私は推測して話を進めたい。

美登利にとって、遊女という仕事の中身は輝かしいばかりのものではなかったのだろう。自分自身がこれまで信じて疑わなかった未来が崩れてしまう瞬間に、彼女は直面してしまったのだ。

受け入れがたい現実と向き合うこと

変化の理由を美登利に問う正太郎に対し、美登利は作中でこう描写されている。

※上段:原文 下段:通釈文
(引用元:『一葉の「たけくらべ」』 ビギナーズ・クラシックス 近代文学編 (角川ソフィア文庫))

「憂き事さま〴〵、是れは何うでも話しのほかの包ましさなれば、誰れに打明けいふ筋ならず。物言はずして自づと頰の赤うなり、さして何とは言はれねども、次第〳〵に心細き思ひ、すべて昨日の美登利の身に覚えなかりし思ひをまうけて、物の恥かしさ言ふばかりなく」
「あれこれ嫌なことの多い中でも、こればかりは恥ずかしくて、とても話すことができないので、誰かに打ち明けて言うような性質のものではない。一言も答えないまま自然と頰が赤くなった。これといって理由を説明できないけれど、だんだんと不安がつのり、何もかも、昨日までの自分には経験したことのない感覚が押し寄せてきて、言いようのない羞恥に襲われた。」

思い描いていた未来とは違う現実に打ちひしがれる苦しみが、じわりと伝わってくる。でも、戻ることはできないのだ。

かくいう私自身が受け入れがたい現実を痛いほどに実感したのは、一生を添い遂げると疑わなかった主人との別居を始めたときだった。いや、正確に言えば別居を始めて少し経ち、状況を理解し始めた頃だった。

昨年予定していた結婚式の準備で、お互いが限界になるまで傷つけ合ってしまった私たち。人生を共にするのに彼以外の人はいないと考えていたし、平凡な毎日を過ごしてきた私が彼と別居する人生を歩むなんて微塵も考えなかった。夫婦不和や離婚など、テレビの芸能ニュースみたく、自分とは遠い世界の話だと思っていた。それが自分の身の上に起きるなんて。この事実を私はしばらく受け入れられないでいた。

一輪の水仙が教えてくれる「諸行無常」

受け入れがたい現実を飲み込むことは難しい。だが、その現実を少しだけ受け入れやすくしたのは、夫婦の関係は変わってしまったのだという「変化」を理解したことだった。

全てのことは変化し変わっていく。仲を元に戻せたとしても、起きたことをなかったことになんて出来ない。私たちが行きつく先は、「元通り」ではないのだ。

これまで過ごした大切な時間がなくなってしまったわけではなく、ただ関係が変化したのだと考えるようになった。それから、私の心は少しずつ、この辛い現実を咀嚼しはじめた。

『たけくらべ』の最後は、引きこもる美登利の屋敷に差し入れられた一輪の水仙の描写で幕を閉じる。記載はないが、美登利の想い人であった信如(のぶゆき・15歳)からのものであると推測できる。

信如はお寺の一人息子で、美登利とは両想いであったにも関わらず周りから囃し立てられることに耐えきれず美登利との関わりを避けていたのだ。そしてそのまま美登利は遊女の道、信如は僧侶の道へ進むことに。すれ違いで破れたと思われていた恋は叶わずとも、想いだけは通じ合っていたのだ。

水仙に込められた信如の気持ちと、彼との淡い思い出を心の支えにして美登利はきっと人生を切り開いていくだろう。私は物語の切ない終わり方の一方で、美登利ならきっとやれるだろう、という希望を見た気がした。

本当は好きだったのだという気持ちと「常」であるものなど1つもないのだというメッセージ。奇しくも仏道に進む信如が贈る水仙が「諸行無常」を物語っているようだと、私には感じられてならないのだった。


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