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《わたくしごと》幸せになることを躊躇していた、奥底にあった理由。(毒親/アダルトチルドレン)

本日もご覧いただき
ありがとうございます。


◉私の両親の実態


今日は私が幸せになることへのブロックとなっていたものを見つけたお話です。
毒親育ち
アダルトチルドレン

の方々は共感できたり、何か心に引っかかるようなものがあるかもしれません。

私のnoteがリニューアルする以前からお付き合いして下さっている方々はご存知かと思いますが、私は毒親育ちです。

過干渉な母親と、無関心な父親。
私はずっとそう思って生きていましたが、この認識も実は違うということに昨日気付きました。

母は過干渉だと思っていましたが、
自己顕示欲が非常に強く、身近な人間よりも優れていたい。
という人だったのです。
そして権力・力のある人には従うというタイプです。

母は私にずっと張り合っているような感覚がありました。
「お母さんも上手って言われてたよ」
「お母さんは○歳でそれができてたよ」
「お母さんだって・・・」
など。

それは今になっても形や表現を変えて続いています。
いつか叔母が、母も一緒にいる場で「旦那がmiwaが綺麗になったって褒めてたよ!あの人が誰かを褒めるなんて本当に珍しいんだけど」と言ったとき、母は「ふ~ん」と聞き流しました。

ある時私が、同じ地区のおじさんに話しかけられたことを世間話として伝えたら「え?私は話しかけられたことないのに、若い子だから?」と言われました。

これは昔からですが「いいよねぇ、miwaはそういう服が似合って」と言われていました。最近になって気付いたのですが、この発言は素直に「似合うね」という意味ではなく、「私は似合わないのに、ズルい」という意味が込められている発言でした。


母は私が何か一歩踏み出そうとしたり、母の知らない世界に向かおうとすると、「そんなのはくだらない」「辞めた方がいい」「そんなことしたって」と否定し続けてきました。

思い返せば私は、母から全力で応援されたことがありませんでした。
叔母が「miwaって絵を描くのが上手かったよね」と最近母に言ったのですが、母はやはり「私だって上手かったよ」と張り合ってきたと報告を受けています。

母は、私が母よりも上手になるとか、上に行くとか、褒められることをいつも阻止してたのです。
私は【いつも夢を潰されてきた】という認識をしていましたが、その理由がやっと分かったのです。

母は、私が母よりも幸せになることを良く思っていないということ。
そして実は、その矛先は私だけでなく身近な人たち(特に身内)全てに向けているということ。

しかし、私以外の人たちの幸せを阻止することは物理的にはできません。
いつも一緒にいるわけではないですから。
阻止できない代わりに、その人を蔑むような発言をしたり、マウントを取るような発言をすることで、自分を優位にしようとしています。今も尚。

私においては、二世帯住宅とは言え、同じ建物内に住んでいることからありとあらゆる手段を使って、幸せになることを阻止しようとしています。

そのひとつの手段として、母は父を味方に付けるために「娘は頭がおかしい」という設定で話をしていました。

母は上記の通り、人を蔑む発言、悪口、愚痴、マウント発言など日常的に繰り返してします。息子に悪影響なので都度そのことを私が指摘していたのですが、それを母は父に「あのこは私のことを急に怒る」「普通に話していただけなのに、また急に怒った」と都度報告をしていました。

父は母の言いなりですので、私に事実確認をすることなく母の発言だけを信じ、いつか私が怒りを表出したときに、「お前はしょっちゅう怒ってばかりだ」と怒ってきたのです。

私の両親は、そういう人たちです。
母は「何もしていないのに娘に怒られる可哀想な私」を演じ、父は「可哀想な妻を守る夫」という立ち振る舞いをしているのです。

私と父と叔母で話し合いをしたとき、父は言いました。
「娘とどうやって関われば良いのか分からない」と。
そりゃそうだな、と思ったのです。
今まで私に関心を示すことなく、母の言うことだけを信じてきた人間ですから、私とどう関わればいいのかなんて分かるはずもありあません。

父は自分が可愛いだけで、自分さえ楽しければ良い人です。
そして他者は褒めるけれど、自分の家族のことは決して褒めません。
自分が悪者になりたくなくて、自分の立場を悪くしたくなくて、母の言いなりになっています。
母がどれだけ文句を言おうが、小言を続けようが、父は滅多に反論しません。

私はこの二人の間に感謝や尊敬などが無いことを知っています。
お互いに利用しているだけの関係性なのです。
共依存のようなものなのかもしれません。


◉私が「幸せ」に向かえなかった理由


私はずっと「幸せ」が何かが分かりませんでした。
何かに夢中になることは、母から見たら全て「くだらない」ことであり、そう言われてきました。

ハリーポッターが大ブームになっていた時、私は友人から本を借りてテスト期間中ではありましたが夢中で読んでいました。母はそれを見て「そんなくだらない本なんか見てないで勉強しろ」と言い放ちました。
勉強をさせたいのならそれだけ言えばいいものを、楽しくて仕方ない本を読んだことも無いくせに「くだらない」と決めつけた母にカチンときて、私は猛反発したのですが、母はその後ハリーポッターを読み始め「この本は面白い」と自分が発見したかのように人に言いふらすようになりました。

私が夢中になっているもの、好きなこと、楽しいことを「くだらない」などと否定され続けていたため、【私がやることは全てくだらないことなのかな】とどんどん自信をなくし、自分が選択するものは「どうしようもないもの」といつもどこかで思うようになっていきました。

それがそのうち、
私という存在自体がくだらないのかな
に変わり、自己否定を生み、自己受容力も自己肯定感も低い人間となっていたのだと思います。

父と母に応援されない私は、
誰かに応援されるような存在ではない。

そんな想いをずっと抱えていたようです。


そんな想いを抱えていながらも、私は「親だから」「家族だから」となんとか良い関係を築こうとしていましたし、関係が拗れた後も歩み寄ろうとしていました。

しかし、両親自体は何も変わりません。
だから私は、
ああ、なんて馬鹿馬鹿しい。
変わろうとしない相手に、なぜ私が無理をして歩み寄らないといけないのか。
なぜ嫌な想いをしてまでこんなことをしないといけないのか。
こんな無意味なことはもう辞めた。

と抱えていたものを全て放り投げました。

放り投げた後から湧いてきたものが・・・

これに繋がっていくのです。

私はずっと、両親と離れたいと思っていました。
離れるために私は「幸せ」な状況を創り、堂々と離れていきたかったのです。結婚や仕事の成功などの【両親から離れる最もらしい理由】として「幸せ」を手に入れたいと思っていたのです。

しかし、この「幸せになりたい」にはもっと奥深くに眠っていたものがありました。それが、私が幸せになることは両親への復讐になるというもの。

『私が私らしく生きること』が私にとっての幸せです。

しかし、両親は「私が私らしく生きる」ようになってきた頃から【娘は頭がおかしい】という認識を持ち始めました。私が私で在ることを両親は快く思っていません。

私は、私が私になるほどに幸せは拡大していくものだと認識しています。
私の人生が豊かになっていくことを意味しています。

なかなか表現するのが難しいのですが、

私は両親から離れるために「幸せ」になりたい。
「幸せ」とは自分で在ること。

しかし両親は、私が私になることを快く思っていない。
そして「頭がおかしい」と認識している娘が幸せになると考えていない。
もちろん応援もしていない。

そんな「頭のおかしい娘」が、
これまで自分よりも幸せになることを阻止していた娘が、
幸せに向かう姿をみて両親は、特に母親は大いに悔しがるだろう。

私が幸せになることは、両親への復讐だ。
両親を後悔させるために「幸せ」になるんだ。

そんな想いが隠れていたのです。
全く気付いていませんでした。

私にとって「幸せ」とは、
両親から離れる最もらしい理由であり、
両親に復讐するための術でもありました。

そして、この想いが存在すると同時に「幸せを復讐に使っちゃダメだ」という想いも存在していたため、幸せになることを躊躇したり、抑えていたのだと感じたのです。

私の中で
幸せになる=両親への復讐
復讐=ダメなこと
幸せになる=ダメなこと
という方程式ができていたのです。

このことに気付いたとき、私は何もジャッジはしませんでした。
両親への復讐は「良い」とも「悪い」とも考えませんでした。

私は両親に復讐したいんだな。
そのために幸せになりたかったんだな。

と事実のみを受け止めたのです。



◉本当の想いに気付けたから


私が「幸せ」を望んでいたのに上手く具現化できなかったのは、そういう【理由/条件】がくっついていたからだったのです。

両親から堂々と離れるため。
両親に復讐するため。

このために私は「愛」や「お金」などを手に入れようとしていたのです。
だから幸せになることへの葛藤があったのです。
その葛藤があったから「具現化」に繋がらなかったのでしょう。

心の奥底にあった葛藤に気付いたときに、五次元視点に立てました。
私には全てが《在る》んだ、と憶い出せたのです。

私が私で在ることで、私が私として生きることで、
《在る》は《有る》に変わるし、必要無いものは《無い》に変わる。
私がただ「幸せ」になれば私は全てを得られ、両親への復讐心は無くなる、と。

五次元の世界は
在る=有る=無い
です。

五次元世界に立てば、有ったものが無いに変えられます。
本当に必要なものだけを「有る」にできるのです。


そう思えたら、両親から離れるためとか、復讐のためなどの理由が剥がれ落ち、純粋に「幸せになればいいんだ」と、初めて自分に幸せになる許可を出せました。

そしたら肩の力が抜けたのです。
心が軽くなり、とても大きな安心感にも包まれました。
顕在意識と潜在意識の間あたりで「復讐心」を抱いている自分にずっとダメ出しをしていたからです。

「親なのに」という気持ちと、「とは言え」という気持ちがずっとぶつかり続けていたのです。

私がただ幸せになれば、何の問題も課題もなくなります。
その方法は自分に「幸せになって良し」と許可をするだけです。
両親と離れたい、復讐したい、も私が幸せになれば全て解決します。
というよりも、私が私の世界を生きれば、そんなことを考える必要はなくなるのです。


重要なことなので、ちゃんと腑に落とせるように整理して記録しておきます。

私が私の世界を生きれば、
両親と離れたいという想い、復讐したいという想いは消えて無くなります。

なぜなら私の世界には、
「離れたい」と強く思うような両親は存在しないし、
「復讐したい」と強く思うような両親も存在しないからです。

両親が変わるのか、
両親から離れるのか、
どんな現実になるのか全く分かりませんが、
離れたい、復讐したいと思うような現実は無くなります。
そして私は既に幸せになっているのです。


だから、両親のことなんて考えなくていいし、私はただ自分の幸せを感じていればよいのだと思っています。
「そうか、ただ幸せになればいいんだ」
それだけです。

全てが《在る》という世界は、
必要なものだけ《有る》という世界です。
不要なものは存在しません。


私は今回の件に気付けたことで、
精神的にずっとチラついていた両親という存在が消えました。
物理的にはもちろん存在しているのですが、意識の中から無くなったのです。

これまで両親が発する様々な音にイライラしたり、不快感があったのですが、あまり気にならなくなりました。
雑音のひとつとして捉えられるようになったのだと思います。


両親を見返したい。
後悔させたい。
両親よりも凄い人になりたい。
これらの復讐心があったことは事実です。

でもこれらは私の幸せな世界には全て存在はしません。
明確に認識できたからこそ、【要らない】と分かったのです。
本当は、これらの存在もずっと分かっていたのです。
隠していた、見えないようにしていただけな気がします。


有ることが分かったから、無くていいと決められた。
すなわち、
在る世界には、これらは無いのだと分かった。


色々と持っていた執着や意識が離れています。
私はやっと幸せになれるな、という心境です。
幸せになることが、自分の中で確定しました。

また大きく前進できたことを、とても嬉しく思います。



大変長くなりましたが
最後までお付き合いいただき
ありがとうございました。

公式LINE:@840cfzef




miwa

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