何も続かないと嘆いているけれど、「生きること」はちゃんと続けているじゃないか。
本日もご覧いただき
ありがとうございます。
私は散々辛い思いをしたし、悲しい思いをしたし、生きづらくて、死を願う日々を過ごしてきました。
最近は安定した日々を過ごしており、穏やかに幸せを感じ、自分にできることを続ける日々を送っています。
そして今朝、
まるで過去の自分に、今の自分が送っているかのような言葉が湧いてきました。
朝を迎えた自分を責めず
昨日を越えた自分を褒めてあげよう
私は今、『全自分肯定週間』を過ごしていて、どんな自分も肯定しながら毎日を過ごしています。
面倒臭いなーと思っている自分を肯定し、
大事な人を想う自分を肯定し、
お腹いっぱいを越えるほどご飯を食べた自分を肯定し、
ひとつのことを思い出し、ひとつのことを忘れる自分を肯定し、
何一つ自分を否定せず、責めずに過ごしています。
『自分を一切責めない』という時間を過ごす中で、今朝の私は、過去の自分を癒やすような感覚になりました。
今日が始まってしまったこと、今日を迎えてしまったことを私は何度も後悔し、自分を責めていました。
終えたいのに、終えられない。
終わらせる勇気もない。
そんな自分もずっと責めていました。
でも、どんな自分も肯定できるようになったら・・・
今ままで何とか生きてこられた自分が、とても凄いと思ったのです。
これは誰かと比べるものじゃありません。
周りの人が至って普通に人生を続けていることと、苦しみながら続けている自分を比較しなくて良いのです。
周りの人たちなんてどうでも良くて、
とにかく「私」が、「今まで」「何とか生きてきたこと」がとてつもなく素晴らしく、褒め称えるべきことなのです。
頑張ることを諦めた。
仕事を続けることを諦めた。
恋愛を諦めた。
夢を諦めた。
様々なことを諦めた中で、
生きることだけは諦めずに続けてきたのです。
何も続かない、
何も続けられないと嘆く人がいるけれど、
私もそっちのタイプだったけれど、
「生きること」はちゃんと続けている。
これ以上に凄いことって無いよね?
と素直に思えたのです。
だから、
朝を迎えた自分を責めず
昨日を越えた自分を褒めてあげよう
という言葉が出てきたのだと思います。
人は「生きていること」が前提で悩みを抱えます。
生きていることは当たり前で、何も凄いことではないと思っているのです。
生きているから悩めること、生きているから体験できること、を忘れてしまっています。
「今って何してるの?」
と久しぶりに会う友人に聞くとしましょう。
「え、今?まぁ、生きてるかな」
と友人が答えたときに、あなたは何を感じますか?
「は?」とか「そりゃ、そうでしょ」
と感じるのなら、生きることは当たり前だと思っているということです。
「それ、最高だね!」
と感じるのなら、生きていることや、相手の命をリスペクトしているということです。
多くの人は前者だと思います。
それが悪いわけではありません。
目の前の出来事に必死になっているだけです。
自分の命を削って生きていると、生きていることが当たり前で、全てにおいて生きていることが前提になってしまいます。
命を削って削って生き続け、
命を削らなくても良くなった時、
一体その後をどうやって生きていくのでしょうか。
命を削ることが当たり前となっていると、
命を削らないで生きる方法が分からず、
放心してしまうのではないでしょうか。
何が言いたいのかというと、
自分の命を
これまでの人生を
越えてきた過去を
ここまで生きた自分を
もっともっと認めてあげて欲しい
ということです。
私たちは凄いのです。
頑張って生きてきた私たちは凄いのです。
理由なんてありません。
条件なんてありません。
「生きてきた」ただそれだけで、凄いのです。
「何してる?」
『頑張って生きてる』
でいいんです。
何かを続けることに価値を見出そうとしますが、
一番価値あることは「生きていること」ですからね。
この意識は、自分を甘やかすためのものではありません。
最高にシンプルで、人間の核なのです。
命そのものです。
昨日を越えることが出来たあなたは素晴らしいのですよ。
最後までお付き合いいただき
ありがとうございました。
miwa
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