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ギャル達と考えた差別問題

 ギャル達のオンラインライブが最高だった。7月10日に開催された「GOOD VIBRATIONS vol.3」では、主宰のあっこゴリラ・valknee・田島ハルコ・なみちえ・ASOBOiSM・Marukidoの、6人の女性ラッパーが『Zoom』と新曲の『生きてるだけで状態異常』を披露した。想像以上にかっこ良かった。また、6人はZoomgirlsというギャルサーを結成したことも公表した。素敵すぎるじゃん。今回のnoteでは、super-KIKI・長井優希乃の2人がゲストとして参加したGAL談義を聞いて考えたことを書こうと思ぅょ(ギャル風)。


 談義の中心は差別問題だった。黒人や、アスペルガー症候群やADHD(注意欠如・多動症)などの発達障害を抱える人に対する差別である。なみちえさんの父はガーナ出身であり、MarukidoさんはADHDとアスペルガー(グレーゾーン)であるので、なみちえさんの曲『お前を逃す』や、6人の曲『Zoom』の中に、黒人やアスペルガーに関する言葉が組み込まれている。そこで、当事者ではない人が一緒に歌うことの是非や、文脈をしっかりと理解する必要性についての議論が展開されていた。

 黒人の差別問題といえば、#BlackLivesMatterというハッシュタグがTwitterやInstagramで広がり始めた時、私はすぐにそのハッシュタグを付けてSNSに投稿したのだった。差別は不正義であり、それ以上でも以下でもない。こう思ったからだ。つまり、どんな理由があろうと差別は絶対的に悪いことで、差別が肯定されることはあってはならないということだ。そして、BLMについては何人もの友人と意見を交わした。私と同じようにBLMについてハッシュタグをつけて投稿をした友達は、「知らない人に知ってもらいたいから発信した。でも意識高いねと言われるのが嫌だ」と話していた。「意識高い」という言葉は、向上心をひけらかしているくせに中身が伴わない人を馬鹿にするような意味で使われている。「意識高いね〜(笑)」などと揶揄している労力をBLMの問題の方に向けてくれと言い返したいものだが、BLMについて投稿した後に、差別問題について考えることを放棄してしまうのであれば、私は本物の意識高い系の人に成り下がってしまうだろうとも思った。

 これに対して、「一度立ち止まって考えたい」と言った友人もいた。実際、私を含めて黒人の差別問題にさほど詳しくない人は多い。だからこそ、立ち止まって考えて学んでみるという態度は尊重されるべきであるし、BLMについて直ちに発信することを強制するべきでもない。無言の立場は黒人を差別していることを必ずしも象徴しないからである。このような立場に起因するのは、自分を含めた多くの日本人は黒人ではないという非当事者意識であろう。自分が黒人ではないから、黒人問題に関与することに違和感や責任感が伴うのだと思う。この非当事者意識は、当事者ではないが故に中立的な立場でいようとして的外れな意見を言ってしまうことや、問題のすり替えも起こし得ると考えている。BLMの流れを受けて起こったAllLivesMatter運動がその一つであろう。しかし、BLMを機会に他の差別について見つめ直してみることは必要なのかもしれない。

 ギャル談義の中で、「差別を根絶するには教育が必要である」という話があった。日本にはせっかく道徳という科目があることだし、社会や歴史の授業以外でも差別問題に触れるべき時代になってきているのではないかと思う。差別される側はマイノリティであるから、マジョリティ側が想像力と理解力を持たない限りは差別問題は解決されない。また、あらゆる差別は日本にも存在する問題であるのにも関わらず、自分が当事者ではないというだけで、関係のない遠いどこかの国・地域の話だと思っている人は少なからずいるだろう。かくいう私も当事者ではないが、やはり差別問題はなくしていきたいと思っている。BLMについてもそうだが、この気持ちを吐露すると、やはり「偽善者だ」「安全な場所から非当事者が言うな」「それだけでは何も解決しない」などと言われるのではないかという考えが頭をよぎってしまう。そう思っていると、ギャル達の口からパンチラインが流れた

 Marukido「無視は差別だと個人的に思っている」

 なみちえ「当事者に近いくらい親身になって考えたい」「そもそも人間って宇宙の当事者じゃん」

 あっこゴリラ「主体性を持って生きれば人との違いも認められる」

 これらの言葉を聞いて、私の差別に対する態度が肯定された気がしたのである。私は目に見える形で黒人差別に反対したかった中立的な立場が、結果的にマジョリティに加担してしまうのを防ぎたかったのだ。非当事者だからと言って口をつぐむ必要はない。これが私の主体性である。

 差別に反対する態度を、表面的で軽率だと見なしたり、怒りを冷笑するトーンポリシングのようなことはあってはならない。でも、反対の意志を表明した後に思考を停止してはいけない。また、差別問題については時間をかけて考えなくてはいけない。でも、問題をすり替えたり中立的な立場であろうとしてはならない。そして、BLMに声をあげて、それが遠い差別問題だと思うならば、今度は身近な差別にも目を向けるべきだ。

 差別は人間の問題なのだから、寄り添う気持ちがあってもいいじゃないかと思う。恐らく、私を含める多くの日本人は主体性を培う教育を受けていない。しかし、主体性を持たなければマジョリティに流されてしまう。主体性を軸に、人との違いを想像・理解し、声をあげることに自信を持つことが、差別問題を解決する力になるのではないだろうか。

 最後に、6人のラッパー達は、「Zoomgalだと思ったらZoomgalだから」「みんなもZoomgal名乗っていいから!」と言っていたので実は私も7月10日から正式にZoomgalです。



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