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明暗




( 前回のつづき )




豊島区役所にある豊島の森から見えた、広い森へ行ってみました。









広い森は、







広い墓地で、




たくさんの木が生えていました。







しばらく歩いていると、








ひときわ立派な墓石がありました。





墓石には、「 大正九年十二月九日没 俗名夏目金之助 」と書かれていました。

もしやと思い、墓石の前へ行ってみると、





りっぱな墓石で、足元には、



夏目 漱石 とありました。

おどろいたことに、国民的な文豪・夏目漱石さんのお墓が、池袋駅から徒歩圏にあったのです。




彼の絶作となった「 明暗 」を学生時代に読んだことがありますが、それは20年経った今でも色褪せない強烈な読書体験でした。

話の内容はというと、なにか特別なことが起こるわけでもない、どちらかといえば平凡な家族の日常がただ続くだけでしたが、そこには読み手を引きつける力が宿っていて、僕は吸い込まれるように明暗の世界に引き込まれていきました。

その引きつける力とは何だったのか?

それは、物語に出てくる登場人物たちが、各々完結した価値基準を持っていて、一緒にいることが多いのに、互いが決して相容れることなく、影響を及ぼしあうことなく、ただ月日だけが経っていく物語でした。


江戸時代までの日本人の大多数は、身の回りの自然から恵みをいただきながら、同じ集落に生きる人々と助け合い、時には疎ましく思いながらも、絆や秩序によって結ばれていて、「 個人 」という概念は希薄でした。

ところが明治時代に入って欧米の価値観を邁進して取り入れた日本人たちは、人と人の境界、人と自然の境界など、あらゆる概念の間の領域をあいまいにしていた価値観をかなぐり捨てて、各々が個人として生きるようになりました。


江戸時代から大正時代に生きた夏目漱石は、そんな日本社会の価値観の変動期に生き、時にはイギリスへの留学でノイローゼにもなりました。

その苦闘は、近代以降に生まれた「私」という、くっきりとした輪郭のある自我を持つ人々が構成する社会への危惧そのものとなって、彼の生涯を覆いました。

小説の中では、現代もつづいている近代社会そのものが色濃く展開されていました。

「 個の集まりで、なにか生まれるとでも?」、漱石先生の問いは、今も続いているように思えてなりません。









墓地には、いろんな木が生えていました。





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