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長野県、安曇野( あずみの )へ行きました。 今回は、長野県の中信地方( ちゅうしんちほう・長野県を四分割したうちの、中央から西部にかけての地域のこと )を中心にツアーを催行されている「 ココブラ信州さん 」の主催で、安曇野地方を代表する屋敷林を有する布山邸( ふやまてい )を訪れるツアーの案内をさせてもらいました。 布山邸は、この地域を代表する名家で、 見事な屋敷林を有する邸宅で、今もご当主がお住まいです。 家の敷地がもしも森だったら・・・、を具現化している、 まさ
福岡市、海の中道海浜公園( うみのなかみちかいひんこうえん )へ行きました。 公園は広大な草原が広がっていて、その向こうには、 コスモスの花畑が広がっていました。 そして、その向こうには、
青森県と秋田県の間に広がる、白神山地へ行きました。 山地の広さは1万139ヘクタール、その中で人為的な影響をほとんど受けていないエリアが世界自然遺産に指定されていて、その広さは6832ヘクタールに及んでいます。 ( ちなみに、ヘクタールは 100m × 100m の面積になります。 ) あまりの広さに、どこへ行ったら良いのか悩ましい、雄大な山地です。 緑色が世界遺産に指定されている、特に原生的なエリアで、 濃い緑色が核心地域、薄い緑色が緩衝地域になります。 その中で
岐阜県と三重県を流れる大河川・長良川( ながらがわ )の源流域で行われた、 源流 遊行祭( げんりゅう ゆぎょうさい・長良川カンパニーさん主催 )に、遊行人として参加をさせてもらいました。 このお祭のメインイベントとして、 高田 宏臣さん率いる地球守のみなさんに指導をしていただきながら、 長良川の源流域で伐採された杉林跡で、森を育む施業をみなさんと行いました。 ほんとうに、感動の連続でしたが、 印象的だった中の一つは、植樹について教えてくれた地球守、高田造園の方々の目
地図を眺めていると、気になる場所が目につくことがあります。 太平洋に突き出ている静岡県の「 御前崎( おまえざき ) 」は、以前から気になる場所でした。 近くに立ち寄ることがあったので、真夏の暑い日に、念願の御前崎( おまえざき )へ行ってみました。
静岡県、島田市の山中にある、智満寺( ちまんじ )へ行きました。 車を停めた駐車スペースから、山道を7分ほど歩くと、 茅葺( かやぶ )き屋根の、大きな本堂が建っていました。
( 前回のつづき ) ロープウェーで登った駒ヶ岳の山頂( 標高1456 m )周辺は、なだらかな草原が広がっていました。 ところが、かつては、 昭和60年まで、大きなアイススケートリンクが営業をしていたようです。 丘の上には、 箱根元宮( はこねもとみや )の社殿が建っていました。 まだアイススケート場があった時の昭和39年に、アイススケートを経営していた西武グループの寄付によって再建されました。 この社殿のすぐ横には、 巨石が点在をしていました。
神奈川県の箱根( はこね )です。 芦ノ湖( あしのこ )の畔( ほとり )に広がっています。 濃い緑が、横に並んでいる所へ行ってみると、 車道沿いに、大きな杉が並木になっていて、 少し歩くと、 道は小道になり、 大きな杉が並び立っている、 江戸時代から何も変わっていない、東海道の杉並木になりました。 この道、すなわち東海道が整備された江戸時代の初期は、ここに松が植えられたのですが、箱根の気候と合わずに枯れてしまったため、杉が植えられたようです。 なかなか趣の
北海道、釧路湿原のまわりの丘を歩きました。 木道を歩いていると、 大花延齢草( おおばなのえんれいそう )が、白い花を咲かせていました。 あたりを眺めると、 大花延齢草たちが、ちらほらと花を咲かせていました。 そして、 大桜草( おおさくらそう )も、ピンクの花を咲かせていました。 丘の上の森を、しばらく歩くと、 視界のひらけたウッドデッキに着きました。 そこからの釧路湿原の眺めは、
滋賀県、長浜市の北部に広がる渓流へ行きました。 川沿いには三葉空木( みつばうつぎ )が生えていて、 花を咲かせていました。 三葉空木は、枝先に葉っぱを3枚つけることから名づけられています。 そして、まわりの地面を見ると、 植物に詳しい人がピンクの紐で囲った所に、 筆竜胆( ふでりんどう )が、花を咲かせていました。
奈良県、川上村( かわかみむら )の車道を走っていると、 バス停があって、 銅像が建っていました。 この銅像の主は、土倉 庄三郎( どぐら しょうざぶろう )という人物でした。 江戸時代末期の1840年に生まれ、明治・大正時代を生きた方で、この地方の大山主として、現在の吉野林業と呼ばれる造林法を生み出した人でもあります。 吉野林業は、超密植と多間伐を特徴としていて、現在の日本中で見られている多くの杉や檜の植林は、この造林方法で施業されています。 昔の林業は日本を代表
京都、嵐山の竹林を歩いて、 嵐山の真ん中にある大寺院、天龍寺を参観しました。 この天龍寺の方丈( 本堂 )の西側にある庭園は、日本庭園の国宝にあたる特別名勝の指定1号になった場所で、鎌倉時代から室町時代にかけて大活躍をした禅僧・夢窓疎石( むそうそせき )によって作庭されました。 お庭の背景にある嵐山を借景( しゃっけい )に取り込んでいる、雄大な景観です。 その庭園から、境内の奥へ進むと、 桜たちが花を一斉に咲かせていて、 地面には、たくさんの花びらが落ちていま
滋賀県と福井県をつなぐ車道から、 県境に広がる森を歩きました。 森には、大きな橅( ぶな )が、 たくさん生えていました。 山の斜面をしばらく歩くと、
福井県、敦賀湾( つるがわん )へ行きました。 一番奥まった所に、 砂浜があって、 その砂浜に沿って、無数の松が生えていました。 気比( けひ )の松原です。 日本三大名松の一つに数えられる松原で、聖武天皇の時代に、一夜にして無数の松が生えたという伝説が残っています。 かつては、すぐ近くにある氣比神宮( けひじんぐう )の神苑( しんえん )でしたが、戦国時代、織田 信長によって領地は没収され、 江戸時代は小浜藩の藩有林、現在は国の所有になっています。 せっかく