森の案内人

三浦豊といいます。著書「木のみかた 街を歩こう、森へ行こう」(ミシマ社)、行った森林や名所は3000ヶ所以上、日本に生えている木の名前と特性はほとんど分かります。街も好きです。https://www.niwatomori.com

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三浦豊といいます。著書「木のみかた 街を歩こう、森へ行こう」(ミシマ社)、行った森林や名所は3000ヶ所以上、日本に生えている木の名前と特性はほとんど分かります。街も好きです。https://www.niwatomori.com

    マガジン

    • forest forest

      今までのアーカイブはコチラ→ https://www.niwatomori.com/forest_forest_map/ 森の案内人・三浦 豊が、週に1,2回、日本中の森林、木々の営み、名所について紹介をしています。 現在1000以上の話があり、購読開始の初月は無料となります。 圧倒的なまでの多種多様な草木が生え、豊かな自然と文化を有した日本に生きている喜びを共有できればと思いながら記事を綴っています。よろしくお願いします。

    最近の記事

    陸のような、水のような、

    北海道、釧路湿原のまわりの丘を歩きました。 木道を歩いていると、 大花延齢草( おおばなのえんれいそう )が、白い花を咲かせていました。 あたりを眺めると、 大花延齢草たちが、ちらほらと花を咲かせていました。 そして、 大桜草( おおさくらそう )も、ピンクの花を咲かせていました。 丘の上の森を、しばらく歩くと、 視界のひらけたウッドデッキに着きました。 そこからの釧路湿原の眺めは、

      • 新緑の渓流

        滋賀県、長浜市の北部に広がる渓流へ行きました。 川沿いには三葉空木( みつばうつぎ )が生えていて、 花を咲かせていました。 三葉空木は、枝先に葉っぱを3枚つけることから名づけられています。 そして、まわりの地面を見ると、 植物に詳しい人がピンクの紐で囲った所に、 筆竜胆( ふでりんどう )が、花を咲かせていました。

        • 土倉 庄三郎

          奈良県、川上村( かわかみむら )の車道を走っていると、 バス停があって、 銅像が建っていました。 この銅像の主は、土倉 庄三郎( どぐら しょうざぶろう )という人物でした。 江戸時代末期の1840年に生まれ、明治・大正時代を生きた方で、この地方の大山主として、現在の吉野林業と呼ばれる造林法を生み出した人でもあります。 吉野林業は、超密植と多間伐を特徴としていて、現在の日本中で見られている多くの杉や檜の植林は、この造林方法で施業されています。 昔の林業は日本を代表

          • 百花苑

            京都、嵐山の竹林を歩いて、 嵐山の真ん中にある大寺院、天龍寺を参観しました。 この天龍寺の方丈( 本堂 )の西側にある庭園は、日本庭園の国宝にあたる特別名勝の指定1号になった場所で、鎌倉時代から室町時代にかけて大活躍をした禅僧・夢窓疎石( むそうそせき )によって作庭されました。 お庭の背景にある嵐山を借景( しゃっけい )に取り込んでいる、雄大な景観です。 その庭園から、境内の奥へ進むと、 桜たちが花を一斉に咲かせていて、 地面には、たくさんの花びらが落ちていま

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            生息地

            滋賀県と福井県をつなぐ車道から、 県境に広がる森を歩きました。 森には、大きな橅( ぶな )が、 たくさん生えていました。 山の斜面をしばらく歩くと、

            遠く離れた異郷の地で

            福井県、敦賀湾( つるがわん )へ行きました。 一番奥まった所に、 砂浜があって、 その砂浜に沿って、無数の松が生えていました。 気比( けひ )の松原です。 日本三大名松の一つに数えられる松原で、聖武天皇の時代に、一夜にして無数の松が生えたという伝説が残っています。 かつては、すぐ近くにある氣比神宮( けひじんぐう )の神苑( しんえん )でしたが、戦国時代、織田 信長によって領地は没収され、 江戸時代は小浜藩の藩有林、現在は国の所有になっています。 せっかく

            盆梅たち

            滋賀県長浜市の、JR長浜駅近くの慶雲館( けいうんかん )という施設で、日本一の規模といわれている梅の盆栽展、「 盆梅展( ぼんばいてん ) 」に行きました。 またの機会にも紹介をさせてもらいたいですが、この慶雲館には、明治時代に近代日本を代表する庭師、7代目 小川 治兵衛( おがわ じへえ )によって造られた日本庭園が、敷地いっぱいに広がっています。 建物に入ると、 そこには、梅の盆栽ワンダーランドが広がっていました・・・。 まずは、紅白の梅がいて、 みごとな梅盆

            すごいぞ和歌山

            南部梅林( みなべばいりん )で、今まで見たことのない広大な梅林に圧倒され、その勢いで、梅林と同じ「 みなべ町 」にある「 みなべ町うめ振興館 」へ行きました。 桜の開花前線は、春が来る度にニュース等でよく報じられますが、梅の開花前線は生まれて初めて見ました。こんな開花前線もあるのですね。 1月31日に開花する九州の南端から、5月15日に開花する北海道まで、 梅は、開花時期がじつに3ヶ月半も異なるのですね。 館内の奥まった所には、 南部梅林誕生の歴史が、大きなブックレ

            広い梅林

            和歌山県、みなべ町へ行きました。 日本で生産される30%の梅の実が育てられているという、梅の大産地です。 そんな、みなべ町にある、 日本一の広さを誇ると云われる、南部( みなべ )梅林へ行きました。 高台に登ると、 雄大な梅林が広がっていました。 梅は、昨年に伸びた枝に花芽をつけて、実を実らせます。 梅に限らず多くの木は、枝を1本剪定すると、そのつけねに複数の枝を芽吹かせるので、 梅は枝を剪定して、 いくつもの枝を芽吹かせ、より多くの実を収穫できるようにしま

            25年、連続で来ています

            滋賀県、長浜市にある道の駅、湖北みずどりステーションに行きました。 2月12日(日)は車がほぼ満車で、にぎわっていました。 道の駅の中に入ってみると、 思わず二度見をしてしまったコーナーが設けられていました。 なんとこのあたりには、大鷲( おおわし )が飛んで来ているようなのです。 すごく気になったので、道の駅の隣にある湖北野鳥センターへ行ってみました。 中に入ってみると、 大鷲( おおわし )への寄せ書きがあって、 その横にある双眼鏡から、 とっても小さい

            最古級の大名庭園

            東京都の文京区にある、小石川後楽園です。 寛永六年(1629年)、水戸藩邸の中で造られ、非常に広大で格式の高かった庭園です。 そして、現在に残る最古級の江戸の大名庭園でもあります。 園内に入ると、 大きな池の後方に、東京ドームが見えました。 かつては、水戸藩邸の書院があった所に建っています。 現在、小石川後楽園は2万坪の広さを有していますが、今は無き水戸藩邸は、小石川後楽園を含めるとかつて8万坪以上の広さがあったようです。 この小石川後楽園は、池のまわりを一周しなが

            黄色く輝く

            東京都、皇居の東御苑へ行きました。 かつて江戸城の表門だった大手門から入ると、

            おしま

            ( 前回のつづき ) 東尋坊( とうじんぼう )から見えた島の手前へ行くと、 長い橋が架かっていて、島に渡ることができました。 橋の袂( たもと )にはマップがあり、

            東尋坊に生きる

            福井県、東尋坊( とうじんぼう )へ行きました。 日本海を代表する観光地です。 たくさんの人が来る観光地だけあって、駐車場から海岸までの道沿いには、

            魚付き林の吉祥草

            神奈川県、真鶴( まなづる )半島へ行きました。 真鶴は港町で、 半島の先端へ行きました。

            小さな実

            滋賀県、長浜市の市街地を歩きました。