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誰かを攻撃する人は心の中で嘲笑おう

先日、ステキな記事を拝読しました。

「あやとりりい」さんの

我慢で生じた歪みを他人に
転嫁するくらいなら、
直接相手に伝えたい

です。

上記の記事では、
”あらゆる人間に好感を与える人でいることは
 不可能で、みんなにいい人は存在しない”

教えてくれる内容です。


どんなに良い人を演じようとも
相手に嫌われまいと考えて行動しても、
けっきょくは「自分らしく」とかけ離れ
心にストレスをため込んでします。

その反動をストレスを与えられた張本人ではなく
また、別の誰かに向けて転嫁する。

ましてや、転嫁先の相手は
誰よりも自分のことを考えてる人だとすれば
目も当てられない…

「それって、悪循環ですよね」と
あやとりりいさんは気づかせてくれました。



✔攻撃的な上司

わたしの話をさせてください。


わたしが長年勤めている会社に、
攻撃的な上司がいます。

どういった点が攻撃的かというと…

・「お前でもできるから誰でもできるよね」と言う
・「お前は中古の車で十分だよね」と言う
・「貯金できる奴は羨ましいな」と言う
・「お前のあごはマスクでは隠せないな」と言う

など、わたしの心に
チクリと刺さる言葉を投げかけます。

とくに
容姿いじりはキツイものを感じます。

「あごあご!」「しゃくれ!」は
日常茶飯事です。

優しさなのか
上司なりのスキンシップなのか…

わたしは、そう言われたら
笑って反応するだけ。

できるかぎり
上司の言葉を心にとどめないように
努力します。



✔下げられた自己肯定感は
 自力では戻らない

あやとりりいさんの記事では、
八方美人を装うことで自分を見失い
ストレスをため込んでしまう

説きます。


わたしのケースは、
攻撃的な上司の言葉で
苦労しました。

「自分はたいしたことない」
「人より悪い容姿だ」
「なにもできない人間だ」

そうした言葉を浴びせられて
自己肯定感は下がる。

「そんなことはない」と
どこかで思いつつも…
「そうではないのか」と
自暴自棄に走る。

「当時は若かった」で
解決したい部分はありますが…
下げられた自己肯定感は、
自力で戻せませんでした。

わたしは見事に
攻撃的な上司の言葉を真に受けて
自分を見失い、ストレスを抱え込んだのです。


そして、ストレスの捌け口は
身近な存在である家族でした。

ここでは
内容は控えさせていただきますが
何の非もない家族に当たる行為は子供そのもの。

いまでは、そういったことはなく
当時の言動や行動について
反省の意を伝えています。



✔相手を
 攻撃する人の末路

わたしにたいして
心無い言葉を吐き捨てる
攻撃的な上司。

今年で定年退職を迎えます。

そして、
定年退職後は嘱託社員として
68歳まで勤続できます。

ただ…

その上司は現職のころに、
あまりに暴虐武人に振る舞いすぎて
現場から総スカンをくらっています。

つまり、現場の部下たちは
「一緒に働きたくない」と言っているのです。

現在、会社としては
その攻撃的な上司の定年後の処分に
とても苦労されているとのこと。

いままで働いていた場所で
勤続するにも現場は最悪のムード。

かといって、新しい部署へ移動するも
そうした噂から良いイメージがない。

どう転がっても
定年退職後の上司の行く先は、
苦労の道しか残されていないようです。



* * * * *




もしかしたら、
この攻撃的な上司は
あやとりりいさんの観点でいう
「〇〇によって自分を見失っている人」
かもしれません。

そして、
溜まりにたまったストレスの矛先に
わたしという存在があったように感じます。

攻撃的な上司も
ただの人間。

それも不器用な人間だったのでしょう。

今日も
心無い言葉が飛びかいます。

わたしは冷ややかな心で
「あなたも大変ですね」と思いながら
笑って過ごそうと思います。

わたしは誰にでも
やさしくはないのです。


読者の皆様の
参考になれば幸いです。

あやとりりいさん、
素敵な記事を投稿いただき
ありがとうございました。

では、また。
失礼します。


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