将来の夢は「ポケモンマスター」初代ポケモンに夢中になった小学生時代の話。
僕は、岡山の田舎にある村で生まれました。
自然あふれる田舎で産まれましたが、幼稚園からは倉敷にある父親の実家で暮らしました。
倉敷での生活
倉敷というと美観地区がある城下町を連想する人が多いですが、僕はそこから車で10分くらいの場所にある、山に囲まれた町で育ちました。
母親の実家の田舎暮らしを知っていたので、倉敷の方が多少栄えていましたが、僕の幼少期はコンビニすらない田舎町でした。
中学生の頃にコンビニができましたが、21時には閉まったので「24時間営業じゃなかったら、コンビニじゃないじゃん!」と感じた印象があります。
とはいえ、母親の実家のような田舎と比べれば便利で、あまり不満はありませんでした。
倉敷を出たいと思ったきっかけ
そんな僕が倉敷を出たいと思ったきっかけは、小学生の時に発売された、初代ポケットモンスターでした。
当時の僕はポケモンに夢中になりました。
同じソフトでも、色によって出てくるポケモンが違うので色選びは重要で、赤緑ではなく限定版の青を買ってもらいました。
毎日ポケモンを育て新しい街へ旅立ち、冒険する日々が楽しくて夢中になったのを、今でもよく覚えています。
ひたすらに育てあげ、強くなったポケモンを通信で他のソフトに移し、また一から育て上げることを何度も繰り返しました。
最強のパーティー
ポケモンは最大6匹までを引き連れたパーティを組み、バトルすることができます。
攻略本を買ってもらい研究し、最強のパーティができました。
当時の僕の、自慢のパーティを紹介します。
まずは1匹目。
カビゴンです。
防御力が高く、倒すには手強いポケモンです。
そして2匹目。
またまたカビゴンです。
まさかカビゴンを2匹連れてるとは、誰も予想だにしなかったと思います。
そして3匹目。
3匹連続カビゴンです。
僕のパーティは、6匹全部カビゴンでした。
ただし、6匹とも全匹能力値が違います。
1匹目は、素早さがマックスのカビゴン。
「どくどく」という技を覚えさせ、相手を毒状態にし、引っ込めます。
2匹目は、防御力がマックスのカビゴン。
いくら攻撃をうけてもほとんどダメージを受けず、さらには「ねむる」という技を覚えているので、攻撃を受けても回復できました。
眠っている間は何もできませんが、相手は毒状態なので、どんどん衰退していきます。
決め手は、攻撃力がマックスのカビゴン。
「はかいこうせん」という技を覚えさせ、相手を一撃で倒してしまいます。
他にも能力値が違う3体のカビゴンを控えさせていました。
ポケモン大好き過ぎて、少し熱く語ってしまいました。
もうひとつだけお伝えさせていただくと、通常カビゴンは1回の1連のプレイで、1匹までしかゲットできません。
僕は四天王を倒すまでを6回繰り返し、6匹のカビゴンを揃えました。
ポケモンをプレイされたことがある人は、カビゴンのパーティを揃えるのに掛かる、非常識なプレイ時間が想像できると思います。
そんなことを思っていた時に、当時の愛読書、コロコロコミックでこんな募集があるのを見つけました。
幕張メッセでポケモン大会
これはまさに、僕のために開かれた大会だと思いました。
最強のパーティを育ててきた甲斐がありました。
両親に「ポケモン大会に出たい!」と言いました。
あっさり断られました。
ポケモン大会の場所は、幕張メッセと書いてあり、僕は車で行ける所だと思っていたのです。
というか、車で行けない所があるとは、当時は思ってもいませんでした。
幕張メッセがあるのは、東京という遠い町だと、この時初めて知りました。
こんなに最強のパーティを育てたのに、大会に出れない悔しさから、東京への憧れを抱き始めました。
まとめ
そんなこんなで、僕の子供の頃の将来の夢は、ポケモンマスターでした。
ポケモンの歌をいつも口ずさみながら、僕が住んでいた倉敷が、マサラタウンのように感じていました。
ポケモン大会に出れなかったことをきっかけに、「早くマサラタウンにさよならバイバイしなきゃ」と思い始めました。
これは小学5年生くらいの頃の話です。
僕の話に入る前に、次回は家族の話をしようと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
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