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三浦豪太の探検学校

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冒険心や探究心溢れる三浦豪太が世の中について語った日本経済新聞の連載記事「三浦豪太の探検学校」(2019年3月に最終章)の、リバイバル版。わずか11歳でキリマンジャロを登頂。フリ…
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#登山

適正ジャッジあってこそ

2013年11月9日日経新聞夕刊に掲載されたのです  先週、国立スポーツ科学センターで行われたFIS(国際スキー連盟)フリースタイルAレベルジャッジクリニックに行ってきた。  フリースタイルスキーは現在5種目ある。モーグル、エアリアル、ハーフパイプ、スロープスタイル、そしてスキークロスだ。これらの競技はスキークロスを除いて、すべてジャッジの採点によって競技が進められる。  そのため、こうしたジャッジの判断基準を理解することは、今後のフリースタイル競技の流れを知るためにも重要

エベレストのお茶会

2013年9月21日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  5月22日、僕たちはエベレスト登頂アタック前夜、8500㍍地点の中国とネパールの国境にある尾根、通称「バルコニー」で「お茶会」を行った。  これは父雄一郎がベースキャンプで提案したものだが、僕は登頂で少しでも装備を軽くしたいため茶道具を持っていくことは無駄なことと思った。  しかし、嵐の中、登頂メンバーの雄一郎、倉岡裕之、平出和也、そして僕はお茶を囲み、おそらく世界最高所であるお茶会を開くと、とても和やかな気持ちにな

エベレストに向けて

2012年6月23日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  来年予定しているエベレスト(チョモランマ)登頂計画について先日、三浦雄一郎を中心にミーティングを行った。スケジュール、人員、体制等を話し合っているうちに1年後に迫ったエベレスト登頂が、現実味を帯びてきた。  遠征の始まりは道具の点検からと考え、2008年のエベレスト遠征に使ったテント、寝袋、コッフェル、ガスコンロ等の装備を確認することにした。スタッフを招集、梅雨の晴れ間を利用して、これまで倉庫に眠っていた大量の登山

歩く技術、楽しく覚えて

2011年10月29日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  今月、僕と父の共著となる「三浦雄一郎 歩く技術」(講談社)が出版された。  前半は父、雄一郎が体験した、これまでの冒険の数々のエピソード、そしてそれを支えたトレーニングが記してある。僕はそれに技術的な解説を加えて実践的に行えるようにした。   この本を書くにあたって、僕が一番苦労したのは、普段父が行っているトレーニングを一般的な内容に置き換えることだった。  父のトレーニングはユニークだ。足首に7~8㌔の重りをつ

山ダイエットの心得

2010年6月26日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  最近では、若い女性とも山道でよくすれ違う。数年前まで中高年の登山ブームと騒がれていたが、トレイルランニングがひそかなブームになっていることや、登山道具に若い人向けのファッショナブルなものが増えてきたこと、さらには登山にダイエット効果を期待している面もあるのだろう。  鹿屋体育大学スポーツトレーニング教育研究センターの山本正嘉教授とミウラ・ドルフィンズのスタッフらが1カ月にわたり、①食事指導のみのグループ、②食事指導

登山と遺伝子

2011年3月5日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  先週、順天堂大学大学院博士課程3年目の研究発表をポスター形式で行った。  所属する加齢制御医学で僕が挑んだテーマは「低酸素化における遺伝子発現」。遺伝子発現とは環境や刺激によってその時に必要な情報を読み取り、肉体に変換される過程をいう。この研究は3年前の三浦雄一郎とのエベレスト遠征と同時に始めたものだ。内容は僕と父を含めた4人の8000㍍峰登頂経験者と高所経験のない被験者が低酸素室に入る前後で白血球の遺伝子がどう変化す

生き抜くための感性

2011年2月19日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  先日、都内のスポーツ店で登山家の竹内洋岳(ひろたか)さんに久しぶりに会った。  地球には14の8000㍍峰がある。彼はそのうちの12座に登り、日本人としての初の14座登頂にもっとも近い男だ。昨秋、13座目になるチョ・オユー(8201㍍)に挑んだが、雪崩の危険があるため撤退したことをブログで読んでいた僕は、その時の状況をたずねてみた。すると、登れなかったことより「10歩先に進んだことを後悔している」と、彼は言った。

頂上=目標 大先輩の教え

2010年11月13日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  先週、僕は8人の友人とアフリカ大陸最高峰、キリマンジャロに登ってきた。  11歳の時以来、実に30年ぶりの登頂だ。この山の難しいところは、アプローチが長く、さらに途中の宿泊地がそれぞれ標高差千㍍もあることだ。通常、高所登山では1日の高低差を500㍍以内にとどめているのだが、キリマンジャロは最短3日間で標高5895㍍(ウフルピーク)の高度を登る。  この過酷な条件に耐えるために、参加者は事前にミウラ・ドルフィズにあ

11歳の山頂 挑戦の原点

2010年11月6日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  これは僕が11歳の時に家族と一緒にキリマンジャロに行くときに父が話した寓話。  キングソロモンとアフリカの女王シバとの間に生まれたメネリック1世は古代エチオピアの開祖の王だといわれている。世界の英知と財産を一心に集めたソロモン王の教育を受け、強力な軍隊を持ったメネリックはアフリカの各地を次から次へと征服して巨大な国家をつくり始めた。しかし彼は高齢になり死期が近づくと自らの死に場所を探し始めた。そし

22時間44分に感謝

2010年10月23日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  先週のコラムの続きとなるが、富士山登頂千回を目指す實川欣伸(じつかわ・よしのぶ)さんと行った村山古道からの富士登山。出発前から降り始めた雨はまるで僕たちと我慢比べをしているかのようにしつこく降り続けていた。9日、夕方6時に吉原駅をスタートしたが、暗闇のなか村山浅間大社(センゲンタイシャ)に着いたのは翌10日の午前2時だった。  村山浅間大社の浅間はもともとアサマと読む。南方系言語が語源とされ火や

1000回目の富士山

2010年10月16日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  村山古道は平安時代末期に開かれた日本最古の富士登山道である。修験道の修業の場として江戸時代までは使われていたという。  しかし、100年ほど前からその登山道の往来は途絶え廃道となる。10年前に、登山家の畠堀操八さんがその存在を知ることになる。彼は村山古道に興味を持ち、2年がかりで地元の資料と人々の協力により、苦労の末再発掘した。  このルートのすごさは古いだけではなく、日本一の山のスケールをそのま

山歩き 師匠は祖父

2010年9月25日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  僕は11歳の時、祖父、三浦敬三に山の歩き方を教わった。家族でアフリカ大陸最高峰、キリマンジャロ(5895㍍)に登ったとき、2日目のホロンボヒュッテ(3700㍍)で高山病になった僕の前を祖父はゆったりとした足取りで歩いてくれた。  ゆっくりと一歩ずつ確かめるように、呼吸も歩数に合わせて吐いて吸ってを繰り返す。このペースは僕の父、三浦雄一郎いわく、歩きながら休むペースだという。このコツを覚えてから、ヨー

40周年、冒険なお途上

2010年8月21日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  先週も書いたが、今年は植村直己さんの日本人エベレスト初登頂40周年だ。これは同時に父、三浦雄一郎の世界初エベレスト8千㍍地点からのスキー滑降の40周年でもある。日本を代表する2人の冒険家の接点は1970年のエベレストにあった。  スキー隊として先にサウスコルからパラシュートを背負い滑り降りた三浦の模様を、植村さんは6400㍍の第2キャンプから見ており、そしてその後、彼は山頂を極めた。エベレスト日本人初登頂と世界初のス