私の怒り(エッセイ)

私には、まとまりようもない、怒りがある。

どうも、その怒りというものは他人に対するものであることを私は自覚している。

なぜ、私は他人に怒りの感情を抱くのだろうか?

それは単純な理由である。

他人が「あなたのことで、こういうウワサ話をしてたよ」と言って「誰がしてたの?」と私が聞くと「忘れた」みたいな回答をして、私の感情に怒りの種を植えつける人。

だったら言うなよ、という話である。

言う必要、ないだろ。

言うことが無駄だろ。

なら、言うなよ。

という気分になってしまう。

私に、それを言って、どういう感情になってほしいのだろうか?

本当に疑問である。

というか、最近、そういうウワサ話ばかり自分の耳に入ってくるのでイライラしている。

結局、そんなウワサ話を聞いてしまったせいで、ロクに休日で仕事の疲れを癒やすことができなかったように思える。

いやいやいやいや、よくよくよくよく考えてみたら自分も自分で「誰が自分のウワサ話をしていたの?」って聞いてるから、それはそれでお互い様、というやつ?

なんで他人の肩を持つのだろうな、私は。

私は、どこへ行っても、どんなところでもマイノリティ的属性を持っていて、それを発動してしまうから、私は私の味方に完全になることができないらしい。

どうして、そういう思考になったのかというと、やはり幼少期のマイノリティ排除イベントのせいだろう。

そう、私はマイノリティの中のマイノリティであり、その中の凡人枠であることを自覚している。

凡人だからこそ、凡人相応の人生を送っているのだ。

ギリギリ友達になれたとしても、それ以上の親友、恋人になることは、ほぼほぼなく、最後は孤独に○んでいく。

そんなマイノリティなのだ、私は。

それで、どうして私は怒っているのか?

どいつもこいつも私を変人認定する怒りか?

私の行動、言動を拡大解釈し、「こうだな」と判断する、そして他人に言いふらす人の多さに怒っているのだろうか?

いやいや、あなたたちに私の何が理解できるの?

私が、あなたたちを「敵」だと判断しているだって?

いや、だって、そういう……私に不利なウワサ話を流すの好きでしょ。

そういうとこだよ、そういうとこ。

だから、私は永遠に独りぼっちなのです。

私だって磁石みたいに相性がいい相手と出会いたい欲望は当然あるけどさ、そんなの地方の田舎で求めても意味ないでしょ。

最近、私は、どうも地元の人間が嫌いらしい。

らしい、だよ。

断言じゃないから、誤解すんなよ。

でも、このままじゃ、よくない気がするのです。

いっそ、楽になリタイヤ。

この記事もウワサ話になるのだったら、もう私の居場所は、どこにもないね。

恨みと辛みがジワジワと、たまっていくのが私の人生なのだろうか?

今回は、これで。

それでは。

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