【私小説】消えないレッテル 第1話

  *

 朝、目を覚ますと、いつも通りに頭が痛くなることを自覚する。

 皮膚に擦り傷や切り傷が付く感覚が脳細胞の表面に直接、伝わってくるような。

 毎日、それが続く。

 とにかく憂鬱である。

 でも、それが私の日常だ。

 今日も会社へ行かなければならない。

 歯を磨き、ひげを剃り、スーツを着て、鞄に荷物を詰め込み、会社へ向かう。

 神経のひとつひとつが悲鳴を上げ、「帰りたい」と言っている。

 そうだ。

 私の脳細胞を構成している神経のひとつひとつが帰りたいと願っているのだ。

 私は私が住んでいるアパートを愛しているし、なによりアパートでダラダラと過ごしたい。

 けど、それを会社が認めてくれないのだから、社会がそれを認めないのだから、しょうがないのだ。

 しょうがないと思いつつも、今の社会はAI技術が発達しつつあるし、そろそろ会社で働くことがオワコンになってもいいのではなかろうか。

  *

 会社のビルに入るときにIDカードをかざす。

 エレベーターで八階まで昇っていく。

 総務部のフロアが私の働く場所だ。

 おっさんとおばさんしかいない職場なので、いわゆる高嶺の花がいない。

 二十代後半の私だが、残念ながら高嶺の花だなぁと思った異性がいたとしても、今までお付き合いするまでに発展することはなかった。

 なぜなら、この私は世間では、いわゆる「弱者」と言えるポジションに収まっている、つまりインセル的属性の持ち主であると思っているし、会社では有期契約社員として雇われている。

 高嶺の花だなぁと思えた異性は大学時代まではいたが、接点がなかったので、告白することもなく、普通に何もなく卒業してしまった。

 大学卒業はできても、童貞は卒業できなかったか、なんつって。

 おっさんとおばさんが古典的なラジオ体操をしている。

 好きだよな、五十代から六十代までの世代は大好きだよな、ラジオ体操。

 きっと今でも世間体を気にしながら子供の夏休みの期間は近所の人たちとよろしくやりながらラジオ体操をやっているんだろうな。

 なんのよろしくかは知らんけど。

 二十代後半、手取り十七万、それが私のステータスなのだが、私は、そのステータスに満足できずに、ただ、週五日の会社通いをダラダラと続けている。

 現状に不満があるのは確かなのだが、だからといって、これといって解決策が見つかるわけでもなく、転職活動をこっそりしようと思ったことはあれど、今の会社の求人より良い条件のものは見つからない。

 とは言っても探している求人はハローワークの障害者雇用のもので、どれも有期契約社員として雇用だった。

 働いてきて、もう三年目なのだから、今からやり直して有期契約社員として別の会社に雇われるのも、なんだか気が気じゃない。

 そんな思いを私は常に抱え続けているが、そんな事情を察することができない脳なしのおっさんどもに「おはよーございます!」と部署ごとに何回も純粋そうな顔で挨拶をしていく。

 ぶっちゃけ、めんどくせーのだ。

 けど、それが人間関係を円滑にする方法であることを私は、目の前のおっさんどもに教えられたのだ。

 異端分子が排除される世の中だから、ただでさえデメリットの多い特性を持っている私だから、普通の人、特に上司には従わなければいけない。

 そのルールに反抗しようものなら、会社での居心地が悪くなってしまうだろうからな。

 そんな思いを神経がいら立っている自身の脳内フォルダに押し込み、私は私のデスクの引き出しにリュックサックをしまった。

 現在の時刻は八時四十九分だ。

 荷物を入れた瞬間、すぐに八時五十分になった。

 八時五十分になるとラジオ体操の音源を流す時間になる。

 私はラジオ体操のCDが入ったラジカセのスイッチを押す担当なので、とりあえずラジカセのスイッチを押した。

 ロボットのようにおっさんとおばさんどもが動き出す。

 むしろロボットよりロボットかもしれない。

 実に滑稽だ。

 そう思っている私も、そのロボットの一体であることは一応わかってはいるつもりだけど。

  *

 ラジオ体操を終えると朝礼が始まる。

 朝礼は主に会社のルールを読み上げる時間だ。

 会社のルールがインクで刻まれているラミネート加工されたA3印刷用紙を構えるおっさん課長が大声で叫ぶ。

 私たち社員も課長に負けないように声を張り上げる。

「一、絶対に情報漏えいしない!」

『一、絶対に情報漏えいしない!』

「一、会社のサービスは必ず使おう!」

『一、会社のサービスは必ず使おう!』

「一、挨拶とラジオ体操は毎日しよう!」

『一、挨拶とラジオ体操は毎日しよう!』

「一、絶対に副業しない! 副業したらペナルティ!」

『一、絶対に副業しない! 副業したらペナルティ!』

「一、会社のイメージを下げるような発言は絶対にしない!」

『一、会社のイメージを下げるような発言は絶対にしない!』

「一、ネット上で絶対に会社の悪い情報を書き込まない!」

『一、ネット上で絶対に会社の悪い情報を書き込まない!』

 こんなことを毎日、バカのように社員たちが全員で言っている。

 わかりきっていることなのに、まるでロボットみたいに同じことばかり言わされている。

 こうやることにより、この会社は「歯車」を作っているのだ。

 あぁ、自由になりたい。

 というか、私は永遠に自由になれないのかもしれない。

 私の脳神経は常に悲鳴を上げていた。

 この悲鳴から解放されるためには、私は会社を辞めなければいけない。

 けど、どうしても、私には辞められない理由があった。

 私は病気なのだ。

 一生、治らない病気を私は常に持っている。

  *

 私は昔、学校でいじめられていた。

 それは、いわゆる、みんなの足手まといだった、というやつで、運動部に所属していた私は、毎回補欠メンバーになっていたのだ。

 それが理由なのか運動ができる人たちにバカにされながら生きてきた。

 そして、それが理由で精神を病んで閉鎖病棟に二回入院したのだ。

 私は自閉症スペクトラム障害、いわゆる発達障害と呼ばれる障害を持っていた。

 それに付随するかのように統合失調症を二次障害で発症してしまった。

 私には、そもそも普通という感覚がない。

 むしろ発達障害と統合失調症のせいで健常者から普通の人に見られることはない。

 だから、今の私は有期契約社員の障害者雇用で働くしかなかった。

 一般雇用なんて夢のまた夢。

 私は普通じゃない。

 そのように私は私を思い込み、咀嚼することによって、理解しながら生きている。

 それは私にとって息苦しいものだった。

 私は人並みになりたかった。

 普通になりたかった。

 しかし、それを病院と社会は認めない。

 私は障害者手帳を持ってしまったのだから。

 永遠に健常者から障害者のレッテルを刻み込むように染み付かせられている。

 私は今の会社に期待していた。

 ちゃんと三年間、遅刻もせず出社している私を正社員にしてくれるって期待している。

 私の神経回路は、あべこべなのだ。

 それはリモコンの電池を入れる場所に電池を同じ向きに入れるかのように神経が働かない。

 つまり、無理をして会社で働いている。

 それを認めてほしい。

 そうだ。

 私は無理をしている。

 とにかく脳神経が悲鳴を上げている。

 油断すると、また閉鎖病棟で入院してしまうだろう。

 私は三年間、無理をして無遅刻無欠席で働いてきている。

 そのことを会社にわかってほしい。

 けど、現状はこうだ。

 職場の上司は私の発達障害の特性の部分のデメリットを執拗に責め立てる。

 私が怠けているように見えるみたいだ。

 でも、私が怠けていると思っている時間だって、私は私の神経を休ませているのだ。

 怠けているなんて生易しいものじゃない。

 私は普通じゃないのだから。

 この世の中が真に平等になることなんて、きっと永遠に来ないだろうと思う。

 この世界の人間は不平等の中を生きている。

 女性が男性を見るための色眼鏡的な概念として「高学歴」「高収入」「高身長」というカテゴリーが存在するが、私にはその「三高」が逆の方向で存在し、言うまでもないが「低学歴」「低収入」「低身長」の「三低」なのだ。

 悲しすぎるね。

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