【私小説】消えないレッテル 第11話
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父は県の労働局とも、やり取りをするようになった。
ハローワークだったり、障害者職業センターだったり、今まで相談してきた、いろんな機関や施設に私のことを相談していった。
そうして会社での文書のやり取りを続けていく父(カミツキ・タケル名義)。
そうこうしているうちに有期契約社員五年目の秋の季節になっていく。
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父が私のために動いている中、私は、かつてバーで出会った男とラインで連絡を取り合っていた。
ライン電話で会話していたのだけど、彼は、あることを教えてくれた。
『実は僕、パニック障害だった時期があったんですよ』
パニック障害とは、前触れもなく突然、動悸、息苦しさ、めまいなどの症状が現れるパニック発作を繰り返すことにより、「パニック発作を起こしたらどうしよう」と過度に心配するようになっていき、外出などの行動が制限される病気のことだ。
『でも、治りました。もう、その症状は現れていません』
「だけど、僕の発達障害も統合失調症も簡単に治る病気じゃないし、それに今、僕は適応障害を持っているし」
『いや、あらゆる精神障害は治りますよ。社会に適応していくことによってね』
「でも、僕の頭の痛みは、まだ治っていないよ」
『いずれ、治りますよ』
「その、いずれって、いつなのですか! 今、俺は頭が痛くて、痛くて仕方ないんだ! この痛みをどうしたら、いつ治せるというのですか! 今! 今、治してほしいのです! 治せる方法があるなら今すぐ教えてくださいよ!」
『僕は、あなたに言い訳の道筋を示したいわけではない。その答えを知るのは、あなたが精神病に対する本当の病識を知ることですよ。それを理解する気がないのなら、あなたは一生、精神障害者だ。それじゃ』
ライン電話で口論になりそうになった瞬間、彼は通話を切った。
そこから、彼との縁が切れていった。
私は私を障害者にした、この社会が許せない。
けど、今の私の目に映る社会は、健常者が中心の社会は、正常のように演技している感覚があり、どこか、いびつな部分がありすぎる。
この社会を私は気持ち悪いと思う。
私たちは常に洗脳されながら生きていき、世界に、社会に、特権階級を持った人間に、騙されながら命を使い続け、いつの間にか死を迎えるようにできている。
私は、私の心は、私の信仰は、どこにあるのだろうか。
どこへいけば、手に入るのだろうか。
その答えは私の人生で示されるものなのだろうか。
わからない。
おそらく一生をかけても、その答えにたどり着くことはないだろう。
私は未熟だから。
私は未完成だから。
私は未発達だから。
私は精神が欠損している発達障害者なのだから。
そのように社会が消えないレッテルとして私の魂に刻み込む限り、私は障害者であり続けるのだ。
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父が、がんばって動いてくれたことにより、最終的には会社側が正社員登用試験において合理的配慮をおこなうことが決定した。
正社員登用試験はデスクトップPCの画面上でおこなうものではなく、紙に解答を書いていく試験へと変更となった。
計算をおこなうときは電卓が使用可能であり、試験時間は一般雇用の試験時間より約二倍の時間、問題を解くことに費やすことができる。
そのことを聞いた私は、これが会社にとってのベストな合理的配慮の形なのだな、と思った。
ただ、この筆記試験に合格しなければ、面接にまでたどり着くことはできない。
「父として、やれることは、やったつもりだけど、これが限界だった。ごめんな」
父は私が、この条件でも筆記試験に合格できるとは思っていない。
でも、私は、ここまでやってくれた父の想いに、なんとかして応えたいと思った。
私は父に向かって、こう言った。
「父さん、僕に勉強を教えてくれませんか?」
「えっ」
「絶対に合格してみせます」
「わかった。ここまで来たんだ。できる限りのことは、やっていこう」
私は四年目の正社員登用試験で使われたであろう試験の種類を調べ、この種類の試験なのではないかと推測し、アマゾンで参考書を複数購入した。
その参考書を解いていく、だけではなく、ネット上で解ける試験問題を複数購入し、念入りに勉強していき、できるところは、しっかりと対策していった。
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そして、試験の前日、ツイッター上でハタミチさんのアカウントのつぶやきを見つける。
彼女は私より前の日に試験を受けていたようだ。
彼女のつぶやきを確認することで、その試験が今、勉強している参考書のものと同じであることを確認する。
彼女は相変わらずのネガティブなつぶやきをしており、どうやら、障害者雇用のための紙の筆記試験の手応えを感じられなかったようだ。
たぶん、ハタミチさんは試験を突破できない。
私が障害者雇用として雇われている人材の中で最後の砦なのかもしれない。
夜に復習としてユーチューブの試験問題動画を観ながら、いつの間にか寝落ちして、試験日の朝を迎えた。
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「それでは、正社員登用試験、筆記試験を始めます!」
私が勉強してきた参考書の問題と正社員登用試験の問題の種類は一致していて、山が当たったと私は思った。
健常者より約二倍の時間をかけて問題をしっかりと解いていく。
手応えは十分に感じられた。
「やめ! 鉛筆を置いてください!」
ベストは尽くした。
あとは結果を待つだけだ。
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筆記試験が終わって数週間が経過したあと、会社で軽い肉体労働をこなしているとき、ハタミチさんが私のことを見かけて近づいてきた。
「試験の結果、どうだった?」
「はい?」
「私はダメだった。がんばったんだけどね」
「そう、ですか」
ここまでは予想通りだった。
ハタミチさんと話をしたときに直接、聞いたことだが、ハタミチさんの知能指数の数値を聞いた私は、ハタミチさんが絶対に正社員登用試験の一部である筆記試験を突破できる実力を持っていないと、すでに判断していたからだ。
「ハタミチさんは、どうやって試験の結果を知ったのですか?」
「上司に教えてもらったの」
「上司に、ですか」
私は、まだ、あの二面性の上司に試験の結果を教えてもらっていなかった。
「私は、まだ教えてもらっていないので、私の結果は、わかりません」
「そうなの。ごめんね。仕事中に」
「いえ、情報ありがとうございます。お疲れ様でした」
そう言ってハタミチさんから私は逃げるように離れていった。
ハタミチさんの情報を知ったことで、少しだけイライラしながら業務をこなしていく。
それはハタミチさんにイライラしていたわけではなく、私の上司である二面性の課長に対してだ。
なんで、まだ結果を教えてくれないのだろう、と思いながら、業務が終わる時間まで待たされていた。
そんなときに二面性の課長が私を呼び出し、やっと試験の結果を教えてくれた。
「筆記試験の結果は合格です。あとは面接ですね。面接でも合理的配慮をいたしますので、よろしくお願いいたします」
「ありがとうございます!」
こうして私は今まで会社に訴えかけてきた合理的配慮を適用した筆記試験を突破したことを両親に報告した。
両親は、特に父は、とても喜んでくれた。
両親のマンションで私と父は面接対策をおこなっていく。
面接で話す内容は父が考えてくれていた。
父の質問に対する回答を父の言葉で作っていくことには違和感があったが、面接日まで、しっかりと架空質問の回答を脳に記憶させていく。
私は絶対に合格する気持ちで挑んでいった。
*
面接日の前日、私は会社の健康診断で、会社に関わりのある医者に診察してもらっていた。
私は、その医者に明日おこなわれる面接の質問に対して、どう回答したらいいか、と質問していた。
実は、その医者は私にとって入社したときから長い付き合いの医者であり、よき相談相手になってくれた医者でもあった。
「君が障害と病気を持っていることは会社の人たちは知っているわけだからさ。
もう、ここまで来たんだ。
正直に自分の状態を話せばいい。
ちゃんと教育すれば、仕事ができる人材であることは筆記試験を突破した君だから大丈夫だよ。
話せば、きっと会社の人たちは、わかってくれるよ。
本当に、もう少しだから。正直な気持ちで話していくといい。
君が今まで、五年間がんばってきたこと、みんな、ちゃんと見てきている。
大丈夫、大丈夫だから」
「ありがとう、ございます。僕、自分の障害特性をしっかりと正直に話します。また、お会いしましょう」
そう言って、その医者の診察を終え、面接の日を迎えようとしていた。
*
面接当日、ジョブコーチが隣にいてくれた。
ジョブコーチと一緒に面接を受けさせてくれることを会社は合理的配慮により、許可してくれていた。
面接は合理的配慮により、モニターに質問内容を表示させる形のものである、と、あらかじめ教えられていた。
それは私がワーキングメモリ、短期記憶能力が健常者より少ないので、質問内容が記憶できないことに対する合理的配慮だった。
私は会社の合理的配慮に感謝しながら、ジョブコーチとともに面接がおこなわれる部屋の前で待つ。
「カミツキ・タケルさん、お入りください」
「はいっ!」
緊張で体がうまく動かない。
ぎこちない歩き方で私は面接をする部屋に入っていく。
目の前には三人のお偉い方たちがいた。
「今からカミツキさんに質問していきます。よろしいですか?」
「はいっ! よろしくお願いいたしますっ!」
私の返事のあとに面接官が質問していくのだが、合理的配慮として設置しているモニターは、あらかじめ質問内容を乗っけていたわけではなく、書記っぽい人が面接官の言ったことをリアルタイムで手打ちしていくものだった。
書記のタイピング速度が遅すぎて、どんどんと時間が失われていく感覚があった。
私は少しだけ苛立ちを感じてしまい、合理的配慮のために用意されていたA4印刷用紙を四等分した白い紙に質問内容をメモし、回答も、その紙に書いていき、質問にできる限り、ちゃんとその答えで合っているか確認しながら慎重に対応していった。
面接に対する合理的配慮は多少、不満があった。
けど、面接時間は普通の人より長く使われたことには感謝していた。
私には、ちゃんとできた感覚があった。
これで、この会社の障害者雇用で初めての正社員人材になれる! やり切った! がんばった! と、思いながら面接を終えていった。
面接後も普通に仕事がある。
総務部のフロアに戻り、いつも通りの仕事をしている。
その仕事をこなしながら会社の窓から見える太陽を見ていた。
赤い太陽が天空をオレンジ色に染め上げている。
天照大御神が祝福してくれているような感覚が私に芽生え、悠久なる幸福感をもたらしてくれるように、新たな始まりを示してくれる。
五年という時間は長かったけど、また、これからも続いていくのだ。
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