【私小説】消えないレッテル 第5話

  *

 お別れ会の日、私はゲンショーさんに話しかけた。

「今日のお別れ会のあと、少し話がしたいんだけど」と、言った瞬間、私は気づいた。

 ゲンショーさんのスマホ画面に恋愛強者のイケイケはげ頭ヤンキーの顔のアイコンをした、いかにも恋愛強者の男性とトークしている画面を。

「話、ですか?」

 ゲンショーさんのスマホ画面がチラッと見えた影響でボーッとしていた私は、目の前の声に反応し遅れた。

「なんの、話ですか?」

「いや、えっと、少しだけ話をしたいと思っただけだよ。お別れ、するし」

「お別れ、って言っても、同じフロアの隣の部署ですけどね」

「でも、僕はゲンショーさんと話をしたいんだ」

「まぁ、いいですけど」

「じゃあ、お願いします」

「はい、わかりました」

 そんなふうに会話を終わらせたけど、もう結果わかってんじゃん。

 でも、ゲンショーさんから彼氏がいるなんて、まだ聞いていないし、可能性は、まぁ、いるよなぁ。

 だけど、彼女のことを知りたいと思った本心は変わらない。

 彼女に言うんだ。

 実は同じ病院で入院していた患者同士だったってことを。

  *

 お別れ会という名の飲み会を終わらせ、私はゲンショーさんに声をかけようとするが。

 ゲンショーさんの上司がゲンショーさんと話している。

 その内容の会話を聞いていたのだけど。

「ゲンショーさん、これから大変だと思うけど、がんばってね」

「はい!」

「そういえば、このあと、どうするんだっけ?」

「私の彼氏が迎えに来てくれます」

「そうか、そうか、彼氏さんがいるなら安心だな。気をつけながら帰るんだよ」

「はいっ!」

 そう。

 ゲンショーさんに彼氏がいる。

 このことが百パーセントの真実となる。

 その事実が私の胸の中にある魂を強く打った。

 でも、待って。

 ちょっと、おかしい。

 私との予定は、どうする気なんだ?

 私と話をするという予定は。

「帰らないんですか?」

「えっ?」

 居酒屋の玄関でゲンショーさんが私に向かって言った。

「どうして、そういうの?」

「私、これから予定があるんです。気をつけて帰ってくださいね」

「でも、僕と」

 私の様子を見かねた同僚のクロイシさんが私たちの会話に入り込む。

「カミツキさん、ちょっと夜だから気分が酔ってるんじゃない? 飲み会は終わったんだし、帰りましょう」

「帰りませんよ。僕にだって予定があるんですから」

「そんな予定ないない。帰りましょう」

「帰りませんよ!」

 腹が立った。

 どうして周りの女性たちは私をないがしろにするのだろうか。

 私の気持ちに、感情に、ちゃんと対応する気がない。

 最初から話を聞く気がないのだ。

 私のことなんか、どうでもいいと思っているに違いない。

 女性は、なんて冷たい生き物だと思った。

 どうでもいい男性のことなんか眼中にすらなく、ただ、私たちが正しいというワードを押しつけているだけ。

 男性の主張に対して、聞く義理を女性は備えないようにしているのかもしれない。

 それが、ものすごく不快で仕方なかった。

「それでは、私は帰ります。お疲れ様でした」

「えっ、待って」

 ゲンショーさんの言葉に対して、私は反応してしまう。

 なにに対する待って、という台詞だったのだろうか。

 自身すら判断できない感情が芽生えつつあった。

 ただ、これだけは、やっておきたかったのかもしれない。

「これ、あげる」

「えっ」

「ハンカチ」

「えっ、これってブランドものですよね! ありがとうございます!」

「じゃ、お疲れ様でした」

 私はゲンショーさんから離れていく。

 もう、彼女の顔を見たくなかった。

  *

 気づいたら、私は、とあるバーで酒を飲んでいた。

 自暴自棄になりながら、とにかく酒を飲んでいた。

 記憶が朦朧としてきた。

「お兄さん、大丈夫?」

 私の隣で飲んでいた男性が声をかけてきた。

「お水、飲んだほうがよくない。さっきから、お酒しか飲んでないけど」

「お酒を飲みたい気分なんです。飲ませてください」

 私が酒を煽ると、お兄さんが心配するようで、なにか思うところがある顔で私に話し続ける。

「お兄さん、若いみたいだけど、このあたりの人?」

「いや、違いますけど」

「そりゃあ、そうですよね。いかにも田舎者って感じがしますもん。なにか、あったんでしょ」

「まぁ、そりゃあ、気づきますよね。変ですもんね、僕」

「よかったら、話、聞きますけど」

「ありがとう、ございます」

 私は私とゲンショーさんとの間であったことをすべて話した。

 酒が回っていたので、饒舌に話してしまった。

 よくわからない誰かだった男性が、なんだかよく知っている男性のように思えてきた。

 たった今、出会った関係だというのに。

「たぶんですけど、あなたが女性に対して、そういうふうにあしらわれるのは経験が足りないからですね。要は女性慣れしてないんですよ」

「女性に慣れることが必要ってことですか?」

「そうです。失礼ですけど、あなた何歳ですか?」

「二十七歳、ですけど」

「今まで付き合ってきた女性の人数は?」

「ゼロ人、ですけど」

「でしょうね。圧倒的に場数が足りなすぎる。見た目からして、あなたは童貞オーラをまとっている」

「そんなオーラって、わかるものなのですか?」

「垢抜けない見た目ですし、とてもわかりやすいです」

「失礼な」

「ちなみに自分は二十五歳ですけど、それなりに経験してきてますよ」

「経験って?」

「女性経験に決まってるじゃないですか」

 彼が自信満々に話すものだから、私とは対極の人間なのだな、と私は認識した。

「とりあえず、経験を積みましょう」

「経験を積むって、どうやって?」

「風俗へ行くんですよ」

「はぁ」

「風俗へ行きまくって、経験を重ねましょう。そうして、女性に慣れていくのが、あなたにとってのベターでしょう」

「そういうあなたは、そうやって経験を積んできたんですか?」

「いや、違います。僕の場合は勝手に女性が寄ってくるので」

「なんで?」

「なんで、でしょうね」

 まぁ、見た目からしてモテそうだもんね。

「少し酔いが覚めましたかね」

「えぇ、まぁ、はい」

「じゃあ、行きますか」

「行くって、どこへです?」

「風俗に決まってるでしょう」

 私は彼に案内されて、風俗店の目の前まで来た。

「ここで女性に対する恐怖を克服しましょう。がんばってください。いや、むしろリラックスして挑んでください。ファイト一発です」

 彼に案内されて、魔法使いにならずに済む場所まで来たわけだけど、どうにも気が乗らなかった。

 私の心の傷は、まだ癒えていなかった。

 こんなに中途半端な状態で卒業してしまっていいのだろうか。

 私の頭の中には、ある言葉が浮かんでいた。

 それは決して、ある女性に直接、言われてきたことではなくて、ネット記事の一部分に記載されている、あの言葉だった。

「女性は女遊びをしない男性を好みます」という記事に載っていたに過ぎない、その言葉が呪いのように私の魂に刻まれていた。

 私が、ここで女遊びをしてしまったら、私は、どうなってしまうのだろう。

 高いお金を払ってまで、そうやって童貞をなあなあな気持ちで卒業したあと、私は自信を保てるのだろうか。

 中途半端で、いいのだろうか。

 それで卒業して、悲しい気持ちにならないのだろうか。

 私は誰にも愛されなかった、という結果が残ってしまう気がして、私は目の前の風俗店を見ながら、彼に心情を吐露するのだった。

「ごめんなさい。僕、いけません」

「そうですか。もし、また、いきたいと思うなら、ここに連絡してください」

「連絡?」

「僕の名刺です。いつでも連絡してきてください」

「あぁ、ご丁寧に、どうも」

「ちょっと酔いすぎてるみたいなのでタクシー呼びますね。お疲れ様でした」

 私は夜の街から逃げるようにアパートへと帰っていった。

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