【私小説】消えないレッテル 第3話
*
痛覚が残留する脳みそを起動し、また私の朝が始まる。
ゲンショーさんに、よこしまな感情を出さないため、会社へ行く前の朝に自慰行為をおこなう。
朝なので、時間短縮するためにわかりやすい二次元キャラクターの赤裸々な姿と声を見ながら、早漏のごとく性的衝動行為を済ませる。
そう、これで私は女性を前にしても、陰茎が苛立たないための努力行為をこなしているのだ。
今の私は感情の起伏をわざと残さない形で会社での「普通」になる。
理性を保つために世の男性が全員この行為をおこなっているのかもしれないと思うと、私だけではないという感情になる。
私の自慰行為は少なくとも一日三回。
朝一回、夜二回の行為をおこなうことで私の「普通」は保たれる。
その行為を終わらせた私は、いつも通りに身なりを整えていく。
平均的な容姿であることを鏡で確認すると、二リットルの緑茶が入ったペットボトル二本と八百ミリリットルの水筒が入った重いリュックサックを担ぎ、ダッシュでコンビニ内に山積みとなっている昼食を買い、また私の日常の舞台となる会社のビルへと向かった。
*
相変わらず、八階のフロアはゲンショーさんを除いた面々がおっさんとおばさんしかいない。
いつものメンバーなのだけど、この会社は年功序列のシステムが適用されやすいので、ゲンショーさん以外のメンバーは全員、常に顔色をうかがいながら接しなければいけない。
いや、当然、ゲンショーさんにも顔色はうかがうけども。
午前中の仕事を終わらせた私とゲンショーさんは、お互いに斜め向かいのデスクで昼食を食べていた。
私は、やっとの気持ちで彼女に話しかけるタイミングを見つけながら、想いの高鳴りを抑えつつ、緊張をまとった一声を放っていく。
「ゲンショーさん」
心が死んだ。
一声を放っただけなのに私という存在が彼女という女神に声をかけるなんて、なんておこがましいことなんだろうと思った。
汗が滝のように吹き出し、あのときの、同じ閉鎖病棟に入院していた彼女と本当に同一人物なのだろうか、という問いが私の脳内に文字としてフラッシュバックする。
そんな想いを抱えた私だが、その、たった一声が私の運命を変える瞬間になりえるのだろうか。
彼女への気持ちが膨張していき、同時にしぼんでいく矛盾の感情を抱きながら、私が私という形を保てるのか、今日は夜、ちゃんと彼女の姿に近いAV女優で自慰行為ができるのか、不安という感覚が高鳴っていく。
「はい、なんですか、カミツキさん」
奇跡だ。
彼女が私の名字を認識しており、私に向かって声を返してくれている。
女神が私に向かって微笑んでくれている。
所詮、社交辞令だろうが、全人類の中の一個体である私に向かって返事をしてくれている。
その事実が私を幸福へといざなった。
だが、その感覚に酔っている場合ではない。
女神である彼女に、また声をかけなければ。
「あ、えっと、斜め向かいの席なのに話したことないなぁって、気になって、さ」
「はあ」
「今日、いい天気だね」
「そうですね」
「ゲンショーさんは、いつも会社まで、どうやって来てるの?」
「車、ですけど」
「へえ、結構、大変?」
「いえ、運転には慣れてますので」
「そうなんだ」
「はい」
うん、今日は、こんなもんだろうか。
がんばったよね?
がんばった、よね?
こんな感じの「たわいもない会話を続けていけばいい」とネット記事に書いてあったので出だしとしてはバッチリなのかもしれない。
私とゲンショーさんのラブストーリーは、ここから始まるのだ。
*
ゲンショーさんと会話をするのが日常になってきた。
でも、ゲンショーさんが、どんな人なのか、その詳細は掴みかねる。
ただ、ゲンショーさんの観ている映画だったり、ドラマだったりは教えてくれるので、私はアパートに帰ってきたあと、彼女の観ているという映画やドラマを観る時間を作っていった。
ゲンショーさんは外国のグロテスクな作品を好む傾向にあることを自然と知っていった。
同時にエッチな感情を呼び起こすような作品も多かった。
ゲンショーさんって、実はエロいのだろうか、なんて思ったりもしたが、よくよく思えば、ゲンショーさんが処女じゃないという想像は常にしていたし、そんなに驚くことでもないな、と思うのである。
しかし、その答えにたどり着いてしまった私は、あることに気づかされたのだ。
「ゲンショーさんって、彼氏いるのかな」
自身のアパートの部屋の中で私は、その可能性を独り言として出す。
別に盲点と言えることではなく、人間として当然のことであった。
大体の可愛らしくて、美しい女子には害虫のごとく引っ付いている「強者」がいる。
「弱者」に彼女がいないのは九分九厘の確率で当然のことなのだが、たいていの「強者」には彼女が存在するものなのだ。
その可能性を考えた私は半勃起状態の男性器が、しゅんとなるのを感じた。
ゲンショーさん似のAV女優のプレイを観ることも正直、飽きてきた。
ゲンショーさん似のAV女優の作品を見続けることは、ゲンショーさん似のAV女優が素人っぽさから玄人として、どんどんと性技の成長と進化を積み重ねていくことと同義であった。
つまり、エッチな映画をオススメするゲンショーさんの純潔性が私の中で失われつつある、ということなのだ。
私は懐が大きいほうだと思うのだが、やはり童貞。
彼女にしたい女性は処女のほうが好ましいと思うのは男性としてのさがなのかもしれない。
逆に言えば女性は童貞を好まない。
生物的にも女性器の門を男性器の槍で貫いた「強者」が好ましく思う傾向にあるとネット記事に書いてあった。
私の知識はネット記事によって脳内にインプットされ、それを当然の知識として、それが世界であると穿った見方で判断してしまうところがあるのだが、あいにく私にはリアルで交流する友達がいなく、それを真実にしてしまい、咀嚼理解を実行してしまうのだ。
私は、そのネット記事サイトの奴隷となっていた。
そんな私は現在進行形で、あるネット記事を見かけた。
ネット記事には「恋人を見つけるときは同時進行でやりましょう! ひとりだけを追いかけるのはやめましょう! 数を重ねて、やっと恋人ができるものなのです!」と書いてあった。
つまり、数を打てば、誰かが恋人になるであろうという戦略が書かれた記事であった。
私は、それを実行するために街コンのサイトに入ってイベントの参加ボタンが表示されるスマホ画面をタップするのであった。
*
街コンの会場はリーズナブルな居酒屋だった。
男性が多めの金額、女性は少なめの金額を支払うバランスによって街コンの運営は成り立っている。
本来であるならば、居酒屋で、ひとり飲みするくらいなら二、三千円で済むのだが、街コンに参加するだけで、その倍以上の金額を男性がひとりずつ払わなければいけない。
女性は、というと、その逆だ。
女性がひとりで街コンに参加する場合、一、二千円で済む。
そのバランスで成り立っているから街コンは成立するのだ。
痛い出費だが、恋人を作るために躍起になる場合、そのくらいがちょうどいいのだろう。
私が参加したのはオタクの街コン、通称:オタコンだ。
私は言わずもがな、それなりにオタクなので、女性もオタクなら相性がいいだろうと勝手に思い込んでいた。
だが、実際にオタコンに参加している女性と話していくと正直、オタクと言える女性は、このオタコンには存在せず、「今期アニメって、なんのことですか?」レベルの女性しかいなく、なんだこの詐欺街コンはっ! と絶望して、これだったら一般の女性の街コンから行ったほうがよかったと後悔し、スマホ画面に映した二十代街コンの参加ボタンをタップした。
*
二回目の街コン、二十代街コンもリーズナブルな居酒屋だった。
ここでも倍以上のお金を払っている。
「どうも! 僕もひとりで来たんですよ! お名前は? へえ、奇遇ですね! 僕も名前、タケルっていうんですよ! なんだか縁を感じますね! よろしくお願いします!」
私よりも十センチ背の高いイケメンが今回の私の相方だ。
街コンというものは基本的に二対二の割合で話をしていくシステムになっている。
男ふたりと女ふたりで会話をしていくのだが、どうやら私と同じ名前である「タケル君」もひとりで応募してきたようなのだが、なにをしていなくても普通に彼女ができそうなツラのいい男だったので、フツメンの私が入る隙間などないのではないか、と、一秒で理解した。
最初の女性ふたりは美人さんと普通の人のコンビでタケル君が美人さんとばかり話し始めて私と普通の人が話すことはなかった。
むしろ一対一なのではないか。
私と普通の人は、ただ、ひたすら黙り続けている。
黙り続けているのだけど、なぜか普通の人は苛立ちの表情で私を見る。
どうして?
私、なにか悪いことしたかな?
美人さんとタケル君は楽しそうに会話を続けている。
正直、美人さんと話したい気持ちが大きかったが、タケル君は私と美人さんと話す隙間を与えない。
仲良く笑い合いながら談笑し、その場での時間が終わった。
街コンでは一グループが話せる時間が二、三十分しかない。
まだ、その一グループしか終わっていなかった。
しかし、タケル君がまともに話をしたのは最初のグループだけだった。
二、三、四、五のグループの処理はタケル君と私が対等に話せる環境ではあった。
そのようにタケル君がセッティングしたのだ。
タケル君は、ほかのグループの女性に興味がないようだ。
私が話す機会をタケル君が与えてくれているのだけど、ほかの女性は全員タケル君にしか興味がなさそうに感じられた。
そんな感じで、ほかのグループでの話し合いが終わっていった。
二十代街コンの司会の方が声を上げる。
「えんもたけなわではございますが、これで二十代街コンを終わりたいと思います! ありがとうございました!」
パチパチパチパチ、と男女ともに拍手をした。
私が場を去ろうとしたとき、いつの間にかタケル君と美人さんがふたりで仲良く談笑しながら、この場を去っていき、なぜか普通の人が私に怒りの感情を発露した顔で、この場を離れていった。
そうだ。
私は、ずっと美人さんのことを考えていた。
私も私で美人さんのことばかり考えていて、ほかの女性のことを見ていなかったのだ。
だけど、美人さんはタケル君にお持ち帰りされ、普通の人を残し、美人さんは普通の人を置いていった。
それで、どうして私に怒りを見せるのだろう。
こわ、と思いながら二回目の街コンは終了した。
少しだけ顔面格差の不条理を感じながら、私は三度目の正直として三回目の街コンに応募するのだった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?