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大学生活あれこれ|三浦自伝⑧

(写真:まだ馴染めていない三浦が亡霊のように写る集合写真)

大学2年の夏、ボート部を退部した三浦の心は荒んでいた。

辞めるまでの部内のいざこざで精神は消耗し、退部してしまった自分自身の根性のなさにも自信をなくし、辞めた後、運動量が激減したことも大きなストレスになっていた。

ボロボロの三浦にとって、当時仲の良かった同じ学科の女の子は希望の光だった。会うたびに癒され、だんだん心惹かれてついにある日告白をした。しかし、元気のない憂鬱な男が魅力的に見えるはずもなく、「友達でいたい」とベタな理由であえなくフラれてしまった。これは人生最大の失恋として三浦史に刻まれ、立ち直るのにはかなりの時間を要した。

失恋直後の夏休み、友人と何度か国内旅行に出た。青春18切符で青森まで行ったり、安曇野の友人を訪ねたり、ゆっくり時間をかけた旅は沈んだ気持ちを幾分か和らげた。

夏休みが終わり、立ち止まってはいられないと、以前から興味のあったギターの分野で新しいことに挑戦しようと決めた。いろいろ見学した末に辿り着いたフラメンコの歌(カンテ)を歌うサークル「カンテ研究会」でフラメンコギターの音色を聴いた瞬間、自分はこれをやるんだと確信した。

早速下北沢でギターを買ったものの、先生がいるわけでもなく、一人だけいた先輩の見よう見まねをするほかになかった。といってもまったくリズムが分からないので真似もできず、ひたすら基礎練習を繰り返した。

何も弾けないので歌や踊りの伴奏にも行きづらく、一人で部室にこもる日々が続いた。孤独ではあったが不思議と何かに打ち込めるのが気持ち良く、何時間でもギターを触っていられた。

半年ほどが経ち、初めて舞踊伴奏をすることになった。カンテ研究会と別に活動するスペイン舞踊部は当時部員70人の大所帯で、部員は100%女子だった。これ以上ない女社会だ。「あな恐ろしや」と思いながら、おそるおそる舞踊場の扉を押した先には…。

(つづく)

※三浦編集長 Vol.8(2016年1月発行)より転載