WILL.CAN.MUSTのバランス

キャリアを考えるときに、
WILL(自分が何をしたいか)
CAN(自分は何が出来るか)
MUST(自分は何が求められているか)
の3つが重なる場所を仕事にするのが良いと言われている。

しかし、年齢や人生のステージにもよるけど、大体の人は、「いやー自分の今までのキャリアから考えるとCANが少なくて」とか「会社から求められるMUST(業務範囲)が面白くない」と悩み、新たに資格を取ったり、あるいは転職を考えることになる。

でも一番重要なのは、(どの年齢ステージだろうと)WILLを見つめ直す、ということであり。自分が今後何をしたいのか、どうなりたいのか、どう生きたいのか、が明確にならないと、CANもMUSTもあまり意味が無いように思う。

何故ならWILLさえ決まれば、CANなんて幾らでも学び直すことが出来るし、MUSTもどの分野や会社なら活躍出来るか、あるいは、どういう人を対象にしたらマネタイズ出来るかを考えれば良いだけなので。

むしろ、WILLが決まらないと。将来の不安に備えて、無駄に資格を取りまくったり。AIの進化によって会社や社会に求められるMUSTが変わって右往左往したり。あるいは、会社から与えられるMUSTや変わらない社会に文句を言い続け、自分から主体的に会社や社会を変えていくような仕事は(有償無償問わず)出来ないように思う。

このWILLを小中学生の頃の沢山あるやりたい事の中から、どう育てていくのか。あるいは、大学受験手前の高校時代にもう一度自分と向き合い、大学で何を学びたいのか考え。
そして就職前に再度悩み。会社に入ってから2〜3年経って悩み、20代終わりで悩み、家族が出来て悩み、30代になって中堅社員になって悩み、40代になって会社の出世レースがある程度見えてきた時に悩み、50代の会社人生のラストステージで悩み、60代に会社卒業をして悩み、70代でまだ動けるけど社会では必要とされないステージで悩み、80代の死と向き合うタイミングで悩む。

人生ずっと、自分はどうしたいのか、どうなりたいのか、どう生きたいのか。それを悩み続けるのが人生なのかもしれない。

でもそのWILLが、人生の中で変化しても良いから、その時々で若い頃から「自分はこれがやりたい」を基準に動くことや決断することが出来たら。それは幸せなことなのだろう、と思う。

もちろん制約は色々ある。
経済的な制約もあるだろう。
結婚して子供もいれば、パートナーや子供のライフステージによって、自分がやりたいことを出来ない時もあるかもしれない。
あるいは、親の介護や誰か大切な人のために、自分のやりたいことを我慢しなきゃいけないときもある。
また、学校や会社、(資本主義や競争)社会についていけなくて、心の病気になって、そもそもやりたいことが見つからない(=生きる意欲が低下する)ときだってあるだろう。

それでも。
それでも。

自分の人生は自分で決める。
自分は自分の生きたいように生きる。
それがとても大切な気がしていて。

それは自分勝手な人生を生きろ、とかそういうことではなくて。

誰かに価値を感じてもらい、お金をもらって生きるということを前提に考えると、そんなに人は自分勝手に生きるなんて出来なくて。

だから、それを前提に考えると、(その時時の)自分とちゃんと向き合って、自分の中にあるWILLをクリアにして、それを実現するために動くことが出来ると、そのWILL実現に向けて少しでも前進してると、人は幸せになれると思うから。

なんなら、WILLがハッキリすると、いま意味がないと思ってた仕事も、仕事の位置づけや見方を変えて、仕事を自分の中で再定義出来たりするので。

WILLを大事にしなくちゃなー、と思うのだ。

自分のWILLも。
妻のWILLも。
そして子どもたちのWILLも。
自分の周りにいる人たちのWILLも。

そういう自己実現をしてる大人を子供を少しでも増やすことが出来たら。

今よりちょっといい世界になるんじゃないかな。

人生に絶望して自殺する人が劇的に減るんじゃないかな。

そう思うので。

子供時代からWILLをどう育てるか。
これは教育界における最重要なミッションのうちの一つな気がする。

自分も家庭で、PTAで、ボーイスカウトで、職場で、何が出来るか考えて、形にしていきたい。

以上



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