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姉弟桜【短編小説】

ある日の休日。
こんなご時世でなかなか旅行するのが躊躇われる時期ではあるが、「もう限界だ!」とのことで、弟が突然日帰りで旅に出た。
私の弟は普段、休日は自室で寝っ転がりながらゲームをしている超インドアタイプなのだが、そんな弟も、実はストレスを感じていたらしい。

県内の牧場に行ってくると言っていたので、ソフトクリームでも食べて来るのだろうか。
何はともあれ、溜め込んでいたストレスを発散して来てほしいものだ。

そんなことを考えながら、自室の椅子に腰掛けて漫画を読みはじめると、気付いたら夕方になっていた。


ー ー ー


「姉ちゃん、竹と桜、どっちの香りが良い?」

唐突な提案に、読んでいた漫画から目を離す。
いつの間にか旅行から帰って来た弟の両手にはそれぞれ一本ずつ、小さなダークブラウンのスプレーボトルが握られている。

「これ、マスクに掛けると良いんだって」
「マスクに?」

弟から小さなダークブラウンのスプレーボトルを受け取る。
見ると、桜色のラベルに『八重桜』、若竹色のラベルに『竹林』と書いてある。
どうもマスクスプレーらしい。

桜も竹も、どちらの香りも大好きな私としては悩むところだ。

「うーん、どっちも好きだけど……強いて言うなら、八重桜の方が好きかな」

言いながら弟に返そうとすると、弟は『竹林』の方のみ受け取った。

「じゃあ、桜の方はあげる」
「おお……! ありがとう」

まさかお土産を貰うと思っていなかったので、サプライズに嬉しくなる。

早速使ってみようと思ったが、如何せん肌が弱いので、念のため成分表の注意書きを確認しようともう一度目を向ける。
すると、『八重桜』の下に『ルームスプレー』と明記してあるのが目に入る。

非常に珍しい弟からのプレゼントなので、いっそ見なかったふりをしよう。
そう思ったが、私以上に肌の弱い弟が、今まさに私の目の前で自分のマスクに『竹林』のスプレーを吹き掛けようとしているところだった。
これは、言うしかないだろう。

「弟よ」
「なに?」
「これ、がっつりルームスプレーって書いてあるけど」
「え……?! マジで?」

私の弟は、抜けている。勿論私も、人のことは言えないくらいに注意不足なときがあるのだが……。
あからさまに落ち込む弟を見て、心が痛む。
しかしここは、知らずに吹き掛けて弟の肌に異常が出るよりマシだと思うほか無い。

肌に直接はNGと書いてあるので、ハンカチに付けたりなどは大丈夫だろうか。

「マスクスプレーって言って売られてたんだけどなあ…」

活用方法を考えていると、弟のつぶやきが耳に入ってくる。

私も、出来ればマスクスプレーとして使いたい。
いや、『マスクスプレー』として売られていたのなら、『ルームスプレー』と書いてあるが実は使えるのでは無いだろうか?

「じゃあ、マスクの内側じゃなくて外側に掛ければ良いんじゃない?」

『使ってみたい』という欲望が勝った私は、試しに提案する。
そして、弟から貰ったスプレーを自分のいつも使っているマスクの外側に掛けてみた。
外側ならきっと大丈夫。そう信じよう。

「おお……!?」

試しにマスクを着けてみると、桜の香りがして、想像以上に良い香りで心が躍る。
桜並木を歩いている光景が思い出され、そういえば近所の公園の桜が満開だったことを思い出す。

「めっちゃ良い香り!」
「うん。俺も良い感じだわ」

せっかくマスクを着けたので、外出せずに洗ってしまうのは勿体なく感じる。
夕飯まで少し時間があるので、花見に行くのも良さそうだ。
一人で行っても良いが、弟も試しに誘ってみることにする。

「せっかくマスク着けたし、このまま花見にでも行く?」
「お、良いね」

ドライブから帰って来たばかりなので、「疲れている」と断られると思ったが、意外にも快諾だった。
それならば、夕飯の時間になる前に散歩がてら行ってこよう。


八重桜の香りに包まれながら、姉弟で花見とは、なんと幸せなのだろう。
そんなことを考えながら眺める桜は、例年より一段と綺麗に見えた。

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