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映画ノート⑨ アメリカ映画の革命「アメリカン・ニューシネマ」

日本独自のジャンル 「アメリカン・ニューシネマ」

日本でアメリカン・ニューシネマと言えば、「ああ、あの時代のアメリカ映画のことね。」とすぐに何本かの作品の題名が浮かぶほど、年配の映画ファンにはよく知られた言葉です。

しかし、意外なことにこれは日本だけの現象で、海外に目を向けてみると大元のアメリカにもその他の国にも、こうした用語は存在しないようです。 ですから、同年代のアメリカの映画ファンに「アメリカン・ニューシネマについてどう思う?」と聞いても、「それ何のこと?」と、全く話が通じないでしょう。

ではなぜ、日本だけでアメリカン・ニューシネマという呼称が普通名詞として一般化に使われるようになったのでしょうか。

有名なアメリカのニュース誌「タイム」の1967年12月に掲載された「自由がもたらす新しい映画の衝撃」と題する映画記事の中で、「ニューシネマ」という呼称が初めて使われたのが発端のようです。

この映画記事では「ニューシネマ」の例として、『俺たちに明日はない』(アーサー・ペン)、『女狐』(マーク・ライデル)、『殺しの分け前~ポイント・ブランク~』(ジョン・ブアマン)が大きく取り上げられ、他に外国映画の『欲望』(ミケランジェロ・アントニオーニ)、『アルジェの戦い』(ジッロ・ポンテコルヴォ)などが上げられています。

『俺たちに明日はない』は過激で残酷な暴力シーン、 『女狐』はレズ描写、『殺しの分け前~ポイント・ブランク~』は奇抜な撮影・編集方法が、それまでのアメリカ映画にはなかったという意味で、「新しい映画」だと紹介されている訳です。

また、この映画記事では、1934年から存在した「ヘイズ・コード」(映画表現 に関する厳しい自主規制)が、この頃廃止されたことと無関係ではないとしています。

ただし、この記事が出た後に「ニューシネマ」という呼称がアメリカのメディアで使われることはほとんどなく、「ニューシネマ」という概念も一般に定着することなく消えていきました。

「タイム」の記事に触発された気配が濃厚ですが、日本でアメリカン・ニューシネマという用語が初めて使われたのは、1968年4月の「キネマ旬報」の小特集「クールタッチのアメリカン・ニュー・シネマ」が初出。

それ以降は「キネマ旬報」の記事で頻繁にこの用語が使われ出し、 キネマ旬報社から『世界の映画作家24 アメリカン・ニューシネマの俊英たち』が出版されるに及んで、一般の映画ファンの間にも定着するようになりました。
〈ここまでの記述は、「American Film 1967-72『アメリカン・ニューシネマ』の神話」を参考にしました。〉

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アメリカン・ニューシネマが日本で大ヒットした背景

アメリカン・ニューシネマは時代背景抜きには語れないので、ここで、アメリカン・ニューシネマが紹介された頃の日本が、どんな時代だったか振り返ってみましょう。 

1960年代後半は、1962年の池田内閣による「所得倍増計画」を端緒とする高度経済成長期でGNP成長率もずっと二桁代を記録していました。     1964年の東京五輪に始まる建設ラッシュの継続と更なる拡大、東名高速道路の全線開通、GSブームやミニスカートブームなどが到来、好景気で笑いが止まらない経済界や政治家、マスコミ等は天下泰平を謳歌し、「昭和元禄」などと浮かれていた時代。

しかし、影の部分に目を向けると、インフレが加速して物価がどんどん上がるのに、賃金はそれに追いつかず家計はいつも火の車状態。これに対して財界は高度経済成長で大儲け、財界と結託した与党政治家の汚職や不正が頻発しても立件されるのはごく一部、各地で公害問題が深刻化し、光化学スモッグまで発生する有様。

地下のマグマのように溜っていた政治に対する国民の不満が顕在化しするきっかけになったのが、折からベトナム戦争に本格的に介入し始めたアメリカによる「北爆」。

B52が沖縄基地から出撃して北ベトナムを爆撃するに及んで、危機感をもった市民たちが小田実を中心に「べ平連」を結成。            この動きに労組や学生たちも呼応して反戦機運が高まり、60年安保の挫折によって沈滞していた反政府運動に一気に火が付きました。

70年安保自動延長反対を掲げた運動が活発化し、全国の大学では1967年頃から反日共系全学連や全共闘による学園封鎖やデモが頻発、街頭でもヘルメットやゲバ棒、火炎瓶等で武装した新左翼過激派が警察機動隊と派手な衝突を繰り返し、世の中は騒然とした空気に包まれていました。

これは日本だけの現象ではなく、アメリカでも時を同じくしてベトナム反戦運動、公民権運動、ウーマンリブ運動が盛んになり、フランスでは学生を中心にしたパリ五月革命が起き、ドイツでも反政府運動によって保守政権が倒され社会民主党政権が誕生するなど、世界同時多発的なムーブメントでした。

   当時、世界中の学生たちに愛唱されていた『国際学連の歌』       原曲は、ロシアの歌です。                      大島渚の映画『日本の夜と霧』にも登場します。

         加藤登紀子『美しき五月のパリ』

余談ですが、当時、過激な街頭闘争を繰り広げた三派系全学連の他に、中国の「文化大革命」に影響され、「造反有理」をスローガンに掲げた「毛沢東主義派」なんてのも出現しました。

しかし、「文化大革命」は、失脚しそうになった毛沢東が劉少奇などの政敵を追い落として復権するために若者たち(紅衛兵)を扇動し、人民大衆を巻き込んで引き起こした狂気の大クーデター事件だったことが、今日では明らかになっています。その犠牲者は、最大で2000万人とも言われています。

こうした「政治の季節」にタイミングよく紹介されたのが、アメリカン・ニューシネマだったのです。

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『俺たちに明日はない』の衝撃とその影響

先陣を切って公開されたのが『俺たちに明日はない 』(1968年2月日本公開)。主人公のボニーとクライドが全身に数十発の機関銃弾を浴び、蜂の巣のようになって虐殺されるスローモーションによるラストシーンがセンセーションを巻き起こして大ヒット。

勿論、この作品は、従来の映画にはなかった残虐シーンを克明に描いたというだけで評価された訳ではありません。

映画は、連続銀行強盗犯を反社会的人間として否定するどころか、従来の道徳的価値観や社会体制に抗う「反体制・反権力」の「ヒーロー」として肯定的に描いていきます(当然、史実よりも美化されています)。 

失業者が溢れる大恐慌下のアメリカ。                 初めて銀行強盗を働いた時、弾みで行員を撃ち殺してしまったものの、根っからの凶悪な犯罪者という訳ではなく、孤独で貧しい人間たちが肩を寄せ合うようにして形成された「バロウ・ギャング」。次々と犯罪を犯しつつも、兄弟や仲間のことを心配し、大切にする人間らしさも持ち合わせています。

終盤、運転手兼車整備を担当するC・Wの父親の家での安らぎのひと時。 ボニーは二人のことを詩に書き、やり直せるものならまっとうな人間に戻りたいと語り合います。凄惨なラストの前に対比的な抒情シーンを挟むことで、彼らへの共感を高める演出も絶妙。

この辺りのプロットと作品構成は、ポーランド派の代表作アンジェイ・ワイダ『灰とダイヤモンド』の主人公マチェックの「生と死」と酷似しているように見えます。

クライドが奇跡的に「不能」を克服してやっと本物の夫婦関係になれたのだし、このまま二人が逃げおおせて普通の暮らしをさせてあげたいと、観客が彼らに肩入れするのは自然なことです。

しかし、その裏では、C・Wの父親と保安官との間で、二人を殺す陰謀が同時並行で進行しており、観客の期待は見事に裏切られます。皮肉なことに彼らが久しぶりに人間らしさを取り戻して油断したことが、ラストの蜂の巣のように撃ち抜かれる悲劇に繋がってしまうのです。

実際の「バロウ・ギャング」は度重なる強盗の度に見境なく人を殺していて相当凶悪な連中だったらしいですが、彼らの行動が金持ちに喧嘩を売っているように見えたのか、大不況で痛めつけられていた当時の一般大衆や新聞からは英雄扱いされていたようです。

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作品自体は明示的に反体制・反権力を叫んでいる訳でありませんが、毎回、警察の鼻を明かして銀行強盗を成功させたことで、資本家や銀行が支配する経済社会体制を揺るがします。大不況下でも贅沢三昧の支配層を快く思っていないプアホワイトたちの喝采や応援を受けていたことは、映画でも描かれています。

犯罪者ではあるものの、ある意味大衆のヒーローであった彼らが社会の敵(パブリック・エネミーNO.1)として、裁判もなしに、警察権力の過剰な「暴力」を受けて、最後には虫けらのように抹殺されていく姿はあまりにも無残です。

それが、観る者に彼らの死を惜しみ哀切に思う感情を呼び起こさせ、いつまでも忘れられない映画として記憶されることになる訳です。そして、ここにこそ、この映画がアメリカン・ニューシネマ特有の「アンチヒーロー」「バッドエンド」映画でなければならない必然性があるのです。

という事で、『俺たちに明日はない 』は、そのテーマやストーリーが、反体制運動が盛んになっていた時代の空気とうまくマッチしたことも手伝って観客の共感を呼び、一大センセーションを巻き起こすことになりました。

もし、この映画が、70年安保闘争が何の成果もなく敗北し、それどころか「連合赤軍事件」によって忌まわしい負の遺産にさえなってしまっていた1970年代前半に公開されていたら、「傑作」という評価は変わらないものの、あれほどの反響を呼ぶことは多分なかったように思えるのです。

ジョージィ・フェイム&ザ・ブルー・フレイムズ『ボニーとクライドのバラード』 主題歌ではありませんが、ボニーとクライドについて歌っています。

『俺たちに明日はない 』が大ヒットしたおかげで、その後、同傾向の作品が続々公開されることになります。6月に封切られた『卒業』も花嫁を奪って逃げるラストシーンが評判を呼んで大ヒット。             アメリカン・ニューシネマという概念がひとつの映画ジャンルとして、日本に定着していきました。

大塚博堂『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』          アメリカン・ニューシネマの知られざる名作『ジョンとメリー』と大ヒット作『卒業』を題材にしたノスタルジー・ソング。            映画について歌った曲としては、『いちご白書をもう一度』と双璧ですね。ジャケット写真のサングラスに『卒業』のラストシーンが写り込んでいるがしゃれています。

アメリカン・ニューシネマとは何か?

これまで書いてきたように、この呼称は日本だけで一般化したものなのですが、では、 「アメリカン・ニューシネマとはなにか?」と尋ねられて、明確に答えられる人はそう多くないと思われます。
そもそも定義自体がはっきりしないので、どの映画がこの範疇にあてはまるのか、ある意味人それぞれで曖昧模糊としているのが実情です。

『俺たちに明日はない』『イージーライダー』『真夜中のカーボーイ』『明日に向かって撃て!』などがアメリカン・ニューシネマの代表作であることに異論を唱える人はまずいませんが、では、境界線がどこにあるのかという問題については、今もってはっきりしていません。

『暴力脱獄 』(S・ローゼンバーグ 1967) 、『ボクサー 1970』(マーティン・リット)、 『コールガール』 (アラン・J・パクラ 1971) 、『フレンチ・コネクション』(ウィリアム・フリードキン 1971)、そして、ピーター・ブルックの傑作『マラー/サド 1967』(略称 実は史上最も長い映画題名 米英合作)などの諸作品は、どうなのでしょうか。

他にも『軍曹』『ジョー』『冷血』『夜の大走査線』 『ザ・モンキーズHEAD!』等々、範疇に入れてもいいような作品がまだまだ沢山あります。

キューブリックのディストピアSF『時計じかけのオレンジ』は1971年の制作で、内容的にも十分その資格があるように思えるのに、 この作品が、アメリカン・ニューシネマだという声があまり聞こえて来ないのも不思議です 。

「イタリアン・ネオリアリズム」、「ポーランド派」、「ヌーヴェルヴァーグ」などの「映画運動」は、作品が生み出された時代的必然性と共に、映画作家同士の交流や連帯、核となった映画雑誌(「カイエ・デュ・シネマ」)の存在など、定義がかなり はっきりしています。これに対して、アメリカン・ニューシネマは、「映画運動」によって生み出されたものではありません。

ではなぜ、あの一連の作品群が、堰を切ったように突然出現し始めたのか。直接的には「ヘイズ・コード」の廃止によってアメリカ映画が「表現の自由」を獲得したことがきっかけと考えられますが、米国にとっては大義のない戦争だった上に、初めての負け戦となったベトナム戦争が大きな影響を及ぼしたたことは、まず間違いのないところでしょう。

「ドミノ理論」という独善的な「大義名分」を掲げて無理やり他国の内戦に介入したベトナム戦争の実態が明らかになるにつれて、多くの国民が「アメリカの戦争は常に正義の戦争」という固定された既成概念にを疑いをもつようになり、次第にベトナム戦争に反対する世論が高まって行きました。

こうしたベトナム反戦運動や黒人差別撤廃を目指した公民権運動、女性解放運動、カリフォルニア大学バークレー校やコロンビア大学(『いちご白書』)などの大学闘争、過激な武装組織「ブラックパンサー党」の活動等の「反体制ムーブメント」が既存の社会体制や道徳的価値観を揺るがしていた時代。「社会の鏡」である映画が、こうした動きに無関係でいられるはずはありません。

個人的には、アメリカン・ニューシネマを次のように定義しています。

「ヘイズ・コード廃止前後の1967年から1970年代半ばに封切られ、下記要素の多くを含んだ映画」                     

①既存の道徳的価値観や慣習、社会規範等への懐疑や否定
②反体制、反権力、体制からの逸脱(ドロップアウト)
③反戦や厭戦
④反人種差別・反LGBT差別等                     ⑤アンチヒーロー~要するに勧善懲悪とは正反対のアウトローが主人公  ⑥アンハッピーエンド・バッドエンド~主人公の死や深い絶望で終わる
⑦暴力やセックス、破壊シーン等の過激な描写
⑧ロックやドラッグ、ヒッピー、フリーセックス等に積極性を見出す   ⑨ロケーションを多用した即興演出やドキュメンタリー調の演出     ⑩新感覚の撮影・編集方法、起承転結等旧来の映画的文法からの脱却等

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アメリカン・ニューシネマのその後

1973年1月のパリ和平協定調印とアメリカ軍の完全撤退に伴い、ベトナム反戦運動や反体制運動も下火になり、それにつれて市民たちの社会的気分も暗くて気が滅入るような映画を見せられるより、明るくて楽しいものを求める方向へと切り替わって行きます。

アメリカン・ドリームを前面に打ち出して大ヒットした『ロッキー』(1976)が、最終的にアメリカン・ニューシネマの息の根を止めたと言われているのはそのためです。
そして、その後が「驚異の特撮映像」を売り物にした能天気で無内容なおバカスペースオペラ『スターウォーズ』(1977)ですから。別に『スターウォーズ』を嫌いなわけではありませんが、世界観が非常に保守的なのは事実です。

実は、意図的にではないにしろ「アメリカン・ニューシネマ」を実質的に否定し、「先祖返り」しようとする動きは1970台前半から既に始まっていました。

その代表が、1972年に第一部が公開されたコッポラの『ゴッドファーザー』。アメリカ裏社会に君臨するマフィア・ファミリーの歴史を描くことで、「アメリカン・ニューシネマ」が否定した家父長制、家族の絆、家族愛等を内包する「家族制度」を再評価した思想的には保守的な映画でした。

『ゴッドファーザー』で大成功を収めたコッポラは、自分を育ててくれたAIPのロジャー・コーマンのように、映画監督を目指す若者たちに手を差し伸べています。

ピーター・ボグダノビッチ(『ペーパームーン』1973)、ウィリアム・フリードキン(『エクソシスト』1973)、ジョージ・ルーカス(『アメリカン・グラフィティ』1973)、スティーヴン・スピルバーグ(『激突!』1971 )、ジョン・ミリアス(『大いなる勇者』1972)などの若い監督たちです。

明確な右翼反共主義者のジョン・ミリアス以外は思想的には中道ですが、やや保守的な作品が多く、左翼的な「アメリカン・ニューシネマ」とは対照的な作風です。初期の一連の作品の成功でハリウッドに認められた彼らは、「明るくて楽しい商業主義」を前面に打ち出した大作映画を次々と送り出し、アメリカ映画の主流を形成していくことになります。

こうした動きと並行する形で、「アメリカン・ニューシネマ」後期作品と目される『セルピコ』『狼たちの午後』『カッコーの巣の上で』などの優れた社会派映画が作られていきますが、社会の保守化と大作商業主義映画の波に押されて、1970年台中期を境に終焉の時を迎えます。(ただし「ベトナム戦争後遺症映画」は、その後も作り続けられます。)

まあ、ここまでわざとコッポラ・グループと対比的に書いてみましたが、「アメリカン・ニューシネマ」は、そもそも「ヌーヴェルバーグ」のような「ある種の思想」に裏付けられた映画運動ではないので、お互いに影響は与え合ってはいるでしょうが、監督たちもそれと自覚して作品を作っている訳ではありません。そもそもアメリカには、「アメリカン・ニューシネマ」という概念自体が存在しないのですから。 

1967年を境に、それまでのアメリカ映画にはなかったような傾向の作品が続々と生み出されていったのは紛れもない事実です。しかし、それらの作品群をひとくくりにして「アメリカの新しい映画」と呼んだのはあくまでも後知恵であって、我々が勝手に分類分けしているに過ぎないのです。    コッポラだってあっちに行ったり、こっちに行ったりして揺れ動いているので、監督たちにしてみたら迷惑な話かもしれません。

大体、アメリカの映画製作はプロデューサー・システムが主流で、一部の大物監督やインデペンデント系を除くと「何を作るか」は、制作会社やスポンサーの意向に左右されるのが普通です。                大方の監督に任されているのは「どのように作るか」という部分に過ぎないのですが、実はそれさえ100%の自由裁量権が与えられている訳ではありません。当然、予算がからみますから。

巨匠ウィリアム・ワイラーが「赤狩り」で追放されたドルトン・トランボの匿名脚本による『ローマの休日』を監督するにあたって、製作サイドの干渉から逃れるためにわざわざイタリアまで行って撮影したというのは有名な話です。この辺りの顛末は、山本おさむの傑作マンガ『赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD』で詳細に描かれているのでお勧めです。

少し矮小化し過ぎかもしれませんが、「アメリカン・ニューシネマ」から我々が受けた影響は決して小さくはないものの、ひとつの「映画現象論」、「視点によってはこんな見方もできますよ」という程度の話なのかもしれません。

アメリカン・ニューシネマ作品リスト (太字は秀作) 

1967年                               『俺たちに明日はない 』( アーサー・ペン )               『卒業』(M・ニコルズ)ラストだけが独り歩きしたドロップアウト映画 『殺しの分け前 』(J・ブアマン)説明を極限まで排したサイケ映画     『ある戦慄』(ラリー・ピアース)映画作りのお手本のような傑作    『白昼の幻想』(ロジャー・コーマン) ドラッグでトリップ!AIP系    『地獄の天使』 (T・C・フランク)AIP系のつまらない低予算映画

1968年
『泳ぐひと』(フランク・ペリー)米国中産階級の没落を予言した名作    『ワイルド・バンチ』( サム・ペキンパー) 殺しの美学と滅びの美学  『レーチェル レーチェル』 (ポール・ニューマン)女の旅立ち

1969年
『真夜中のカーボーイ』(ジョン・シュレジンジャー)原作も傑作!

     ジョン・バリー『真夜中のカーボーイ』テーマ曲

『イージーライダー』(デニス・ホッパー)ニューシネマ要素てんこ盛り  『明日に向かって撃て!』(ジョージ・ロイ・ヒル)西部劇版『俺明日』  『ジョンとメリー』 (フランク・ペリー)全編独白形式の原作もお勧め!  『夕陽に向って走れ』(エイブラハム・ポロンスキー)視点分裂で減点 『ルーという女』(J・シャッツバーグ)ファッションモデル残酷物語    『さよならコロンバス』(ラリー・ピアース)かなり退屈な映画      『雨のなかの女』(フランシス・フオード・コッポラ) ラストが哀しい   『アレンジメント』(エリア・カザン!)御大頑張る!           『ひとりぼっちの青春』(S・ポラック)マラソン・ダンスは人生の縮図 

    『ひとりぼっちの青春』の過酷なマラソンダンス・シーン         金持ちたちは下層階級の悲惨な生存競争を観て楽しむのです。
                                      司会役のギグ・ヤングが、アカデミー助演男優賞を受賞。

『くちづけ』(A・J・パクラ)抒情的な青春映画だが、ラストは苦い    『小さな巨人』(アーサー・ペン) この分野では珍しい大作コメディ  『M★A★S★H』(ロバート・アルトマン)戦争ブラック・ユーモア     『 BIRD★SHT』 (R・アルトマン) 映画の常識をぶち壊したメタ映画    『真夜中のパーティ』(ウィリアム・フリードキン)ゲイのパーティ    『…YOU…』(リチャード・ラッシュ)学園闘争映画。ラストと主題曲が秀逸

      『…YOU…』主題歌 P.K. Limited『 Getting Straight』

1970年
『ソルジャー・ブルー』(R・ネルソン)白人の残虐性をとことん描く    『ファイブ・イージー・ピーセス』(ボブ・ラファエルソン) 旗本偏屈男!  『アリスのレストラン』(アーサー・ペン 1969) ドロップアウト映画
『いちご白書』(スチュワート・ハグマン)どこまでもヘタレな主人公

『いちご白書』主題歌 バフィー・セント・メリー『サークル・ゲーム』

『キャッチ22』( マイク・ニコルズ)戦争風刺シリアス・コメディ     『愛の狩人』(マイク・ニコルズ)共演アート・ガーファンクル!      『ラスト・ショー』(P・ボグダノビッチ)「こちらブルームーン探偵社」  『ウッドストック』(M・ウォドレー) ビートルズが出ていれば・・・

映画『ウッドストック』より サンタナ『ソウル・サクリファイス』   ドラムスのマイケル・シュリーブをはじめとするリズム隊がもう素晴らしすぎます。主催者はビートルズにも出演を依頼したらしいですが、何せ解散直前でゴタゴタしていた時期でしたから。

1971年
『わらの犬』( サム・ペキンパー)壊れたメガネ=理性の崩壊        『時計じかけのオレンジ』 (スタンリー・キューブリック)         『哀しみの街かど 』(J・シャッツバーグ) 反ドラッグ映画の佳作      『ジョニーは戦場へ行った』(ドルトン・トランボ)反戦映画の力作   『さすらいのカウボーイ』(ピーター・フォンダ)ラストが刺さる     『断絶』(モンテ・ヘルマン)題名負けしてます             『傷だらけの挽歌』(R・アルドリッチ)暴力と狂気の中の「純愛」     『バニシング・ポイント』(R・C・サラフィアン )暴走で体制に反逆

         『バニシング・ポイント』予告編                   ラストの衝撃のすさまじさと言ったら・・・。

1972年
『脱出』(ジョン・ブアマン) 環境破壊に反対したサバイバル映画
『 ソルジャー・ボーイ』 (R・コンプトン) 俺たちにも明日はない
『キャバレー』(ボブ・フォッシー)何と言ってもラストが不気味

1973年
『スケアクロウ』 (ジェリー・シャッツバーグ) 凸凹弥次喜多道中     『さらば冬のカモメ』(ハル・アシュビー)軍隊組織へのささやかな反抗   『セルピコ』(シドニー・ルメット)警察の腐敗と戦う一匹狼
『ロング・グッドバイ』 ((ロバート・アルトマン)原作には及ばず     『カンバセーション』(コッポラ) 盗聴者が盗聴される恐怖        『追憶』(シドニー・ポラック)愛していても思想信条は譲れない

1974年~1976年
『チャイナタウン』 (ロマン・ポランスキー)意外と社会派映画
『狼たちの午後 』(シドニー・ルメット)前半コメディ後半シリアス
『カッコーの巣の上で』(ミロス・フォアマン)文句なしの傑作!     『大統領の陰謀』 (アラン・J・パクラ )日本の記者には真似できない  『タクシードライバー 』(スコッセッシ)主人公には共感できないが・・・

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