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半径5メートルの“良き”


派手なスクープで世の中を動かしたりしない。自分の半径5メートル以内にころがっている身近なことを扱う。


NHKで始まったドラマ『半径5メートル』で、雑誌の編集部で働く主人公が新たに配属された先で上司から言われるセリフだ。これを聞いて、私のnoteと同じだ、と思った。


元はと言えば、実母の死と長女の結婚式が2週間も違わずに訪れた体験、一生に一度の出来事が2つ同時に訪れるという稀有な体験を書き残しておきたいという気持ちから始めたnoteだった。そこから早くも1年が過ぎた。あの記事を書いて以降、私が継続して書いてきたのは、私の半径5メートル以内で起きた事ばかりだ。ホントに“どうでもいい”話ばかり。noteをやってなかったらハハハと笑って直ぐに忘れてしまうような事ばかりだ。でもnoteに書いたおかげで、それらの“どうでもいい”話が、貴重な面白い体験のように思えるから不思議。しかも書く事で、鮮明な記憶として残った。そればかりか、忘れていた随分昔の“どうでもいい”話まで思い出す。自分でも、よくそんな事まで思い出したよなぁと感心してしまうことさえある。


ドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』で、主人公の父親が70歳を過ぎて、病院で顔のシミを取ると言い出す。その事を主人公は「いい歳して、気持ち悪い」と思ってしまうのだが、友人から「お父さんは刺激が欲しかったのかも」と言われなるほどと納得した。いつもと変わりない日常、それはそれでありがたい事だが、変わり映えがしないというのはつまらないという事でもある。歳を取れば顔のシミのひとつやふたつ、今さら“どうでもいい”と諦めるか、ずっと気になっていたのを今このタイミングで取ってもらうか。シミひとつ取っただけで、父親の気持ちは明るく軽くなり、鼻歌交じりで鏡を見てニヤニヤしている。なんか楽しい。なんか嬉しい。ウキウキ気分はきっと顔だけじゃなく肉体までも若返らせたのではないだろうか。
私も今、もしかするとその父親と同じ高揚感を感じているのかも。noteで手に入れた楽しみ、それは自分の身の回りに起きている“どうでもいい”と思っていた出来事が、読み物として“意外と面白い”出来事だったと思えたり、ハハハと笑って終わりじゃなくてそこに何かの気づきを得たり。私が書いた物が世の中を動かしたりはしないけど、こんなに自分の日常が楽しく彩り深かったなんて、noteをやってなかったらきっと気づかなかった。


娘が言う。


「お母さん、楽しそうだね」


(トップ画像は、斜め前のお宅で獲れたさくらんぼと薔薇。半径5メートルの良き。)



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