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義父との時間、私のねがい〜『カレーの時間』読書感想文


その人に初めて会った日のことを久しぶりに思い出した。その人は私の耳を見てこう言った。
「それは、穴をあけとるんか」
私が耳に付けていた輪っかのイヤリングを見て、そう聞いてきたのだ。いきなりでビックリしたけど、ピアスの穴をあけているかどうかを尋ねられていると気づき私は急いでこう答えた。
「いえ、穴はあいてません。」


そうか、とその人はホッとしたように言った。
「親にもらった体に穴をあけるようなことをしたらいけん」
そう言ったきり、その後は何も他の質問をしてこなかった。後から思い返して、何故そこが一番気になったんだろう?もし私がピアスの穴をあけていたらどうしただろう?と考えたら可笑しくて、ホッとした。


その人はのちに私の義父になる、主人のお実父さんだった。

カレーの時間/寺地 はるな

僕の祖父には、秘密があった。終戦後と現在、ふたつの時代を「カレー」がつなぐ絶品“からうま”長編小説。ゴミ屋敷のような家で祖父・義景と暮らすことになった孫息子・桐矢。カレーを囲む時間だけは打ち解ける祖父が、半世紀の間、抱えてきた秘密とは――ラスト、心の底から感動が広がる傑作の誕生です。
GoogleBooksより


今でこそジェンダーだのハラスメントだのと世の中がうるさくなったおかげで、いまだに「女のくせに」とか「まだ結婚しないの?」「子どもができないの?」などと言う人たちは時代遅れなうえにデリカシーの無い人という風に分類され蔑まれたりする。いや、蔑むのもまたハラスメントでありデリカシーに欠けるわけで、結局のところ世の中に存在するいろんな分類を受け入れていくことこそが今の時代の正しい波なのだ。この、受け入れること、が実は結構難しくて、それが家族の場合は、他人の場合よりも拗れたりする。家族には素直な感情をぶつけてしまいがちだし、自分と血のつながりがある人が吐くデリカシーの無い暴言自体を、それを吐いた人を、恥ずかしく思ったり情けなく思ったりするからだ。だけど、血がつながっているから多少のフォローもしたくなる。口ではあんな風に言っていてもホントのところは優しいんだよね?素直になれないんだよね?なんてね。


小山田義景にとって孫の桐矢は家族の中での唯一の男同士。娘たちや孫娘たちとは違うシンパシーを感じているようだ。だが桐矢から見ると自分の思うように生き、思ったことをそのまま口に出来て、周りがどう思おうと我が道を行くスタイルの祖父は圧倒的に気ままに見えたことだろう。女性陣よりも繊細な心の持ち主である桐矢にとって、男同士だろうと人間同士だろうと一番分かり合えない相手だ。

祖父が若かった頃。たぶん、世の中は今よりずっと単純で、アバウトだったのではないだろうか。「ちゃんとしたところ」に就職して結婚して、家を建てたり子どもを持ったりすれば、それで「一人前」だ、というような。

だけど2020年を生きるぼくには、なにも考えずにここをまっすぐ進めば間違いないというようなコースはない。

祖父と孫、そして家族の物語。それを読んでいる私は、ちょうど2人の間の世代(親の世代)だ。だから両方の言いたいことが分かる。でもやっぱりちょっと孫寄りかな。


私の義父はワンマン家長だった。いつも怒ってるみたいな厳しい顔つきだったし、絶対曲げない信念(こだわり)みたいなものもあったように思う。兄弟が多く、実家を離れたこの町で税理士として事務所を構えた。義父の稼ぎの元に家族の幸せがある。誰も文句が言えるはずがない。家族は皆、義父の顔色を見ていた。
だけど厳しい顔つきは多分(私がお嫁に来る前の話だが)病気で倒れて以後右半身が不自由になったためだと思うし、大人には厳しかったけど孫たちにはそれはもう優しいおじいちゃんだった。我が家の1階が父の仕事場(税理士事務所)で、仕事がひと段落すると我が家(事務所の2階)に上がってきてはコーヒーを飲む。来る度にうちの子どもたちへのお小遣いを持参して、それは一回一回は小さな額ではあったが義父なりの私への気遣いだったのだと思う。

おれは家族を知らない。(中略)おれが家族と呼べる存在は、妻と三人の子だけだ。せっかく手に入れた家族を、どれだけ大切に思っていても、肝心の大切にする方法がわからない。正解がわからない。

義父もそんなことを思っていたのかも知れない。亡くなってもう20年近く経つ。ホントのところをもう聞けない。毎日のようにコーヒーを飲みに来る義父のことを実は煩わしく思っていた私、顔色を伺ってなるべく近づかないようにしていた。義父から見たら決して可愛い嫁でも優しい嫁でもなかったはずだ。でもこの本に出会って、読みながら義父のことを思い出している次男の嫁(=私)がいるってことを、義父に知って欲しいと思った。義父のことをもっとちゃんと家族として愛おしく感じておきたかった。


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