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わたしたちは、持ち堪えてしまう〜『水たまりで息をする』読書感想文


私の妹は25歳からアメリカに住んでいて、10年くらい一度も帰国せず、グリーンカードでやっと自由に行き来できるようになって、たまたま帰国している時に日本で急死した。43歳だった。亡くなる3日前に帰国し、いくつか仕事を済ませて亡くなる前日に「実家に帰ったよ」と連絡が来た。私は「週末に行くよ」と返事をした。その週末を待たずに亡くなった。週末まであと2日だった。


乗っていた電車内で具合が悪くなり、周囲の人が気づいてくれて電車を下され駅員さんが対処してくれたが結局そのまま亡くなった。心筋梗塞。持病があるわけでもなく、本当に急だった。


アメリカ在住の妹の持ち物は、妹が日本人かどうかさえ直ぐには判断がつかなかった。そのせいで私たち家族に連絡が繋がるのに時間がかかったようだ。私は職場で、弟から連絡を受けた。何が起きているのか咄嗟には理解出来ずに、とにかく妹に良くないことが起きていて、私は直ぐに実母を連れて警察署に行かなければいけないらしかった。そのことを上司に説明している時に、あれ?妹が警察にいるってどういうことだっけ?と未だ状況が飲み込めず、「(残っていた仕事を)片付けたら帰ります」と呑気なことを言ってしまい、上司のほうが焦って「後のことはいいから早く行ってあげなさい」と私を促すほど、私は現実を認識出来ずにふわふわとしていた。


母は、前日風邪気味だった妹に病院へ行きなさいと言わなかったことを後悔していた。言ったところで病院へ行ったとは思えなかったし、それが原因とも思わなかったので、「そんなこと思わなくていいから」と言うしかなかった。警察に着いたら簡単に事情を説明され、あぁ、もう妹は助からなかったんだな、とわかったのに涙が出るわけでもなく、母と担当刑事さんのお母さんが偶然同じ名前であると聞かされ、そんなによくある名前でもなかったので母も私も「えーそうなんですか」などとそのことでホッコリして笑って、「では妹さんのところへご案内します」と言われたら急に妹のことが現実的に感じられて怖くなった。


妹に対面した母は駆け寄り妹の頭をさすりながら「〇ちゃん、苦しかったねえ」と泣いた。私は母越しに妹を見下ろし、泣いている母の背中をさすりながら、じんわり涙が出たけど声を上げては泣かなかった。私はまだ現実が現実として理解出来ずふわふわしていた。私は冷たい人なのか?長く離れて暮らしていたから実感が沸かないのか?悲しくないわけじゃない。お葬式ではいっぱい泣いた。悲しいし寂しいし、悔しい。最後に会いに行かなかったことで自分を責めた。何故直ぐに会いに行かなかったのかと悔やんだ。


だからといって、憔悴しきっているとか、苦しみに耐えきれないとか、逆に気丈に振る舞っているとかでもなく、普通に、平気そうに、日常が続いていく感じだった。


わたしたちは、持ち堪えてしまう。


そうだったんだ、と妙に納得した。私は持ち堪えてしまえる側だったんだ、と。外に向けて感情を表すことは苦手だ。喜怒哀楽、全部苦手。だから、クールだとか、何考えてるかわからんとか言われる。常に通常運転。でも、自分の中には感情がある。喜怒哀楽、全部ある。それを外に発散しなくても、発散させて誰かに助けてもらわなくても、自分で対処出来てしまう。いや、そもそもそこまでの強い感情はなかったのかも知れない。持ち堪えることは我慢とは違う。そういうもん、なのだ。

『水たまりで息をする』/高瀬隼子

ある⽇、夫が⾵呂に⼊らなくなったことに気づいた⾐津実(いつみ)。夫は⽔が臭くて体につくと痒くなると⾔い、⼊浴を拒み続ける。彼⼥はペットボトルの⽔で体をすすぐように命じるが、そのうち夫は⾬が降ると外に出て濡れて帰ってくるように。そんなとき、夫の体臭が職場で話題になっていると義⺟から聞かされ、「夫婦の問題」だと責められる。夫は退職し、これを機に⼆⼈は、夫がこのところ川を求めて⾜繁く通っていた彼⼥の郷⾥に移住する。そして川で⽔浴びをするのが夫の⽇課となった。豪⾬の⽇、河川増⽔の警報を聞いた⾐津実は、夫の姿を探すが――。

集英社HPより

うちのちゃま(主人)が入院した時、最初こそ寂しかったもののそのうちに慣れて、退院が決まったらあぁ忙しくなるなぁなんて思ったもんだった。
2回目の入院の時も、ちゃまの病状を説明する担当医師の言葉のチョイスに親娘でクスッと笑ってしまうような、そういう軽さのある家族だ。
だからといって、ちゃまがいなくても良いというわけではない。いないのは困るし、今もこれからもずっと一緒にいて欲しい。
家族愛。夫婦愛。夫婦の距離感。
読みながらそんな言葉が浮かんできた。

衣津実も、そのうち子どもは産むのだろうと思っていた。子どもが欲しいというよりも、積極的に子どもが欲しくないわけでないのであれば、いた方がいいだろうと考えていたのだった。それはこれまでの人生の流れにあった、特別な事情がない限り「進学した方がいい」し「就職した方がいい」し「結婚した方がいい」の続きだった。

でも子どもが出来る、出来ないは

進学や就職や結婚と違って、意志だけでできるものではないのだな

もしかすると私の生きて来た道は深く考えたり悩んだりする必要のない、そこそこ順風満帆だったのかも知れないとそのことに感謝すると同時に、衣津実の思考が自分と似ていて、そうじゃない人からしたら感じるだろう「気持ち悪さ」に共感している自分が気持ち悪かった。
ああしたい、こうしたい、これはしたくないという強い気持ちは、私の場合は状況に応じていつでも諦めがつくもの。衣津実があれこれ思考しているその感じは、私には手に取るようにわかる。あぁ、そう思うよね、あぁ、それわかるよって。
旦那さんがお風呂に入らなくなって、ペットボトルのお水で体をちょろっと洗って、まあそれでも充分じゃないとしても何もやらないよりは良いか、みたいに捉えるとことか。
どうしてもお風呂に入って欲しいかと聞かれて、自分がというよりあなたのために言ってるんだけどって思ってしまう感じとか。
そういう、思考のスタンスに共感すると同時に、もっとハッキリ嫌だと伝えればいいのにとも思う。そのモヤモヤが気持ち悪かった。


おかげさまで、うちのちゃまはお風呂には入るので外見から明らかに普通じゃないと感じてしまうような部分はないと信じているけど、この前靴屋さんでちゃまの気に入りそうな靴をあれこれ運んでは履かせてみる、を繰り返していた時、店員さんが私にだけ声をかけてきて介護靴をすすめられてしまった。まだ、そこまでじゃないのよと思いながら、きっとちゃまの気には入らないだろうけどと思いながら、それでも周囲の人が見たら奥さん(私)のあの甲斐甲斐しさは旦那さんに“何かある”と思わせてしまう、そんな行動だったのかと反省したのだった。


だからぶっちゃけて言ってしまうと、例えばちゃまがお風呂に入らなくなってしまっても、お風呂くらい入らなくてもいいよと思えるし、それをちゃんと伝えようって思ってる。それでずっと一緒にいられるのなら、それが良いって思うから。
そしてそれが叶わなくなったとしても、私はやっぱり持ち堪えてしまうと思う。


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