見出し画像

[小説] 陽光が月肌を撫でる。 (6)

前回までのお話は....

.....................................

 パンケーキの横にたっぷりと添えられた生クリームは、店員に運ばれながらふわふわと揺れる。

一様に小麦色に焼けたパンケーキの熱で、少しずつ溶け始めた生クリームはなんだか女の子のほっぺたみたいだった。

 少しの間溶けていく生クリームを眺めながら、フレンチトーストが給仕されるのを2人で待った。

だけれども、なかなかくる気配がなかった。

生クリームも段々と元の形状が分からないほどに溶けてきている。

小麦色に真っ白い池がコントラストとなっている。

女の子がお先にどうぞと言ってくれたので、僕は慣れないナイフとフォークでパンケーキを一口サイズに切り分けて、少しずつ口に運んだ。

この間にも女の子のフレンチトーストがなかなか給仕されないので、僕は女の子の機嫌を損ねないように、少し食べるペースを緩めてみたりだとかこれ美味しいよ一口食べる?と聞いたりだとか、色々な手を尽くした。

だけど虚しく、女の子の表情は曇っていく一方だった。

さっきまで話していた話題もちょっといけなくて、重たい雰囲気になっていっているのが肌にピリピリと感じ取れる。

 いくら食べるのを遅くしたとしても結局は食べ終えてしまうわけだから、僕はついにぺろりと完食してしまった。

15分くらいフレンチトーストは来なかった。

気まずい間が生まれてしまうから、女の子に感想を伝えようと思う。

はっきり言うとちょっと甘すぎた気もしないでもないけど、マナー的な面と女の子の来たがっていたお店だと言う面から美味しかったの一言に留めた。

あまり褒めすぎると嘘をついているみたいで自分や女の子に悪いなと思うのもあった。

 そのタイミングで、女の子の注文したフレンチトーストがテーブルに運ばれた。僕はほっとした。

とりあえず女の子が食べ始めれば時は進むことになるから。

 グラタンが入っているような耐熱皿の中に、フッカフカのフレンチトーストがグツグツと音をたてている。

女の子は二、三枚写真を撮ると、満足げにフレンチトーストに手をつける。

熱い熱い、と嬉しそうに笑っている。

口元にフレンチトーストを近づけて、息をふーふーと吹きかける。

口に放り込むと、ほっぺたを収縮させてホフホフ、熱い熱いという。

その姿、単純に綺麗だと思った。

こんなこと本人に言ったら怒られるかもしれないけれど、とても魅力的に思った。

 先に食べ終わってしまったことが、女の子を見つめる公正明大な理由となっている。

客観的に、僕が女の子を注視していてもあまり不思議ではないということだ。

人が食事する姿をこんなにも注視したのは、明らかに初めてだ。

 そんなに見つめていると目が合ってしまうのは当然で、だけど女の子は目が合うたびに微笑んでくれる。

だけれども、自然と感じるには限度というものがある。

ついに女の子は、僕とものすごく目が合いすぎる事について、僕を茶化すような口調で

「見過ぎだよー、クリームでもついてるなら言ってよね」

と言った。僕は笑みを浮かべることしかできない。

客観的に女の子を見つめることを不思議ではないと思っていた。

結局主観を離れて自らを客体視するのはなかなか難しいみたいだ。

限度は自身の物差しじゃなかなか計れない。

女の子に茶化されたことも含め、とても恥ずかく感じる。

 女の子は器用にナイフとフォークを駆使して、柔らかいフレンチトーストを口に運んでいる。

女の子はナイフとフォークを音を立てないように置き、ナプキンを手に取り口の周りを拭く。

軽く手を合わせ、ご馳走様とつぶやく。

 女の子はハンドバックからリップを取り出して、唇を艶やかにする。

その唇は広告の女優をはるかに凌ぐ美しさであって、僕はやはり目を向けてしまう。

女の子は唇をパッパッパと開閉するというとってもチャーミングな癖があって、僕は釘付けなのだ。

パッパッパ。

 ふと思う、僕は女の子の一部始終、一挙手一投足を注視している。

もうどうしようもないところまで来ている。

今まで僕が自己肯定に用いてきたある種の爽やかさは、もう完全に失われている。

不潔だ。

 その後、僕らはしばらく談笑した。たわい無い話だ。

高校時代の友人が付き合い始めただとか、共通の友人が風俗で小金持ちになっただとか、これから就活が面倒だとか、そんな話をした。

その間、僕は内なる自己暴走をなんとか表層に出さないように努めた。

汗に濡れた手をキツく握りしめていた。

 会計を済ませて外に出る、さっきよりもより暗がりが暗くなっているように感じる。

身体中の毛穴から噴出する汗が外の空気に冷やされ、いやに気持ちがよい。

街灯とネオンの光は女の子の耳元を艶やかにする。

女の子のシルバーイヤリングは妖艶さを纏い柔らかに輝く。

「フレンチトースト、正直結構甘かった。いや、甘すぎ」

女の子は笑う。

「実は、パンケーキも。相当甘かった。マックのポテトが食べたい、塩をたっぷりかけてもらって」

二人で一緒に笑う。とっても可笑しそうに。

 多くの古書店がシャッターをすっかりおろしてしまっている午後8:34、僕は無意識に女の子より半歩後ろを歩いていた。

いつもと同様にこのまま駅で分かれるのは惜しいから。

もう少し長く二人でいたいと思っている。

だけれど、女の子は当然駅の方に足を運ぶし、僕を歩くのが遅いと笑いながら注意する。

もどかしい。

僕にはどうすることもできない。

ある種の勇気といったものを僕が持ち合わせていないからだ。

不潔な動機に基づく勇気。

駅に着く。

「bye-bye, See you soon」

と女の子は恥ずかしいぐらい大きな声で僕にいう。

僕もそれに応えて手を上げる。

もちろん片手だけど。そして少し揺らす。

これでお別れ。

 女の子はくるりと翻して、電車に飛び乗った。

その時、地下鉄ホームの少し明るすぎる白色の光に照らされてシルバーのイヤリングが、今度は寂しげにきらりと光った、ような気がした。

僕は女の子が見えなくなるとホームの一番マシそうなベンチに腰掛けて、女の子に「お気をつけてお帰り」とメッセージを送る。

隣のベンチに腰掛けている同年代風の男性が大きなトートバックを持っている。

トートバックにはボッティチェリの『春』がプリントされている。

彼の着ている、フォーマルライクな格好とはミスマッチな気がする取り合わせだ。

 一方通行であるためにもどかしくて、暴走し、不潔だ。

不潔であることは、その関係性において大きな暴力だ。

僕は純な清らかさを欲す。

ホームに電車の案内が響く。

遠くの方から、屈折して頼りなくなった電車のヘッドライト。

そして、錆びかかっている車輪の酷い音。

電車は止まると、ほとんど吐き出すことなく人を飲み込んだ。

電車内、僕は力なく席に座る。

そして、『春』のヴィーナスを思う。キューピッドを考える。

広告の女優、女の子のリップ。

そして、女の子の耳元で輝くシルバーのイヤリング。

頭の中でぐるぐる回る。

この前読んだ小説にはこうあった。

どんな髭剃りにも哲学がある、と。

僕はぼんやりとメッセージに既読がつくのを待ちながら、画面の向こうの女の子の哲学的一面について思い耽り、自分を恥じている。

電車は、地下の真っ暗闇を蛇のようにただひたすらに前へと這い進む。



..................

最後まで読んでいただきありがとうございます!!!!!
ぜひ以下の作品もお読みください!!!!!!!!





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?