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その光と影

裏の家の鶏の声で目がさめる。ベランダに出てみた。太陽が顔を出すところだ。始まりの朝にふさわしく、荘厳な雰囲気の日の出だった。

周りには高い建物がない。アンコールワットの景観を損なわないように、アンコールワットより低い建物の建造しか認められていないのだ。

裏の家では朝ごはんの準備をしていた。「おはよう」手をふってみた。笑顔とともに返ってきた。カンボジアンスマイル。微笑みの国カンボジア。

アンコール・トム

アンコール・トムとは、「大きな都」という意味。ティエロ曰く、「京唄子師匠そっくりの顔」がお出迎え。「カンボジアの笑顔」という彫刻だ。

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同年代の遺跡には同じ彫刻が施されている。大昔に栄えた都市は過去のものとなり、いまとなっては、観光地。

南大門、四面仏のバイヨン、象のテラス、ピヴィナカス遺跡、バプーオンなど昔を偲ばせる遺跡群だ

失われた栄華。永遠ではなく、刹那。形あるものは、その存在、その意味を失ってはじめて永遠の輝きを手に入れるのではないだろうか。

遺跡の階段は傾斜がきつい。神様が使うため、人間には上りづらいように急傾斜にしたとか。

それにしても、ティエロの博学ぶりには舌を巻く。どんな質問にも答えてくれるし、すべてのレリーフの解説をしてくれる。

ときには冗談を交えて。日本のことわざもお手の物。これで日本に行ったことがないというから驚かされる。

遺跡周辺には、観光客に物を売りにくるこどもが。「おにさん、おねさん、1ドル安いよ」「おにさん、かこいいね。おねさん、かわいいね。」

観光客への物売りはこどもの仕事。大人がきたって、「かわいそう→買ってやろう」とはならない。

トイレに行く途中、放し飼いの鶏を発見。カンボジア料理の肉は硬すぎる。カンボジアの家畜は放し飼い。

自分で餌をみつけて食べる。たくましい。だから筋肉質。なるほど。ティエロは硬いほうがおいしいって言っていたなぁ・・・。カンボジアの味覚。

昼ごはんは、昨日と比べて、けっこうおいしかった。日本人の口に合う料理。カンボジアへきてまで日本の料理を食べたいか?

昼、35度の暑さの中

街へ出た。ホテルを出るとすぐに「ヘイ!バイクに乗らない?」バイクタクシーの兄ちゃんに声をかけられた。

「サンキュー!だけど今は歩きたい気分なんだ。だってさ、歩いたほうがいろんな人にあえるだろ?そう、たとえばキミとかね。だから歩くんだ。」

そう言ってしばらく話した。日本のこと、仕事のこと、カンボジアのこと。陽気なカンボジアのあいつ。

町の人に「ハロー!元気?」って声をかけると、みんな笑顔でこたえてくれる。日本にいたらヤバいヤツ扱いされるけれど。

拙い英語とジェスチュアで会話。武器はひとつ、そう、笑顔。とにかくたくさんの人と話した。写真を撮った。握手した。笑った。

「オマエ、すげー楽しそうだな!人生ハッピーだろ!」

「オマエはどうなんだよ?オマエもハッピーだろ!」

「当然だろ!ハッピーだぜ!」

日本の方が、物質的には豊かだが、カンボジアのほうが、「心」の豊かさがある。みんな、素直なんだ。純粋なんだ。

物質的豊かさ、精神的豊かさ、どちらかをとると、どちらかを失ってしまうのか。どちらか一方しかとることはできないのか。

ぼくは、どちらも手に入れようとしている。どちらも手に入れるには、まだまだ小さすぎる。

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アンコールワット

参道、第一回廊、十字回廊、第二回廊、中央祠堂の第三回廊

なんだこれ。言葉を失う。すごい急な階段を這うように登った。なんだかなぁ。すげーなぁ。

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夕日を見にバケウンの丘へ

「男の坂」と呼ばれる坂を登っていくと、遺跡があった。坂の途中には物乞いのこどもたち。力のない声で、薄汚れた姿で「ハロー」

「ハロー」なのか「ウラ―」ふと、町田康の「きれぎれ」で主人公の叫びを思い出す。小さな声で「ウラー」その声はどこにも届かない。

山頂で夕日を見た。帰りに遺跡を破壊してしまい、ユネスコの職員に囲まれている中国人がいた。

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帰りは「女の坂」と呼ばれる、なだらかな、象の通る道から帰った。坂道でも「ウラー」

アンコールワットの塔の先の空を、塔の上から見た世界を、夕日が沈むあの光景を、力のない目を、カンボジアの光と影を、忘れることはできない

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