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インド人に道を尋ねないでください

だいたいぼくの旅はというと、やたらと安い航空券を手に入れ、通路側の席に座り、目的地には真夜中から明け方にかけて着く、というどうしようもない旅だ。

やはりというか、インドのベンガルールに着いたのも、もうどうにもならないくらいの時間帯だった。ひとりの貧相なバックパッカーがインドにたどりつき、ターンテーブルの前で所在なく立ち尽くしている。

「空港の外へは明るくなるまで出てはいけない」バックパッカーを気取るクセに、ネットの情報を信用し、「なるべくリスクはおかしたくないよね」なんて自分を正当化してみる。

荷物を受け取ると、自分を守るのは自分だよねなんて言い聞かせて、ターンテーブル脇のベンチに腰を掛け朝が来るのを待つ。ほとんどが現地のインド人で、こんな時間であっても迎えが来ているのであろう。

掃除のおじさんが、お前はなんでずっとここにいるんだよと聞きたげだし、トイレ掃除の若者も、あんた一体何回目だよとため息をつく。ほっといてくれ、ぼくだってそう思ってるよ。

「インド人にモノを尋ねるときは、3回、別の人に聞け」

誰かに聞いたのか、本で読んだのか。なぜかインドへの道中、その注意事項が何度も頭の中をリピートしていた。どうしてインド人にモノを尋ねるときは3回聞く必要があるのか?そしてなぜ、別の人に聞くのか?

インド人は、質問の答えを知らなくても、その質問に対し答えてくれる。これは、彼らが適当だからというわけではい。まったくの逆で、彼らはとてもやさしいから、親切だから。

人に何かを尋ねられた、せっかくその人が自分に聞いてくれたのに、答えないのは失礼にあたる。だから、とにかく答えよう。なるほど、そういうことか、ありがとう。

貧相なバクパッカーに道を尋ねられた。自分は正解を知らないけれど、答えなかったら彼に対して失礼だし、彼は困るだろう。だから、キミの目的の場所はこの先をまっすぐ行ったところだよ。

3回聞けというのは、3回聞けば1人くらいは正解を知っているし、だんだんと答えに近づくだろ?という事だそうだ。彼らのやさしさを理解できるかできないか。ぼくは理解はできないけれど想像はできる。

やさしさから生まれた行いは、形はどうであれ、それはやさしさなのだ。やさしい人を悪く言ってはいけない。やさしさというのはそういうものではないだろうか?

インド人と日本人は時間の流れも違う。彼らにとって時間とは永遠に流れ続けるもので無限にあるものだ。一方、日本人はというと時間は有限で、無駄にしてはいけないという考えがある。

宗教的な教えもあるが、同じ時間を共有しているのに、お互いが全く異なる概念の上に立ち、全く違い想いを抱いているということも、世界の広さを感じさせる。

ぼくたちは、自分の物差しで相手を測ることをしてはいけない。たとえ相手のことを理解できないとしても、相手のことを想像し、歩み寄ることはできるのではないだろうか?

そうこうしているうちに、ぼくは一睡もできないまま朝を迎えた。空港の入り口にはライフルを構えた軍人が立ち、中と外の世界を隔てている。それが意味するところはいったい何なのだろうか。

空港の外に出ると、東の空は少しずつ色づき始めていた。生ぬるい風がまとわりつく。客待ちのタクシーが、おいそこの貧相なバックパッカー、どこへ行くんだと声を掛けてくる。

「いらないよ」ぼくは彼らの間をすり抜けてバスへ向かう。「インド人に道を尋ねないでください」この先ぼくは、インド人に何度道を聞くのだろう?そしてその度に優しさに触れるのだろうか?

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