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私は「つまらない」が怖いのかもしれない

こんにちは、みつまめです。
正体不明の焦りが出たり、無気力だったり、プチ(自己)破壊衝動を発揮したり。
何やら不安定だった先週。

不安定の理由は、よく分からない。
プチ繁忙期明けで燃え付きかけていた、としか。
この「よく分からない」が困るのですよね。
対処の仕方も分からないから。

という事で何かヒントはないものかと、noteの海を漂っている中。
なんだかしっくり来る記事を見つけました。

記事の紹介

ソレア心理カウンセリングセンター代表、高間氏のの記事です。
愛着障害を克服された方のコメントを引用し、回復した後に訪れる世界について解説している内容です。

「つまらない」とはどういう事か

高間氏によると、「つまらない」と感じる状態というのは、精神疾患から回復し、感情の起伏が穏やかに安定していて、「平凡」な日常が送れる状態になるということ。

「平凡」ほど安心、安全なことはない、というわけです。

精神疾患の回復のニライカナイ、と表現されていました。

・症状がなくなって、つまらなく感じる日常になる。平凡な日常になる。

これがあらゆる精神疾患の回復のニライカナイ、これこそが楽園と言えるものでしょう。
楽園はエキサイティングなわけではないのですね。のんびりとした時間が流れている日常の世界です。何の変哲(へんてつ)もない当たり前の時間が、当たり前に流れていくだけです。

「愛着障害の人の回復は、症状が消えて、
つまらない日常になること」

精神疾患の回復のニライカナイ。
当たり前の時間が当たり前に流れる、平凡な日常。
きっと疾患のない、「普通の人々」が見ている世界。
でも私には、記事で紹介されていた方が「つまらない」と表現した理由が分かる気がします。

私は「躁鬱人」であり、ジェットコースターのような感情の起伏が普通だと感じています。
何なら軽躁に傾いている、アイデアがどんどん思い浮かぶし、いくらでも企画に落とし込めるような自分が「普通の私」だと思っている節があります。
私の場合、軽躁のエネルギーで仕事してしまっている節もある。

コントロールできない感情の波にうんざりしている一方で、このジェットコースター状態でないと物足りなさを覚える自分もいるのです。
ジェットコースターって、楽しいですしね。
躁ってある意味無双状態ですしね。

よく双極性障害の目指すところとして言われている「低め安定」「ちょい鬱寄り」がイマイチしっくりこないのも、この辺りが理由なのではないかと。

(余談。「ニライカナイ」の表現が絶妙!と思ってしまいました。沖縄の文化人類学に興味があって学生時代に少し調べたりしたことがあったので。気になるかたは調べてみてください。)

「つまらない」が怖い?

私が虚しさを感じやすい時は、大体パターンがあります。

1.様々な問題に対して、考えて行動もしたしアプローチもしたのに、何一つ状況が変わらない時

2.何かのプロジェクトだったり、プライベートなイベントを終えた後


1.は色々と働きかけたけど、何も変わらない状態。
2.はあれこれバタバタした状態から解放されて、落ち着いた日々が訪れようとしている状態。
 

一見全然違うように見えますが、共通しているのは「変わらない」「(良い意味でも悪い意味でも)安定」という点。

変わらない状態、安定した状態が訪れるのが怖くて、それが「虚しい」「焦り」という感情になって出てくる。
何としてでも状況を変えて、安定を回避したくて、「破壊衝動」や「燃え尽き」が現れる。
(良い状態の関係を壊したくなるとか、自分の得にならない方向にわざわざ突っ込みたくなるとか、はたまた自分を過剰に責めて落ち込むとか)

私を困らせる破壊衝動や燃え尽きは「つまらない」(≒起伏が穏やか、安定)が怖くて出てくる、ということなのかもしれません。

これが私の中で起きている葛藤の正体?

プチ(自己)破壊衝動についての内容について、

「思い出す準備が出来た自分」と「まだそれをしたくない自分」の間で葛藤が起こってるとかそんな感じだったりして。

とコメントを頂きました。
目標としていた「アロマハンドセラピスト」資格取得と、実母への実践を通じ、多少自分の中で決着がついた部分もあったような気がしていました。
ただ、その後は停滞しているような、前に進めていないような感じがありました。
自分がどうしたいのか、分からなくなってしまったというか。

「思い出す準備が出来た自分」が存在しているのかどうかはひとまず置いておいて。
「まだそれをしたくない自分」が何故したくないのか?については、「つまらない」が怖いから、なのではないかと。

問題が解決した後に訪れるであろう「つまらない」日常を許せるのか、「つまらない」自分を認められるのか。
それが分からなくて、怖いのかもしれません。
解決したくない、という言い方は変なのですが、どこかそう思っている自分は存在するような気がします。
生きづらい、コントロールの効かない自分をもて余す、と思っているのも確かなのに。

そして問題解決が出来た後のことを気にしてるなんて…。
問題に対峙するどころか、その正体を見極めてもいないというかなり手前の段階なのに。
随分気の早い話ですねぇ。苦笑

結局私はどうしたいんだろう

回復した後の「つまらない」が怖くて、それが壁になっているのだとしたら。
もう少し回復した自己イメージを膨らませる事で、怖さは薄れるんだろうか。
どうやればイメージ出来るんだろう。

何だかまたちょっと迷子になっています。

とはいえ、葛藤の正体らしきものは、今回記事にしたことで何となく見えてきました。
結局私はどうしたいのか、もう少し丹念に自分の声を拾ってあげる必要があるのかもしれません。

はて…どうやって?

フォロワーさんからおすすめ頂いた『マインドフルネスストレス低減法』はまだ買えてもいない。
買い物かごに入ってはいるのですが、何故か購入ボタンを押せない。
と言うことは、もしかして私は直感的に、マインドフルネスの実践が良いかもしれないと思っている…?


うーん。堂々巡り。
なかなか一筋縄では行かないですね。
どうしたら「そうしたくない自分」は納得するんだろう。
またヒントを探してあちこちさまよってみます。

*****
プチ(自己)破壊衝動について
その節はご心配をおかけしました…もうしません。

何かしらの手応えを感じたはずだった


そういえばこの本も何となく再読する気になれていない


「生きづらい」は果たして解消できるのか…?


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