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『千と千尋の神隠し』を、「ハクの物語」とする視点を、「いのちの名前」の歌詞考察によって成立させたい

このnoteは、『千と千尋の神隠し』のみならず、『ハリー・ポッター』シリーズ、『ポケットモンスター ソード/シールド』、『魔法少女まどか☆マギカ』の軽微なネタバレに触れています。

ご注意くださいね。

ハクを、物語の軸と見る、見たい。(カオナシではなく)

もちろん、主人公は千尋で、その成長が描かれたのが『千と千尋の神隠し』という映画です。 

また、千尋以外の主人公を見出すとすれば、白羽の矢は「カオナシ」に立つ。というのは、『千と千尋』にハマってしまった人にとっては周知のことかもしれません。(実はwikipediaにも書いてあります)

でも、ハリー・ポッターシリーズをセブルス・スネイプの物語と見る目線、魔法少女まどか☆マギカをほむらの物語と見る目線、ポケットモンスター剣盾をホップの物語と見る目線が可能なように、

『千と千尋の神隠し』を、ハクの物語と見る目線は、成立可能だと思います。この目線エモいんですよ。だから書きました。

テーマ曲が「いのちの名前」というタイトルであること

「いのちの名前」という楽曲に触れないわけにはいきません。タイトルは知らずとも、旋律は必ず聞き覚えがあるはずです。

映画の中で幾度となく流れる旋律で「あの日の川」というタイトルでご存知の方も多いかも。

主題歌である「いつも何度でも」に対し、「いのちの名前」はテーマ曲という位置づけで、この曲にも歌詞があります。そう、テーマ曲なんです。

適宜引用しますが、歌詞全文に興味がある方はこちらから。

詩的な歌詞のため、一概に「この部分は映画のこういう意味」と考察するのは難しいのですが、サビを中心に、映画を思い出させるフレーズがあります。

未来の前にすくむ手足は しずかな声にほどかれて

未来の前にすくむ心が いつか名前を思い出す

1番2番サビの部分。とくに1番の方は、まさに映画序盤のシーン、足がすくんで立てなくなった千尋に、ハクが呪文をかける場面ですよね。

そなたの内なる風と水の名において 解き放て

ここでも「名」が出てきています。

2番で「名前を思い出した」のは誰か

「千と千尋の神隠し」において、"名前"が重要なキーワードになっていることは明らかです。「名前を奪って支配する湯婆婆」「名前を奪われると帰り道がわからなくなる」。そして、クライマックスは、ハクが自分の名前を思い出すシーン。

となれば、先に引用した「未来の前にすくむ心が いつか名前を思い出す」とい歌詞に注目したくなるところ。これがハク視点なのではないか。

先の通り、1番は千尋の歌と読めます。明確に「手足」を「ほどかれ」たシーンが劇中にあるのが決定的。さらに「胸で浅く息をしてた」や「あなたの肩に揺れてた木漏れ日」(ハクの肩。花畑のシーン)も千尋視点に見えてきます。

問題の2番。

劇中、千尋にもハクにも「名前を思い出す」シーンはあるんですよね。でも、僕はこれをハクの視点と読みたい。

つぶれた白いボール 風が散らした花びら
ふたつを浮かべて 見えないは 歌いながら流れてく

終盤で明かされる通り、ハクはマンション建設で埋め立てられた川の主(神)でした。「つぶれた白いボール」「風が散らした花びら」という失われたものの比喩と、この川への言及。

秘密も嘘も喜びも
宇宙を生んだ神さまの子供たち

この部分は千尋の視点としてはスケールが大きい。長命な、人ならざるものの思いを感じないでしょうか。

そして、実はサビが決定的です。

ハクが「帰りつく場所」、千尋

「尋」はwikipediaでこう紹介されています。

尋(ひろ)は、古代の中国や日本で使われた長さの単位であり、現在の日本では主に水深を表すのに用いる。

「千尋」を辞書で引けば、海や谷の深さ、山の高さを表す言葉と見つかります。つまり、千尋自体が「海」のニュアンスを持つ名前なんですよね。

未来の前にすくむ心が
いつか名前を思い出す
叫びたいほど いとおしいのは
ひとつのいのち
帰りつく場所
私の指に 消えない夏の日

川であるハクが帰りつく場所、海=「千尋」。

そして、「私の指に 消えない夏の日」は、ハクと千尋の別れのシーンを歌っていると考えます。

ハクの掌から去っていった千尋

湯婆婆の試練を突破し千尋を手をつなぎ、一緒に走るハク。そして、「私はこの先には行けない」と言い、千尋と別れる最後のシーンがあります。「振り向いてはいけないよ」と教えるところです。

このシーンでは、二人のつないだ手がアップになります。ハクの手が下に、千尋の手が上になっています。

そして非常に細かいカットなのですが、ハクが手を緩め、そこから千尋の手がハクの掌を滑り出るようにしてフレームアウトし、緩んだハクの手だけが画面に残される、という寂しげな絵があるんですよ。

このとき、ハクの手に残っていた千尋のぬくもりこそが「わたしの指に消えない 夏の日」の示すところなのでは、と思います。

いやこれ絶対見てもらわないと伝わらないんですけど、あのシーン本当に「わたしの指に消えない 夏の日」なんですよ笑

楽曲「いのちの名前」は、ラスサビとして2番サビを繰り返して、アウトロへと向かうことになります。

あとがき:ハク→千尋溺愛説

ほぼ、「いのちの名前」の歌詞考察のようになってしまいましたが、映画のテーマ曲がここまで、ハク→千尋への思いを歌詞にしていると感じたことが「ハクの物語」として『千と千尋の神隠し』を読むのも面白いな、と思った理由です。

少なくとも、
川であるハクが帰りつく場所、海=「千尋」
これには確信があります。

僕は『千と千尋の神隠し』のドンピシャ世代(小学生でした)、しかも小学生にしてかなりどっぷりとこの世界にハマった過去が、実はあります。どれくらいかというと、
・市営図書館に行って関連書籍(「千と千尋の神隠しに見る〜」みたいな)を借りて読んだ
・『千と千尋の神隠し』というタイトルで、はじめて二次小説というものに触れた
という2つのエピソードからも、多方面に僕が食指を伸ばしていたことが分かりますね…。

また、「ハクの掌から去っていった千尋」の見出しで触れたエピソード、ここを僕が克明に覚えているのも、映画だけでなくフィルムコミックでに触れたことがあるからです。

『鬼滅の刃』より『千と千尋の神隠し』を聞くことが増え、何かnoteを書きたいと思ったとき、選んだのがこの記事の内容であり、ひいては「ハク→千尋溺愛説」への一票です。

「でも不思議だね、千尋のことは覚えていた」

千尋の元気が出るように
まじないをかけて作ったんだ

「靴を拾おうとしたんだよ」

たぶん、映画の回想シーンで幼少の千尋を助けたときから、ハクは千尋に一目惚れだったんじゃないか、というのは俗な言い方過ぎですね……。でも、映画本編で語られているだけではとても足りないくらい、ハク→千尋の思いは強かったんじゃないかなぁ。

そう考えれば、最初に、油屋の前でハクと千尋が出会ったシーンでの、「ここへ来てはいけない!」の直前の、ハクの一瞬のたじろぎにも、説明がつくように思います。


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