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嘆きの天使 凛として気高く

銀座の古い映画館。深紅のベルベットで包まれた小さめの椅子には、糊のパリッと効いた白いカバーがかけてあった。小さな映画館は掃除が行き届いていて、古い映画を観るには相応しいクラシカルなムードに満ちていた。

1992年。マレーネデートリヒの訃報を耳にした。丁度、近所の本屋でマレーネのシネアルバムに一目惚れし、なんて美しい人だろうと思った矢先の出来事だった。

銀座で追悼上映される話を聞き付け、早速、行ったことがない古い映画館に足を運んだ。

上映されたのは、1930年公開ドイツ映画『嘆きの天使』。ジョセフ フォン スタンバーグ監督。この監督との出会いが、1930年代こぞって女性達がマレーネのスタイルの真似をするまでに、マレーネの美しさを磨き上げたと言われている。

映画は最初期のトーキー映画。画面の光のチラつき具合がレトロな雰囲気。

内容は真面目な大学教授が生徒が持っていた葉書の踊り子を見るため、人生初のキャバレーを訪れる。そしてその美しい踊り子に夢中になり落ちて行くお話。

まだまだ私のイメージしているマレーネとは違うけれど、その凛々しい様はやはり印象的だった。教授やストーリーなどどうでも良くて、ただただ初期の若いマレーネに感動した。

その後ハリウッドで活躍したマレーネ。『情婦』など、凛としてカッコいいマレーネを見た。それはそれで大好き!…だけど、映画というのは、映画を観た映画館の雰囲気までもが映画なんだと思った1本の映画。

noteを書くにあたって、この映画館を探してみたが既になくなっている様子。とても残念だ。いい雰囲気だった。あの映画館で観れたマレーネは格別だったと思う。

ドイツ生まれのマレーネではあるが、ナチスを嫌い、マレーネの大ファンと言うヒトラーの誘いを足蹴りにアメリカ市民権を取得。戦時中はアメリカ軍を慰問してヨーロッパを回る。

100万ドルの脚線美と言われたしなやかな足。ハスキーな歌声。晩年に至るまでステージに立ち続けたプロ根性。身長168㎝とは思えない迫力がある。

そして私の大好きなフランスのシャンソン歌手、エディットピアフの生涯の親友だった。1947年のアメリカ公演で知り合った2人。ピアフが愛したボクサーと知り合ったのもこの年。1949年にその最愛の人が飛行機事故で亡くなり、ぼろぼろになったピアフの支えになったのもマレーネ。その後発表された『愛の讃歌』は日本でも歌われる曲。1963年に亡くなるピアフ。1992年90歳迄生き、晩年までステージに立つマレーネ。ピアフの曲も持ち歌として歌う。

プライベートではカトリック信者として若い時に結婚した夫と離婚出来ずに子供をヨーロッパに置いてアメリカに移住、俳優らと浮名を流す。だからこそ、不倫だけど愛に燃え上ったピアフの気持ちが理解出来たのだと思う。

ある特集番組で、晩年のマレーネがステージに上がる姿を見たことがある。ご高齢にも関わらず身体の曲線が美しかった。相変わらず凛とたたずむ姿さえ神々しかった。カッコいい!!!


昨日の51回目のnoteの映画記事のタイトルをマレーネにしようかと散々悩んでいた。素晴らしい映画体験と言えば、マレーネだから。

1992年以後、私にとって、マレーネは別格の女優さんとして君臨している。生き方姿勢どの点に於いても憧れてしまう。

だけど、昨日は自己紹介にしたかったので、マレーネの紹介は今日にした。あの時手にしたマレーネのシネアルバムを傍らに置きながら…







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