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前世の記憶が指し示すものは。Part4(完結)

こんにちは、ミサンガムーンです。こちらの記事は前回投稿記事の続きになりますので、まだ読んでいない方はこちらから宜しくお願い致します。

さて、2つ目の過去世の記憶を思い出したことによって私は、この人生では自分の夢を全うしながらも、自分自身の幸せと家族の幸せはどちらか一つということではなく、どちらも叶えることができるはずで、それを諦めてはいけないということ、そして息子との親子の時間と絆はやはりどこかで取り戻さなければならないのだろうということを改めて感じていました。

けれども現実は、息子は日本に両親といて、私はアメリカに。両親は私に、「日本でもうまく行かないあの子が、言葉の通じない外国で、しかも日中は仕事ばかりでほとんど一緒に居てあげられないあなたと2人きりでやっていけるわけがないよ。もう日本に帰ってくるしかないと思うよ」と言います。

元々私が海外赴任を決めた時、いきなり慣れない土地で小さい子供を連れて一人で働きながら育てることは難しいだろうとは思いながらも、それでもどうしてもママと一緒にいたいともし息子が言うならば、なんとかして連れて行ってやってみるしかないとも私は考えていました。ところが、息子は何度「ママと一緒にアメリカに行く?」と聞いても「行かない」の一点ばり。まだその時息子は6歳でしたが、私にこう言ったのです。

「そりゃね、ママと離れるのは寂しいなと思うよ。でもね、ママにはママの大切な仕事とか趣味とかがあるのと同じで、僕にも僕の大事なコミュニティがあるんだよ。だから、寂しいけど日本のジジババと暮らす」

これを聞いた私は、本人がそこまで整理しているのであればと、単身赴任の決意を固めたのでした。

その後も日本に一時帰国するたびに「アメリカ来る?」と声はかけてきたのですが、いつも二つ返事で「行かない」と答える息子。単身赴任から4年経った頃には、その決意はもう変わらないし、息子がアメリカに来ることはもう無いだろうと思っていいました。

ところが4年生になると息子の日本での生活は一気にうまくいかなくなり、発達障害による問題行動が原因で学校でも、大好きだった少年野球でも居場所を失い、家に閉じこもりゲーム中毒さながらとなってしまっていた息子。自分の中でもこのままでは駄目だとどうにかやり直すきっかけを探していたような感じもあり、小学4年生の夏に突然「夏休みは一人でアメリカに遊びに行く」と言い出しました。

この時はまだコロナが起きる前で、夏休みといっても私の休みが取れるのはせいぜい2週間がMAX。わざわざアメリカから日本に息子を迎えに行ったり送ったりしていては時間も航空券代もバカにならないので、一人で来て帰れる?と息子に聞くと、うんやってみるとの返事で、息子は14時間半の長距離フライトをわずか10歳で一人往復しました。航空会社の子供単独渡航用サポートサービスのおかげで、機内は楽しく過ごし、アメリカ到着後の入国手続きなどもスムーズに出来たのですが、そうはいっても、息子にとってはまさに「母をたずねて三千里」の大冒険でした。

その夏を2人で楽しく過ごすと息子はボソリと、「まだ自信ないけど、来年からアメリカ来ようかな。」と言い出しました。ここに来てにわかに起き始めた息子の心境の変化に驚きましたが、その年の10月、同じように息子は日本ーアメリカ間を再度一人往復し、滞在中はこちらの学校に体験入学したのです。

2回目のアメリカ渡航で今度はもう少し、自信と確信を深めた息子は、その後しばらくの期間考え悩みつつも、その年の12月、私の日本への一時帰国時に最終的に息子は言いました。

「ママ、俺アメリカに行くわ。本当はママに日本に帰ってきて欲しかったけど、ママは帰ってこないんだよね。それなら自分がアメリカに行く」

こうしてとうとうその年の大晦日、息子は父の付き添いでアメリカに来たのでした。到着後まもなくして息子はインフルエンザにひと冬で2度罹患、ようやく治ると今度はコロナでニューヨークの街中が恐怖の光景になってしまったというお話はまた別途書きたいと思いますが。

とにもかくにも、自分の夢を諦めることなく、でも息子との親子の絆を絶ってはいけない、どちらも両立したいという私の思いは、図らずも息子の「アメリカに行く」という大きな決心によって、その歩みを始めることができたのでした。

私の思い出した過去世の記憶は他にもいくつかあるのですが、それはまたの機会に。思い出した記憶が真実の物語なのか、あるいは単なる私が作り出した幻想、妄想でしかなかったかは証明もできないことですが、それはあまり重要だとは思っていません。

大切なのは今の人生で抱えている問題や越えられない壁、向き合えていない心の奥の想いなどが、過去世の記憶を思い出すことで自分の中で鮮明となり、「この人生では、今回こそはこの課題をクリアするのだ」という道標になってくれたことが、何より一番良かったと思っています。

余談ですが、2つ目のヨーロッパの男性だった時の記憶で、妻と息子を田舎に残したまま都会から戻らなかった私のその後の末路はどうだったかというと。実は案外幸せな老後で、歳をとってから私は自分より20歳以上も若かったであろう2番目の妻を迎え、最期はその優しい妻に甲斐甲斐しく世話をしてもらい看取られて世を去りました。

この光景を見た時、まるで男性が皆夢に見そうな都合のいい話だなと苦笑してしまったのですが、その若い妻は、今の人生では私が勤める会社で一緒に働いていた同僚の女性だったのです。彼女とはなぜか職場の同僚という域を超えてとても気が合い、彼女はとても私を慕ってくれ、私も彼女のことをいつも気にかけ大切に思っていました。アメリカに行って以降も、3回も私に会いに海外に来てくれました。

過去世での関係というのは、いわゆる課題やカルマといったものを解消するための関係だけではなく、こういう温かい関係もあるのだなと、嬉しく思いました。

みなさんも、もし現実の世界でどうにも出口が見つけられない、辛い辛い悩みがあったなら、過去世の記憶を見てみるというのは一つの方法かもしれません。もちろん見え方は人によって様々で、必ずしも参考になる内容が見られるとは限らず、見たことによって余計に惑わされてしまうということもゼロではないかもしれません。

ただ、例えそれがどんな内容であろうと、何かショッキングなものであっても、結局今の自分は今の人生を生きるだけであり、過去は関係ないというのが究極の結論だと思います。そう考えれば、過去の記憶を今を前向きに生きるためのちょっとしたヒントにしてみても良いのかもしれません。

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