第0回 自己紹介
はじめに
今回書き下ろす内容を書籍として出版するとしたら、おそらく「平成の法学徒の令和見聞記」をその書名に付けるだろうと当初は想定していた。現に今筆を執って書き始めて思うのだが、何とも堅苦しい書籍だと思われかねない書名である。
何かの文字を見て紙の辞書を引く習慣がない令和の大学生にしてみれば、iPhoneやAndroidのスマートフォンで「学徒って何なの? Siri 教えて!」と質問し、「学徒とは、学生と生徒という意味であったり、学問を研究している人すなわち学者という意味であったりします。」という風な答えを聞いて、「ウザそう」「小言ばっかでつまんなさそう」「私にはムリなやつ」と直感して手にとることさえ拒まれただろうとイメージできる。出版する際には再考したい。ちなみに、学徒という単語の前に「法」と付いている点が気になった人は「法学部の学生だろう」とか、「司法試験の受験生だろう」とかというイメージが加わり、「頭でっかちの面倒なやつ」「理屈っぽくて即落ちする」「関わりたくないタイプ」ともイメージできるから、そんな書名の書籍にわざわざ手を伸ばすことはしないだろうと思う。いや、そこまで令和の学生諸君に媚びる必要もないかもしれない。何とも悩ましい。
想定する読者
さて、この文章が想定する当初の読者は令和の大学生、進学か就職かで悩む高校生および保護者のほか、進路指導を担当する高等学校の教員であった。が、執筆の構想が大詰めを迎える中で社会人になってから必要になったスキルや知識を追加修得するために再び大学で学び直すというリカレント教育を受講する社会人にも有用であるかもしれないとの気づきがあったため、急遽その内容も追加する形で拡充させることにする。したがって、この文章が対象とする読者は現役の大学生、大学進学か就職かで悩む高校生とその保護者各位、大学生としてキャンパスライフに戻ってきた社会人および進路指導を担当する高校教員である。大学進学を決心している高校生・受験生は想定していない(志望する大学に入学できるよう邁進して欲しい)。
なぜか。それは私がこの文章を書き下ろすにあたって真っ先に読んで欲しい人として想定したのが「現役の令和の大学1年生」だからである。最近の大学ではどこでも当たり前のようになっているため違和感を感じないが、基礎演習とか、First Year Seminar とかという初年次教育は必要とされない時代があった。これも当たり前のように言われてきたことであるが、大学へ進学することを目指す高校生は、高校までの基礎学力をふまえて更に何らかの学問を学修しようという目的をもっていた。そのため自主的に学ぶ姿勢のない「なんちゃって大学生」は最初から相手にされなくて当然だったのである。したがって、初年次教育なるものは必要とされなかった。
現在「現役の令和の大学1年生」に対して初年次教育が必須とされる原因は各自でイメージすれば十分であるから、私がこの文章を読んで欲しい人として彼・彼女らをなぜ想定したかを説明するにとどめておくと、それは大学という空間を経験する目的そのものを、ダイレクトに伝えておかなければならないと感じたからである。
自主的に学ぶ姿勢のないことは令和の大学生に限ったことではないし、大卒の方が高卒と比べて生涯年収が高くなる可能性があるということも事実であるし、友達も大学へ行くから自分も来たというその場の「なんとなく」あるいは早慶やGMARCH、関関同立なら就職できるからという「成り行き」で大学生を演じている大学生も令和の大学生に限ったことではない。しかしながら、大学も大衆化する中で自主的に学ぶ姿勢のない大学生が主流であるという前提になっている点は以前のそれと決定的に異なっている。そうすると、大学という空間を経験する目的すなわち大学生活において最低限学修するポイント的なものやスキル的なものを把握することがムダな四年間としないために大切であると思う。したがって、この把握は大学に進学するかどうかで悩んでいる高校生とその保護者各位にとってその判断材料になるし、進路指導を担当する高校教員にとっては進路指導の際の準備知識にもなるし、リカレント教育を受講する目的をもってキャンパスライフに戻る社会人にとって自分よりも下の世代と一緒に研究する際の心構えにもなると考えられるため、想定する読者は前述のとおりになる。
自己紹介
それでは、この文章を執筆した筆者こと私について自己紹介をしておくことにする。とりあえず私の名前は御蔵大介である。もちろん本名ではない。某受験予備校にて講師をしていた際に、「本名で講師をしていると身元がバレるからペンネームを」と言われて命名したものである。確かに伊豆七島の一つに御蔵島があるが、そこに由来するわけではない。私の家では以前稼業として朝鮮半島から学びに来る学徒向けに布団を卸す仕事をしていたことがあるらしく、そのとき「御蔵布団店」と言っていたらしい。また、大介の方は山下大吾選手から頂戴すると世代がバレるかもと頭を過ったこともあり、ラグビー日本代表であった大畑大介選手から頂戴することにした。
さて、私こと御蔵は、地方の片田舎で高校まで生活していた人間である。都会での生活に憧れて都内の大学に合格できたお陰で上京し、大学生活なるものを体験した昭和生まれの人間である。同級生には同い年の学生もいれば、大学8年生もいたし、社会人学生や留学生もいた。特に鮮明に覚えていることは、附属高校から大学へ進学した同級生達の垢抜けぶりや、都会で育った自宅生達の基礎学力の高さだった。前者は率先して入学直後の花見の宴会を仕切るハイスペックな若者だったし、後者はペラペラの語学力を活かして外国人教員との議論を平気な顔をして展開するバケモノだった。一方の私は慣れない都会での一日一日の生活に四苦八苦しながら、その残りの時間を可能な限り本日の講義の復習と翌日の講義の予習に充て、皆に追いつこうとするが追いつけないままに大学生をやっていた。上京して1ヶ月もしないうちに布団にカビを生やしてしまったぐらい悪戦苦闘していた事は苦い思い出なのだが、今では良い思い出の類であると考えるようにしている。
それでも1年生の頃は法学部に入学したのだからと司法試験の受験を志しながら勉学に励んでみたし、入学した学部のシラバスやカリキュラムを眺め自分に対して何が求められているのかを考えながら履修登録した講義を受講して、期末試験で単位の取得を目指して取り組んだ。この1年間の試行錯誤のお陰で、2年生以降は講義以外の自由時間の確保を考えながら履修登録できるようになったし、大学外での社会勉強も少しずつ増えていった。時にはヤバそうな体験もしたし、時には何も手につかないぐらい落ち込んだ体験もした。これらを4年間、乗り越えた結果か゚法学学士(現在で言うところの「学士(法学)」)の修得だったと思う。
以降の構成
要するに、これから後の文章は、過去平成の時代に学卒を修得した御蔵が、令和の大学生を観察してみて見聞したことについて、自身の経験や蓄積した知見をふまえて教え子達に接し、そこで思い出となっている物語の中から一部を選んで書き下ろしたものとである。但し、初年次教育的な読み物を意図するためエピソードに対する所見を披露するだけではなく、大学において基礎学力として求められるポイントや高卒までに修得しておいた方がよいスキルや大学生に必要となるスキルに関係するタスク・課題を補足するものとなる。
したがって、それぞれの講について(1)エピソード、(2)所見、(3)ポイント、(4)タスク・課題という構成で整理し書き下ろしていく。そのため場所によってはぎこちない文章となるかもしれないが、ご宥恕いただきたい。また、自分にとって関心のある講のみを拾い読みしていただくだけでも十分であるから、順番どおりに読む必要はない。そして、必要に応じて読み直していただくだけでも十分である。
書き下ろした項目は現時点で次のとおりである。
第1回 :大学という空間【脱稿しました】
第2回 :入学前説明会など【脱稿しました】
第3回 :履修登録とコース再編【脱稿しました】
第4回 :講義の受け方【脱稿しました】
第5回 :個別指導の受け方【脱稿しました】
第6回 :リアクションペーパーの書き方【脱稿しました】
第7回 :レポートと筆記試験の違い【脱稿しました】
第8回 :成績評価とGPAについて【脱稿しました】
第9回 :大卒資格の理想はプライスレス【推敲中】
第10回 :大卒資格が無価値になるとき【推敲中】
第11回 ∶教え子という財産、恩師という財産【推敲中】