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大丈夫は自分に言い聞かせるための言葉じゃない

思い返せば 小学校の高学年に上がる頃から、どの担任の先生も決め事で真っ先に指名するのはいつも私だった。もちろんそこで頼まれた仕事は抜かりなく全うしてきた。だから当然周りからも慕われるようになり、何かあれば“頼れるいとちゃん”にみんなが声をかけてくれるようになった。

別に頼られることはきらいじゃないし、常に何かしらの仕事に取り組み、やることが目の前に積み重ねてあることには慣れっこ。むしろ自分がその度に周りから認められる気がして、いつの間にか“頼れるいとちゃん”こそが私だった。

にんげんって不思議なことに、ある程度以上に自分自身に「大丈夫」って言い聞かせ続けると、本当に何でも大丈夫な気がしてしまう錯覚に陥るようになる。例えそれがどんなに辛くても、自分でも気が付かないうちに大丈夫、と口にしてしまうのが当たり前になる。

次第に私は「助けて」が言えなくなり「任せて」が口癖になった。周りの人たちは「よろしく」とだけ言って「ありがとう」とは言わなくなった。

いつも通り「大丈夫、任せて」を口にしていた二年前の秋、とうとう自分自身を見失った。

いつしか“頼られること”に慣れすぎてしまった私は、“頼ること”が出来なくなった。三度目の記念日を迎えるはずだった恋人と別れたのも、この頃だった気がする。誰よりも支えあっていた恋人にすらうまく頼ることが出来ず、何もかもを重荷に感じるようになったのだった。

親友ですらそんな私に気づくことはなく、ただ時間ばかりが過ぎていたある日、

「一回深呼吸してみ、大丈夫だから。大丈夫、って自分で言ってる時のいとは、なんだか無理してるように見える。」

と、声をかけてきたクラスメイトがいた。その瞬間、まるで今まで私の感情につかえていた何かが外れた気がした。ほんとうは全然大丈夫なんかじゃなかった、いつだって辛くてしんどかった、全然余裕なんかなくて、ずっとギリギリを生きていた、誰でもいいからありがとう、とか、がんばったねと言って欲しかった

“頼れるいとちゃん”だった私に頼ることを教えてくれたのは、私が大丈夫だと自分で言い聞かせる代わりに大丈夫だよと傍で励ましてくれたのは、私の好きなひとだった

自分に言い聞かせるための「大丈夫」は、ただ苦しみを紛らわせるための麻薬だった。けれどあの日きみが私にかけてくれた「大丈夫」は紛れもない魔法の言葉だった。

大丈夫だと言ってくれる彼とも、明日で会えなくなってしまう。もっともっと、私は強く一人で生きていけるようにならなくちゃいけない、そう自分に言い聞かせている私は また昔の自分に戻ってしまいそうだ。

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