花は散るから美しい|祖母の死を受け入れられなかった10歳の私
こんにちは。宝条実空です。
今日はぽかぽか陽気でとっても気持ちが良いです(*´ω`*)
もう桜が咲いているところもあるとか。
私が住んでいる地域はまだまだ先のようですが、これから桜が見れるの楽しみです。
満開の桜も良いけど、散り際も素敵ですね。
昔、キャンディ・キャンディという漫画にこんなセリフがありました。
この言葉がとても印象に残っていました。
10歳のときに一緒に住んでいた祖母を亡くし、その事実が受け止めきれなくて、言葉で説明できない喪失感がありました。
ただただ悲しい。
思い出すと悲しくなるから、なるべく考えないようにする。
それまで大人は泣かないものだと思っていました。
ですが、父も母も親戚も、みんな泣いていたのです。
その光景が私には異常に感じ、子供ながらに「とんでもない事態になってしまった」と感じました。
あの厳格な父が泣いている。
ただ事ではない。
普段怒ってばかりの兄も泣いている。
いつも家にいるおばあちゃんがいない。
死ってなんだ?
人がいなくなるってどういうこと?
家の中には確かにおばあちゃんがいた形跡がある。
だけど座布団はぽっかり空いていて、家の中がいつもより広く感じる。
ふすまを開けたら、おばあちゃんの「あら、来たの」という声がいつも聞こえた。
今日もふすまを開けたら聞こえる気がする。
もしかしたらと思って開けてみる。
けど、やっぱりいない。
人の死というものが初めてだったので、頭で処理ができずにいました。
それから数年経っても、祖母が亡くなったことが実感がない。
悲しくなるから考えないようにしていました。
そんなとき、キャンディ・キャンディのこの言葉を見つけます。
あぁ、そっか。
悲しんでばかりじゃ駄目なんだ。
私はおばあちゃんが大好きなのに考えないようにしていた。
でも記憶はきれいに残っている。
姿は見えないけど、私の中ではおばあちゃんが見守ってくれている。
いつでもおばあちゃんが見守っているから、
良い子でいよう。
良い子でいて、おばあちゃんに安心してもらおう。
勉強も頑張ろう。習い事もサボらず練習しよう。
悲しまなくても、心の中で生きている。
そう思えるようになり、祖母の死をやっと受け入れられました。
父親が酒乱で暴れたとき、止めてくれたのは祖母でした。
その祖母がいない。
私の家はこれからどうなるんだろう。
お母さんは大丈夫かな。お父さんに殴られたりしないかな。
いろいろな不安はありました。
けれども、現実は進んでいきます。
大変なこともあったけど、ひとつずつ乗り越えて、酒乱の父も今はかなりおだやかになりました。
何度もバランスは崩れかけたけど、それでも持ち直して家族を続けられている。
おばあちゃんがずっと見守ってくれているのかな。
桜の話から脱線してしまいましたね笑
花は散るからこそ、咲いている時が尊く美しく感じます。
私も生きていることを粗末にせず、一瞬一瞬を大切に生きていきたいです。
人生で今日が一番若いから٩(*'ω'*)و
週末も大事に過ごそう。
皆様も素敵な週末を。
それでは、また。
宝条実空より
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