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レビューとレポート第22号特集「削除された図式/THE SIX MAGNETS」 5 歴史を召喚する天使の作法 「削除された図式」展レビュー アライ=ヒロユキ

 歴史や史実に対する批評や表現は、多くが視点の固定された絶対主義の立場を取ることが多い。しかし「現在」を生きる者は、そのうちに過去を内包する、あるいは過去の結果としての状況を生きている。そこに絶対主義的視点で捉えきれない「真実」があるのもまた確かだ。半田晴子の企画した「削除された図式」展は、そうした真実に届く複雑なひだを持った企画と言える。

 この「削除された図式」展は、2020年8月6日〜24日に東京・両国のART TRACE GALLERYで開催された。個展ではなく、半田のほか、荒木佑介、田巻海、平間貴大、三輪彩子、室井良輔が出品している。本展について筆を進める前に、序章となる同所での半田の個展、「after FRONT」展(2018年5月27日〜6月18日)に触れておく必要があるだろう。
 「after FRONT」展は、日本帝国の実質的な植民地だった満州国のプロパガンダ政策を題材にするもの。企画意図から半田の言葉を引用する。「戦前『満洲国』と呼ばれた日本の植民地は私の父親の生まれ育った場所であり、また祖父が『新しい国家』建設に関わり挫折した場所であった」。彼女の出自に関わる興味と言えるが、戦前の日本帝国が行った政治的プロパガンダは現在の日本の右傾化に直結する問題でもある。ここに彼女の時事的な関心、動機もあったことは想像に難くない。
 このプロパガンダを担った媒体のひとつが『FRONT』というグラフ雑誌で、主に対外発信に用いられた。そこでは「五族協和」と称された民族平等、開明的な国家建設が強調され、満州国が日本帝国政府およびかの地に駐屯していた関東軍の傀儡国家である事実を糊塗する役割があった。副題に「ポストトゥルースと満州国」とある。半田にはマスメディアが流布する情報や表象との実態のズレを指す「ポスト真実」という極めて現在的な社会現象を、過去のプロパガンダ政策に重ね合わせて問いかける意図もあった。
 半田は『FRONT』の写真素材を断片化し、反復することで、虚偽でありながらも、情報がつくり出す「もうひとつの現実」のありようへの意識喚起を行った。反復には快楽的なリズムがあり、そこに社会主義のプロパガンダとは異なる、資本主義やファシズム固有の映像コードを可視化し、拡大させたものとなっていた。
 さて、「削除された図式」展は半田が「after FRONT」展で問いかけた問題意識を発展させたものとなっている。それは言論・表象空間に留まらず、満州国を都市環境の視点から捉え直す意図を持つ。ここで彼女は現代の都市計画の古典、エベネザー・ハワードの著書『明日の田園都市』(初出は1898年)をモチーフに選ぶ。
 この本の元々の題名は『明日―真の改革にいたる平和な道』。しかし「真の改革」が「共産主義を連想させ、投資家たちが嫌ったから」、1902年版では題名が変更されたと訳者の山形浩生は指摘する。同様に、「行政:俯瞰図」と「補遺:水の供給」の章も削除された。ここには政治的理由で歪められた都市計画の史実がある。半田は再版の際に同書から削除された箇所を想起しつつ、現代の都市計画なり国家建設が置き去りにしたもの、あるいは隠蔽したものを探ろうと試みる。そこで彼女が参照の対象としたのが満州国だ。
 現代の都市と国家のオルタナティヴを考える際、満州国は格好の素材と言える。確かに傀儡の植民地であるが、都市計画、行政、文化などにおける「挑戦」が試みられた場所であり、強い「魅力」を放っていることは否定できない。キリスト教者で人道的思想家、社会改良家であった賀川豊彦は「日本が行なった侵略のうちで、満州国だけはロマンをもっています」との言葉を残している(武藤富男『私と満州国』文芸春秋、1988年、山室信一『キメラ―満洲国の肖像』中央公論新社、1993年)。
 切断されたように語られる日本帝国と戦後の日本国だが、実際は連続性がある。ここで当時の行政事情を振り返ってみよう。
 1930〜40年代のいわゆる革新官僚は統制経済の政策を実施したが、同時に福祉の向上にも力を注いだ(1944年に改称制定された厚生年金保険法を筆頭に、各種保険は30年代末から整備された)。これは人材(材料としての人間)の有効活用の意図があるだろうが、かれらの推し進める政策は社会主義的と呼ばれ、じっさい社会主義からの影響を受けていた。かれらの施策は満州国での実験を元にしたものであり、その担い手の代表例に岸信介がいる。また満州国には国内で閉め出された「アカ」的な人材が流れ込んだ側面もある。日本の帝国主義政策の先兵でもあったコングロマリット、満州鉄道はそうした人材を多々抱えてもいたのは有名だ。
 満州国は戦後日本の雛形の意味合いがあることがわかるだろう。行政施策の継続性、思想的な「多様性」、そして国家理念の虚無さ。戦後に帝国主義を完全に払拭し得ない日本国は、そのイデオロギーだけでなく夢想もまた抱え込んでしまっている。この歴史に対し、展示はどう応えただろうか。
 半田は前回の個展と同じく、『FRONT』の断片の反復写真を展示するが、それとともにかつての満州国の首都・新京でいまは長春と呼ばれる中国の都市の写真に同様の処置を施し、展示する。これは史実を過去に押し込めず、現在の時代において想起するニュアンスを強めている。
 同時にハワードの著書『明日の田園都市』の理念を図示した都市計画概念のチャートをキーイメージに掲げ、新京の人工的な都市地図と関東大震災後に復興した東京市の地図を重ね合わせる。ハワードを淵源とする帝国主義下の「先進的」な都市計画は、いまも中国と日本に残響として残っていることに気づかされる。

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 田巻海は既存の建物の写真を木材にプリントして展示。半田の視点を受けて過去と現在の間をつなぐとともに、ズレによる違和感や異化を空間にもたらす。三輪彩子はベニヤ板に描画した作品が壁に掛けられている。都市生活なり消費生活の「虚」を描いたものだろう。木材を貼り合わせた可動式の直方体は現代社会の流動性をあらわすであろうが、後で記すように別の意味も醸成する。

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 ハワードの田園都市構想は、都市、農村、そして両者をつなぐ郊外の三要素から成り立っている(町・いなか・町いなか)。これはロンドンのような混沌の大都会の弊害を、自然との共生によるダウンサイジングでかなえようとしたものだ。こうした理想都市は、19世紀のユートピア社会主義の実験コミューンと精神的な親戚関係にある。ハワードの建築思想にもそうしたユートピア主義の影響がある。
 満州国も、社会主義を経由しない日本版ユートピア主義の要素が多分にあり、そこには唯物論が峻拒した精神主義的思想、ありていに言えばオカルティズムや宗教思想も関わっている。満州国には道教の流れを組む道院・紅卍字会(こうまんじかい)が大きな勢力を張ったが(その後裔がいまもある世界紅卍字会)、その精神的な同盟者が大本教の教祖的存在、出口王仁三郎であった。
 大本教は国家神道の敵として弾圧を受けたが、一方で政府や軍に強い影響力を持った。終末論的思想を持つ石原莞爾が、出口なおの神諭「世の立て替え立て直し」を奉じる出口王仁三郎に傾倒していたことはよく知られている。つまり右からの革命(大正維新)、霊的ユートピアの夢想もまた満州国に込められていた。
 「しかし、王仁三郎もまた、それ(筆者注:日本の大陸侵略政策に利用されたこと)を逆利用したともいえるのであり、彼の蒙古入り、そして満洲事変における対応は、地獄への道を『日の出の守護』に切りかえるための努力であり、日本の侵略政策を霊的指導原理によって奪回収斂しようという試みであったといえよう」(武田崇元『出口王仁三郎の霊界からの警告―発禁予言書に示された、破局と再生の大真相』光文社、1983年)。
 荒木佑介は、自作《幻の事実―新京市街図》についてこうコメントしている。
 「満洲の新京と、イギリスのロンドンと、日本の東京。この三つの都市をどのように繋げることができるのか。それも考えたいと思いました。何点か作品を作りましたが、全体のタイトルは『幻の事実』です。幻のようであるが、事実として確かにあった。そういう意味合いで使っています。まず、新京市街地図を図案化したミステリー・サークルがあります。イギリスと田園、この二つのキーワードから連想したものがミステリー・サークルだったわけですけど、半田さんが満洲でハワードを思い出したという話が『満洲でイギリスを幻視した』という風にも聞こえたことがこの連想に繋がってます」。

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 荒木はハワードのチャートを新京(満州国の首都)に当てはめたかたちで、人工芝の上に紋様を描いた。ミステリー・サークルとはイギリスの田園地方に出現する草をなぎ倒した「輪」の図像のことで、UFOのしわざとしばしば喧伝された。本作はむしろヘリポートのようにも見えるが、依り代のような性格を持つだろう。満州国の不条理性、非合理的情念を、作家が直観的にあらわしたものに思う。彼は展示に裕仁(昭和)天皇と愛新覚羅溥儀(満州国の皇帝)の東京駅での握手の写真を加えているが、これは傀儡国家への天皇制の関与の言及だ。

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 これと関連するのが、室井良輔の《神棚としての建築模型》だ。これには国家神道が植民地主義に果たした役割の示唆がある。日本帝国は支配域の各地に国家神道の神社を作った。形式的に独立国の満州国に日本帝国は神社を作らなかったが、建国神廟は建立された。祭神は天照大神で、実質的に国家神道の宣教機関だ。
 近代の都市計画や大建築のような国家運動やプロジェクトを支配する不合理な情念。半田の前回展がポスト真実に関わるものであったことを想起したい。現在の日本社会は日本会議のような右派政治集団が政治を壟断するが、これにネオ国家神道のような動きも連動しており、さらに荒唐無稽な右派の陰謀論も拡散する。そうした状況への射程が展示にはある。

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 室井は都市計画を象徴させるものとして、洗面化粧台などの水回りの展示を会場に設置。そこには塩ビ管の配管も含まれている。塩ビ管については平間貴大も同じで、呼応するように音響オブジェが配置されている。
 洗面台や配管の顕在は建築構造の可視化だけでなく、事務オフィスが裏側に隠しているものの「生々しい」「裏返し」でもあり、空間全体の反転の意味を持つ。三輪彩子の可動式の木材の直方体という、本来壁の内側にあるものの展示もその効果を強める。
 この反転の対象は歴史でもある。過去が現在であり、現在が過去。荒木は「幻視」という言葉を使うが、現在と過去がレイヤーのように重なるのではなく、緊張感をはらんだ生々しさを持つ反転空間として構築されている。
 室井良輔や平間貴大は、削除されたハワード構想の「補遺:水の供給」への参照の意味づけを与えられている。「行政:俯瞰図」のほうは荒木佑介と室井だろう。そこに近代の思想や理念の裏側にうごめくミステリー・サークルや神棚が挿入される。半田の写像の反復リズムは、そうした要素を補強する意味合いも持つ。平間の音のオブジェは音の反復として同様だが、残響は記憶≒歴史の意味も含んでいるだろう。


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 ハワードのくじかれた構想、満州国の裏切られた理想。半田によるハワードの著書から失われた「削除された図式」の検証過程は、満州国を生んだ日本帝国主義の検証行為のパラレルな象徴として機能する。
 この二重の歴史検証は、人権や平和などの戦後理念が空白化した現在の政治状況の考察にもつながる。これが静的な幾重にも重なる透明なレイヤーでなく、互いに侵蝕し、溶融し、往還する動の空間であるのは巧みな構築ゆえだろう。
 この浸潤と錯綜の空間を語るに際し、「予型/予型論」(Type/ Typology)という言葉を用いてみたくなる。キリスト教の新約聖書は、旧約聖書を教義に取り込むに当たって、過去の出来事の中に後の世の出来事が顕現されているという理論を作りあげた。ヴァルター・ベンヤミンはこれを援用し、過去の中に未来を予兆として見て、時代への警句を残した。いまこの時代にも、そうした作業が必要だろう。振り返って満州国を見たとき、あなたはそこにどのような予兆を見出すだろうか。

 「『新しい天使』と題されたクレーの絵がある」「この嵐が彼(筆者注:天使)を、背を向けている未来の方へ引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ」(ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」『ベンヤミン・コレクション1―近代の意味』筑摩書房、1995年)

アライ=ヒロユキ(美術・文化社会批評)

トップ画像:半田晴子
展示会場撮影:田巻海

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削除された図式/THE SIX MAGNETS
企画者:半田晴子
参加作家:荒木佑介、田巻 海、半田晴子、平間貴大、三輪彩子、室井良輔
会期:2020年8月6日(木) – 8月24日(月)
会場:Art Trace Gallery
http://www.gallery.arttrace.org/202008-handa.html
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レビューとレポート第22号特集「削除された図式/THE SIX MAGNETS」
1 はじめに/「削除された図式」の行方を追って 半田晴子
2 「日本・現代・美術」の明日は何処に?〜「削除された図式/THE SIX MAGNETS」レポート  福居伸宏
3 アーティスト・トーク(作品解説) 荒木佑介・田巻海・半田晴子・平間貴大・三輪彩子・室井良輔
4 展覧会について 荒木佑介・半田晴子
5 歴史を召喚する天使の作法 「削除された図式」展レビュー アライ=ヒロユキ

レビューとレポート第22号(2021年3月)