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大阪の日本画と「近代美術」|大阪の日本画展レビュー 石井香絵


 大坂画壇という名称が現在一般的に浸透しているとは言い難い。画家や絵師といえば東京(江戸)や京都のイメージが先行するし、実際に二都を拠点に語られる場合が大半である。国内外の文物が集まり商工業の要所であった大坂は独自の文化を発展させる土壌に恵まれていたが、木村蒹葭堂や耳鳥斎など個別の画家が注目される場合はあっても画壇として概観される機会は少なかった。その研究は今日着実に進みつつあるが、中谷伸生『大坂画壇はなぜ忘れられたのか―岡倉天心から東アジア美術史の構想へ』(醍醐書房、2010年)あるいは京都国立近代美術館で昨年開催された「サロン!雅と俗―京の大家と知られざる大坂画壇」展などの近年の書籍や展覧会タイトルからも本テーマがいかに未開拓分野であったかが窺われる。

  「大阪の日本画」展は近代の大阪を拠点とする日本画家たちを総覧した過去最大規模の展覧会である。近代の大阪画壇もまた近世と同様あるいはそれ以上に光の当たる機会が少なく、本展は大阪市立近代美術館建設準備室時代を経て昨年開館した大阪中之島美術館の存在意義を改めて周知させたといえる。多くの人にとって大阪の文化レベルの高さや特有の教養は馴染みの薄いものかもしれないが、その確かな文化基盤は画家の集まる風土を形成し、また同時に併せ持つ前近代的な側面が歴史に埋もれる原因ともなっていた。本展図録で明尾圭造は、大阪は近代美術の振興に重要な施設(美術館)、教育(美術学校)、組織(団体)などの公的な事業展開に弱い傾向があったと指摘している(註1)。現にこの地では画塾が一般的で学校制度は馴染まず、公募展で入選できる人目を引く作品よりもパトロンの求めに応じた床の間に映える作品制作が重視されていた。林野雅人によれば、大阪の画家に求められた条件は展覧会での活躍もさることながら、絵画以外の芸事に長け、パトロンとともに文化的な交遊ができる教養を持つことであった(註2)。そのあり方は画家の置かれた立場としてはむしろ時代を超えて普遍的であるものの、出品歴や画壇史を中心に編まれてきた近代美術史の視点からは見過ごされる傾向にあった。本展はそうした歴史研究の偏り自体を問い直す内容であったともいえるだろう。

 大阪の日本画を代表する一角となるのが文人画(南画)の系譜である。中国の文人・士大夫がその思想を表現した画賛と山水図の様式は江戸中期に日本に伝わり流行したが、維新後は欧化主義の時勢に合わず衰退に向かった。しかし文人画の栄えた大阪では明治中期以降も盛んに描かれ、本展でも多くの画家が紹介されている。近世以来の中国趣味が色濃く残り漢詩文を解する市民が多く住む大阪には、森琴石、田能村直入、姫島竹外など数々の優れた文人画家が集った。本展第四章「文人画―街に息づく中国趣味」には幕末から昭和に至るこの地の文人画が並び、歳寒三友図や武陵桃源図などの伝統的な画題と技法に囲まれた、近代絵画の展示とは思えない空間となっていた(図1)。大阪に息づく文人画の命脈は矢野橋村らによる大正期の新南画を生む土壌となり、また文人たちが交遊しその書画が広く求められ飾られる旧来の習慣も長く保持されることとなった。


(図1)河邊青蘭《武陵桃源図》明治41年 大阪中之島美術館蔵


 文人画と並ぶ大阪の伝統的な日本画の系譜であるのが、船場(せんば)の商家を顧客とした四条派の流れをくむ画派である。大阪の経済を支え、町人文化の中心地であった現大阪市中央区に位置する船場界隈には多くの商家が軒を並べ、屋敷の広間や床の間を飾る季節ごとの掛け軸や、手にとって眺められる画帖が求められた。そうした裕福な市民をパトロンとする画家たちは、幕末から活躍した西山芳園・西山完瑛、明治期に京都から移住した深田直城、自らも船場に育った庭山耕園らを師とする一派で、京都で隆盛した円山・四条派をルーツとしているため大阪における四条派の展開と見做されてきた(註3)。本展では従来の括りに留まらずその系譜を「船場派」と称し、第五章「船場派―商家の床の間を飾る画」にて大阪固有の画風や受容形態を浮き彫りにさせている。注文主の希望をもとに描かれたであろう会場に並ぶ船場派の作品は、多くが花鳥画や大阪の名所絵で、制作年の判明しているものは少ない(図2)。奇抜さの無いあっさりした作風は展覧会場では印象に残りにくいが、それらは元々ホワイトキューブに陳列されることは想定されていないし、顧客に恵まれた船場派の画家たちが公募展に出品することも少なかった(註4)。船場派の画家たちはその性格上おそらく本展でも特に全国的な知名度が低く、今後の研究の進展が大いに期待される。


(図2)武部白鳳《泊船図》明治〜昭和初期 大阪中之島美術館蔵


  そして五十名を超える出品作家のなかで、特に際立った存在感を見せるのが菅楯彦である。軽妙な線と鮮やかな色彩で大阪の伝統や風習を描いたその作品は「浪速風俗画」と称され、技法・画題ともに独自の画境を体現している(図3)。漢学を学び舞楽や有職故実の研究に邁進した楯彦は、画人であり大阪を代表する知識人でもあった。楯彦は最初の大阪市名誉市民に選ばれるなどの功績を残しており、本展では最も大阪的特質を示す画家と紹介されている。しかし一方で、大学や美術学校・画塾に通った経歴を持たず公募展からも距離を置いた活動は、近代美術史の観点から充分に評価されているとは言いがたい。街に残る、あるいは近代化で失われた人々の生活や祭礼を生き生きと描く楯彦の作品は無二の魅力に溢れ、見る者の目を愉しませるだけでなくその背景となる文化への興味や郷愁を掻き立てる。


(図3)菅楯彦《赤日浪速人》昭和30年 大阪中之島美術館蔵


 妖艶な人物画で知られ、多くの弟子を輩出したのが北野恒富である。近代大阪の日本画家として現在おそらく最も知られているのが恒富だが、本展では個としての作品の強さのみならず、後進に与えた多大な影響が印象的であった。女性画家が多いのは大阪画壇全体の特徴だが、恒富が主宰する画塾白耀社においてもその傾向は顕著で、島成園や木谷千種、中村貞以など大阪を代表する画家が知られている。恒富らの描く女性像は大別すれば美人画の系譜であるが、型にはまった美人像とは異なる多彩で時に可笑しみや怖さを孕む表現が展開される(図4)。本展の東京会場である東京ステーションギャラリーではかつて北野恒富展が開催され(註5)、近年では2021年の「コレクター福富太郎の眼―昭和のキャバレー王が愛した絵画」展でメインビジュアルに、心中をテーマにした恒富の《道行》が起用されたことは記憶に新しい。本展では恒富の作画スタイルが個人を超えて後続の大阪の画家たちにそれぞれ受け継がれ花開いていった様子を窺い知ることが出来る。


(図4)中村貞以《失題》大正10年 大阪中之島美術館蔵


 今回出品されたのは、全て日本画家による肉筆絵画である。洋画家は取り上げられていないし、また挿絵などの新聞社や出版社との仕事は大阪の美術を知るうえで重要だが、印刷媒体での活動は図録の論考や解説文での言及はあるものの作品は展示されていない(註6)。今回の展示は近代の大阪画壇という漠然とした大きなテーマを分かりやすく概観することが目的と考えれば、まさに入門編のような展示構成であったと捉えられる。現に大阪中之島美術館では年末に「決定版! 女性画家たちの大阪」展が予定されるなど個別分野での調査が進んでおり、今後も開催館に限らず広く大阪画壇の発掘や考察が進むことが望まれる。大阪の画家はこれまで京都画壇や関西の美術動向などの括りで言及される場合が常であったが、本展は美術史の文脈において曖昧であった大阪という場所の輪郭をより明確化する試みであったと言える。


(註1)明尾圭造「日本美術史に残された秘境―大阪画壇の魅力」『大阪の日本画』(大阪中之島美術館・毎日新聞社、2023年)、230-232頁。
(註2)林野雅人「大阪で生まれた日本画」前掲『大阪の日本画』、8-15頁。
(註3)橋爪節也「“大阪イズム”大阪画壇の復権と特質」『サロン!雅と俗―京の大家と知られざる大坂画壇』(京都国立近代美術館、2022年)、276頁参照。
(註4)林野雅人「船場派と床の間芸術」前掲『大阪の日本画』、161頁参照。
(註5)「北野恒富展―浪花画壇の悪魔派」東京ステーションギャラリー、2003年2月1日〜3月23日。
(註6)本展第六章「新しい表現の探求と女性画家の飛躍」解説文では大阪の新聞社・出版社と画家との関わりについて触れられている他、図録に田中晴子「大阪の新聞連載小説の挿絵について―野田九浦を中心に 北野恒富、矢野橋村」(前掲『大阪の日本画』、233-236頁)が掲載されている。


画像提供:大阪中之島美術館


謝辞:本稿掲載にあたり、大阪中之島美術館および東京ステーションギャラリーにご協力いただきました。改めて御礼申し上げます。



概要

大阪展(終了)
大阪中之島美術館
2023年1月21日 – 4月2日
10:00 – 17:00(入場は16:30まで)
休館日 月曜日(3/20を除く)休館
https://nakka-art.jp/exhibition-post/osaka-nihonga-2022/


東京展(終了)
東京ステーションギャラリー
2023年4月15日 – 6月11日
10:00 – 18:00
休館日 月曜日[5/1、6/5は開館]
※金曜日は20:00まで開館 ※入館は閉館30分前まで
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202304_oosaka.html


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石井香絵(いしいかえ)
美術史研究者。専門は明治期洋画を中心とする近代日本美術史。早稲田大学ほか非常勤講師。共著に人間文化研究機構国文学研究資料館編『木口木版のメディア史―近代日本のヴィジュアルコミュニケーション』(勉誠出版、2018年)、論文に「幕末明治初期京都と田村宗立考​​」増野恵子​​他編『もやもや日本近代美術―境界を揺るがす視覚イメージ​​』(勉誠出版、2022年)など。


石井香絵さんによるテキスト


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レビューとレポート第50号