「このマンガがすごい!」の"すごい理由"を探る - 『ロボ・サピエンス前史』 島田虎之助
人々が自由に発信できるようになり、権威は終焉を迎えた。
ベネズエラ貿易産業大臣を務めたモイセス・ナイムは、『権力の終焉』の中で、21世紀社会をそう論じました。
権力の終焉は、カルチャーの世界でも同様であると感じます。
「〇〇賞受賞」は、"やすいマーケティングコピー"に成り下がっている。
消費者の多くは、受賞作品に価値も注意も払わず、自分の趣味の延長上にある作品を、過去の経験から来る類似を、求めるに過ぎないように思います。
その良し悪しは、置きます。
私としては、「今までにない」を欲しているので、毎年のマンガ賞の発表を楽しみにしています。
それは新しい世界へアクセスする為の、絶好のエントランスです。
「〇〇賞受賞」作品は、とはいえ、何も考えずに「オモシロイ!!!」とならないことが多いです。
それはおそらく、選ばれる作品が、新しい表現に挑戦していることが多いから。
作家の挑戦に対し、読者である私たちも追いつこうと背伸びをしないといけない。そうしたとき、ようやく「新しい世界」が見え始めてくると思います。その作品の受賞理由が見えてくると思います。新しい価値観や視点が手に入れられるようになると思います。
そうした背伸び的な消費こそ、私が求める文化消費のあり方です。
この記事では、 島田虎之助著『ロボ・サピエンス前史』 の卓越に近づこうと、同作を深掘りしてみます。
何がいいのか・何がすごいのか、凡百の作品と何が違うのか、考えてみます。
上記作品は、
宝島社『このマンガがすごい!2020』〈オトコ編〉2位にランクイン
「第23回文化庁メディア芸術祭マンガ部門」で大賞を受賞
第49回アングレーム国際漫画祭 ノミネート作品
と、国内外で好評を得た作品です。
『ロボ・サピエンス前史』のすごい!とは何なのか、改めて振り返ってみます。
概要
(試し読みはこちら)
本作は、ロボットとヒトの織りなす幾つか物語が、オムニバスの形式で展開していきます。
試し読みでは、かつての恋人ロボットの探索を依頼されたサルベージ屋の話。続話では、被爆した工場の放射線半減期までの工場監視を依頼されたロボットの話、人類の移住可能な惑星を外宇宙へ探索するミッションを託されたロボットチームの話などが語られます。
それぞれのストーリーがゆっくりと収斂していくラストは必見です。
絵の"違い"
この作品はかなり静かなデザインで描かれています。
少年マンガにありがちな、ポップなオノマトペや必殺技。少女マンガにありがちな、鮮やかトーンや濃い人間ドラマ。青年漫画にありがちな、リアルな風景や人物描画。どれもありません。
幼い読者には、違和感すら感じさせるかもしれません。
文化庁メディア芸術祭では、この作品の画風を以下に評しています。
私が本作を初読した際、そのシンプルさ故に、物足りなさを感じたことを告白します。
装飾化されたオノマトペを探すのは楽しかったですが、コマの隅々まで、線の一振りまでに、発見があるタイプの絵ではないように思いました。いわゆる"眼で楽しむ"マンガにあるような、"画力の凄み"は感じられませんでした。
しかし、このシンプルさに、「ある種の詩情」が宿っているのは贈賞理由にもある通り。
この作品の卓越に近づくには、この「ある種の詩情」に視点を向けなければならないと思います。
シンプルさとロボット
淡々と、プログラミングされたミッションをこなしていくロボットたち。
そこには、人間にはある"感情の揺れ"がありません。
その、ロボット特有の静けさを表現することが、この漫画はできている。
ロボットを主人公に語られるマンガは多々あります。例えば『鉄腕アトム』。あるいは『PLUTO』。はたまた『ドラえもん』。メディア違いからも出せば『ブレード・ランナー』『Detroit: Become Human』。これらの作品は、どれもロボットを描きつつも、それらが感情を持ってしまったことによるドラマを描いています。つまり、ロボットやアンドロイドを題材に、人間性を描こうとしている。
対する、『ロボ・サピエンス前史』は、あくまで"ロボットらしさ"からドラマを作っています。
ロボットの無機質さ・生物にはない静音性。そうした種族の違いを描くための、このリミテッド・イラストレーションがあるのかもしれない。
そう思うと、この漫画の世界観を、一風変わった画風を、いっそう深く味わえるかもしれません。
このマンガのすごさの一つは、
情報過多・表現過多の時代において、あえて引き算で世界を構築し、そこにこそ現れるロボットならではの静寂な世界 - ポスト・ヒューマンの世界を確立している。
そういうところにあると思います。
それはヒューマニズム(人権)が全盛の今を、相対化しうる表現だと思います。
ストーリーの"すごさ"
『ロボ・サピエンス前史』のストーリーテリングのスゴさは前述の通りです。が、加えてもうひとつ、この物語の「すごさ」を語りたいです。
この章では、ネタバレを含みます。
それは「今までにない未来を語っている」というところにあります。
どういうことか。
少し脇道に逸れた話をします。
私は2021年に、Futures In-Sight展という未来をテーマにした美術展を見学しました。その展示会は、「ひとびとはいつから未来を考えなくなったのだろう?」という問いかけから始まったと記憶しています。
思えば、日本のアニメ・漫画はアトムに始まり、宇宙戦艦ヤマト・ガンダムと、いつか訪れる未来に視点を向けた作品が多かった気がします。
それが、いつからか未来(SF)を描かなくなった。
どころか、鬱々とした未来を描く作品が増えた気がします。私が、最近の未来をテーマにした(量産型の)作品で思い浮かぶのは、人間とロボットの対立が激化した荒廃した世界や、テクノロジーが進化しても結局は人間のエゴや欲望が制御しきれないディストピアの世界です。
確かに、今日の劣化していく自然や社会や人を見ていると、過去の「未来へのプロジェクト」の失敗を見ていると、明るい未来像を描くことは困難かもしれません。
ですが、『ロボ・サピエンス前史』は、そうした量産型ではない未来を描いている。
少なくとも自分はそう感じました。
物語りの最終盤で、ロボットはヒトを捨て、自分たちのデータを宇宙に向け拡散させていきます。
一般的なストーリーだと、これは絶望です。ヒトはロボットとの生存競争に敗れ、脆くも絶滅するのだから。
マンガの一コマからは、技術が発達した未来においても、ヒトはそれぞれのエゴを克服できず、他者を恐れて閉じこもり、何もできなくなったとされています。
しかしその一方で、ロボットたちはヒューマニティ(人間性)を、確かに人類から受け継いでいます。
”第二の地球”の探査ミッションを託されたロボットチームは、博士からの「幸せになりなさい」という言葉を頼りに、人間の温かな家族の生活をシュミレートします。それぞれのロボットは、彼らの主人が託した「幸せになって」の想いを受け継いでいきます。
物語りの最終話では、25万年のミッションを終えた最後のロボットが、子供のホモ・サピエンスの肩を抱き、”未来”の穴の前に立ちます。
幼いヒトから、成長したロボットへ。象徴的な一コマです。
これって、素敵な未来の物語だと思いませんか?
確かに人間は滅んでしまうかもしれない。けれど、私たちが大事にしたいと思った”人間の温かさ”だけは、次世代へとバトンが渡されていく。
人は愚かで、私たちはどうせ100年前後で死にます(これまでそうであり。そして今のところそうである)。
だけど、私たちの想いは、死を・時を超越する可能性がある。
これまでそうであったように。
このマンガのタイトルは、同じく大ヒットしたユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』を思い起こさせます。
『サピエンス全史』では、人類が迎える未来としてのテクノヒューマニズム、あるいはデータイズムを、かなり暗いトーンで予測します。それは無機質で、非人間的な世界です。
『ロボ・サピエンス前史』は、同じデータイズムの世界を予測しつつも、人類のポジティビティが生き残る未来を描いている。
その想像力は、ヒューマニティが危機に直面している今、私たちの活力を回復させる力があると思います。
思いは、引き継がれることがあるのだから。
『ロボ・サピエンス前史』は、前述の通り、かなり静かな物語で、作者の意図やストーリーの目指すところが見えにくいです(というか、読者に委ねられている)。
だからこそ、想像力を働かせられる。時代的なメッセージを、それまでにない表現から切り込んでいるスタイルは、新しい想像力への確かなタネです。
やっぱり、「このマンガはすごい!」。
新年を迎えた今、ぜひ未読の方は手に取ってみて、未来へ、次の1年に向けてのあなたの想像を、かきたててみてください。
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