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三島由紀夫にみる悪の心理(9)ー5

戦争あっての平和

 (9)―3,4で見た通り、水素爆弾による人類破滅の不可避性を説く羽黒の考えに対し、大杉は全くもって同意していた。しかしそれにもかかわらず大杉は、(9)―2末尾で見た通り、宇宙友朋会を組織し、円盤についての巡回講演会を始め、平和を説いている。それは一体なぜなのであろうか。

 大杉は羽黒に対して次のように答える。

「『その通りです。その通り』と〔大杉〕重一郎は沈着につづけた。『大体人類に平和を与えようなどという企てが、どんなに奇妙な企てか、私自身がよく知っています。〔中略〕実は彼ら〔人類〕が不満なのは、現在の平和の存在様態にではなく、平和の本質に不満なのかもしれない』」(第九章)

 人類は平和の本質に不満なのだと大杉は言うが、それは一体どういう意味なのであろうか。

「かれら〔人類〕の動物的本能が嘉納する平和は、概ね事後の平和であって、克ち取られた直後の平和、戦いのあとの平和、性交のあとの平和と謂ったものしか、かれらの感覚は本当の平和とみとめない。ところで現在の平和は、事前の平和であって、甚だ不透明で甚だ贋物くさいのです。〔中略〕そしてこんな人たちを本当に満足させるのは、事後の瞬間的な平和であろうが、そんな平和を願うことは、事の起こるのを願うことを前提としているわけで、事とはつまり水爆戦争なのですからね。」(第九章)

 人類は、戦争が起こって初めて、その後平和を求めるようになると大杉は考えていると思われる。しかし現在、すなわち1961年当時、太平洋戦争終了後17年が経過した時点での平和は、人類にとって偽物くさいのだと大杉は言う。

 そして大杉は、人類を本当に満足させるのは、水爆戦争後にやってくる平和であると言う。しかしこれでは、人類が滅亡してしまうのではないだろうか。それでは、平和を説く意味がないのではないだろうか。大杉は次のように続ける。

戦争を想像する力

「私の目的は水爆戦争後の地球を現在の時点においてまざまざと眺めさせ、その直後のおそろしい無機的な恒久平和を、現在の心の瞬間的な陶酔の裡に味わわせてやることでした。そのとき人間どもは、事後の世界の新鮮きわまる平和を、わが舌で味わうことができ、地球上の人類がみなそれを味わえば、もう〔水爆の〕釦〔ボタン〕を押す必要はなくなるのです。私は麻酔の力を持った美酒を呑ませようと思って来たのです。その点では彼らの安楽死を目的とされるあなた方とは、私はいわば紙一重のところにいるわけです。」(第九章)

 ここで初めて、大杉が人類に平和を説く意義が明らかにされていると思われる。大杉によれば、水爆戦争後の地球の無機的状態を、今この瞬間においてありありと想像することができれば、水爆のスイッチを押す必要はもはやなくなるのである。

 それで、結果はどうだったのだろうか。大杉は人類にそのような想像をさせることはできたのであろうか。

「さて、その目的のために、私は人間どもの想像力を利用してやろうと企てました。ところが私が発見したのは、人間の想像力のおどろくべき貧しさで、どんな強靭にみえる男の想像力も、全的破滅の幻をえがくには耐えないのです。」(第九章)

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