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また一つピースを手放す

    母から、「ピアノ手放していいよね?」と念を押すようなメッセージが届いた。
    実家が引っ越しをするらしいことは聞いていた。5人だった家族も、仕事やらでちらほら出ていき、多少持て余していたらしい。
その新しい家が今までの家よりもこじんまりしているらしい、そこにピアノが置けないであろうことは想像に難くない。住んでいない私が何かをいうのは間違っているだろうと特に拒否もしなかった。

    私は帰省しても家族の前でピアノは弾けない。ずるずると私の近くに居てもらったけれど、そろそろ離れなくてはいけない時期がきたということだろう。

    反対する理由もなかったから、「売るの?」と一言返す。仕事中、色々と考えながら降って湧いたモヤモヤと形を成さない寂しさを自分で探る。
    ピアノを手放すことに異論はない。じゃあ、なんでこんなにモヤモヤするの?何が嫌なの?何度も自分に問いかけて、一つだけ結論を見つけた。

    母が知人に譲ることが、何よりも嫌だ。

    私とは違って、交友関係がそこそこ広い母はすぐに何かを誰かに譲ろうとする。お互いさまだから、捨てるのは勿体ないからというけれど、私の制服を卒業式の次の日に友人に渡すのはいかがなものか。
    ダサい制服だったけれど、私の高校生活を象徴するそれは大切にとっておいてくれるものだと思っていた。邪魔なのも分かるけれど、せめてもう少し感慨に浸らせてほしかった気もする。

    ピアノは私の貯金から買ったものである。その貯金は、両親が私のもらったお年玉やらをコツコツ貯めてくれていたものではあるけれど。それを他人に譲るなんて、しないよね?

    だって、正真正銘、私のものなんだから。

    私の手元にはないけれど、私のものだ。そう思って、売らないなら捨ててほしい。知っている他人(友人やら親戚)に譲るのはやめて、と伝えた。捨てるなら、私がお金を出す、とも。

    母から返ってきたのは「あら、どうして?」。
    ああ、この人は他人のものを誰かに譲るつもりだったんだ。私はなんだか、崖の上から落とされたような気分になった。

『私の口座のお金から出したものだから私が決めていいと思ったけど。』

『私が本気で向き合おうと思って買ったものを、私の知っているところで物置みたいに扱われるのは嫌だ。』

『売ったお金は、また私の口座に貯金させてほしい。』

    そう伝えると、案の定「親戚の子が欲しがっていたから」、と返信が来る。
    なんで?がたくさん頭のなかに浮かんだ。全く、意味が分からなかったからだ。
    私の2台目のピアノ。毎日2時間以上練習をして、私が泣いているところもたくさん知っているそれを、なんでおもちゃとしか思わない人に譲らなくてはいけないのか。私の涙が何粒も落ちた鍵盤を、そんな人が触るの?
最初、もの珍しいときにだけ触られて、あとは置ものになることが容易に想像がつく。他人からもらったものなんて、特にそうだ。どれだけ親が言い聞かせたところで、そのものの価値を理解するなんて難しいのである。

    思い入れがないものだったら、なおさらだ。

    私が練習を毎日していたのは、音楽を一生の仕事にしたいと思っていたから、親から出しているお金分の練習はしろと何度も言い聞かせられていたからだ。でも、一番は自分の口座からお金を出して得たピアノであるという事実が一番大きいと思う。

    結局、私は音楽の道には進まなかったけれど、ピアノを弾いていた14年間は、私の大きな支えの一つだ。何かをやり遂げる達成感を教えてもらったし、耳も少しばかりよくなった。あまり縁のないクラシックやジャズも、好きになった。

    そんな私のかけがえのない存在だったものを、おもちゃとも見てくれない人に譲るの?
どうして?という母には、腹立たしいよりも諦めが勝った。

     私がピアノから離れたから、私のピアノをそんな風に扱ってもいいと思われていたことがひたすらに苦しかった。
    そして、私がピアノにどんなふうに向き合ってきたかを知っている母が、躊躇なくその選択をしたことに、自分が思うよりもずっと、私の気持ちを大切にされていないんだ思い知らされた。
    重しを足に括り付けられて、海の底に沈められているような苦しさがずっと付きまとっている。ここ数日、ずっと。

     結局、私のピアノはどこかに売られることになった。私の知らないどこかで、私よりもずっと打ち込んでくれる人のもとに届いてくれれば……そう心から思っている。

    私は自分の楽しみのためにピアノが弾けない。家族がいるところで弾いて、もっと感情こめて、とか指がもつれているとか、そんなことを言われるのでは?という恐怖が先行して弾く楽しさが分からなくなるからだ。帰省したときも音を低くして、誰もいない時間に隠れるように弾いていた。
    私のネットショッピングのカートに入れてあった楽譜を見て、弟はこんなものいらないだろ、と笑った。ある映画のピアノを演奏するシーンを観て指がうずいて、久しぶりに譜面を読みたくなったのだ。

     でも、それを笑われるくらいに、私はピアノから遠ざかってしまっている。

    そんなものだろうと思う。14年間弾いていても、受験を理由にやめてしまった人間だ。

    でも、いつか、ピアノに初めて触れた日のように、ただ楽しいと理由だけで弾きたい。指も腕も、ピアノを弾く人のそれではなくなってしまったけれど。

    私の学生時代は本とピアノで埋め尽くされている。本当にそれだけだ。小学生のころの友人のことは、そこまで覚えていない。けれど、読んだ本のことや、弾いた曲のことはどれくらい練習したかまで覚えている。それくらいに、この二つには打ち込んだということなのかな。

    いつか、お金を貯めて自分のためのピアノを買いたい。

   そのときは何も考えずに、ただ自分のためだけに指を動かして、自分のためだけに音を奏でたい。


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