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「とりかかるのが遅すぎた」×「板そば」×#adff2f

「やっぱり板そばはうまいよなぁ……。」

 カイさんは長方形の枠のなかに平たく盛られた蕎麦に、嬉しそうに箸を入れていく。そういえば、カイさんと初めての食事も板そばだった。

 嬉しそうに蕎麦をすする彼を見ながら、ぼんやりと大学時代を思い出す。初めて、カイさんが私をこの店に連れてきてくれたときのことを。

 いつの間にか、この店で二人で食事をとることが当たり前になって、先輩と後輩から友達になって、今は恋人という関係なわけで。

 昔だと思っていた過去は、たったの数年前だ。なんだか、毎日があっという間に過ぎていく。まだまだ若いと思っているし、事実若造ではあるのだろう。それでも、やっぱりこうして振り返る時間が存在しているということは、年を重ねたのだということなのだろう。

「……食べねぇの?」

 視線に気づいたカイさんは上目遣いで、こちらの様子を窺っている。

「食べますよ。」

 私のことなどお構いなしに、黙々と食べ続けるカイさん。すする音に、構内の喧噪が蘇る。そうそう、あの日はいつも以上に賑やかな日だったのだ。

「リク!」

 喧噪の中から、私を呼ぶ声が聞こえる。誰の声なのかわかるから、わざと振り返らずにざわざわと騒ぐ生徒の間を潜り抜けるように歩みを進めた。

 試験が終わったばかりの構内は、いつも以上の開放感に満ち溢れている。息の詰まるような一カ月間を過ごした反動か、元の姿を取り戻したというべきか。

 廊下にできたいくつものかたまりでは、このあとに行く店の相談がされている。

 さっき入った女子トイレでは、ずらっと5人ほど並んで化粧直しをしていた。仕上げの香水の匂いが入り混じって、そこにカオスな空間が出来上がる。鼻がおかしくなりそう。ロッカーにしまい込んでいた8センチヒールに履き替えた彼女たちは、それぞれ女の匂いに十分満ち溢れているのに。

 同じようなフレアスカートを身に着けているせいか、主張が激しすぎる匂いのせいか。それぞれの性格は全く見えずに、結局顔の違いすらも見分けることはできなかった。

 この後、彼女たちはそっくりな顔で、それぞれ気に入りの男たちにそっくりの笑いを向けるのだろう。それに対して笑顔を返す男たちは、どんな気持ちなのだろう。

 考えても分からないことがぐるぐると頭をめぐって、それらを振り払うように歩みを進める。

「さっきから呼んでるだろ?」

 いつの間に追いつかれたのか、後ろから二の腕をつかまれて無理やり振り向かされる。余計なことを考えていたせいだろうか。

「気づかなかった?」

「……気づきませんでした。」

「嘘だな。」

 ふふんと得意げな顔を見せるのが腹が立つ。私、この人のこういうところが苦手だ。

「飯、行こうぜ。」

「……バイトが」

「ないって、他の奴に聞いたけど?」

 なんでサークルの先輩と同じバイト先を選んでしまったのだろう。後悔しても、もう遅いけれど。

 それにしても、他人のシフトをばらさなくてもいいのに、と見当がつかない犯人に舌打ちをする。今回の試験はハードだったから、最終日はくらいはゆっくりしたいと思っていたのに。先週買ったばかりのDVDが部屋で待っているというのに、これでは予定が狂ってしまう。

「バイトはないけど、予定があります。」

「友達と飯とか?」

「いえ。」

「彼氏とデートか。」

「……それ、セクハラですよ。」

「マジかよ。」

 まずいなーと小さくつぶやきながら、ちらちらとこちらの様子を窺ってくる。そこそこ恵まれた顔だちをしているカイさんは、そんな些細な動作すらも絵になってしまう。

 同じ学部の女の子からも、同じサークルにいるということが知るとすぐにカイさんの連絡先を聞いてきた。

 そんなに気になるなら、自分も入ればいいじゃないと言ったら、「“日本酒サークル”はちょっと、ね」と眉を歪ませながら小さく笑う。一人の男のために、酒好きサークルに入って大学生活を棒に振る気はないらしい。こうして話している間も、こちらを見ている女子の集団がある。

 ……私じゃなくても、一緒にご飯食べる人いるんじゃないの。突き刺さるような視線を感じて下っ腹がそわそわとしてくる。やっぱり無視を決め込んでしまえばよかった。というか、トイレになんか寄らずにさっさと帰ればよかったかなぁ。香水の匂いでおかしくなった鼻を掻いて、視線を無駄にモテる先輩に戻す。

「俺、ここでフラれたら結構かっこ悪いんだけど。」

「はぁ。」

「……リク、今回の試験はうまくいった?」

「まぁ、そうですね。」

「サークルの秘伝の過去問、使った?」

「……それ、関係あります?」

「あれさ、俺のやつね。」

「……お付き合いします。」

「そうこなくっちゃ。」

 意気揚々と手を引いて先を行く彼に、苦言を呈することすら私には許されなかった。別にめちゃくちゃ難しいテストなんて無かったのに、なんで秘伝の過去問なんて使っちゃったかなぁ。

 サークルの先輩たちの顔を思い出しながら、そういえばマトモに大学に通っているのはこの人くらいだったのだと気づく。そんなに深く考えなくても、この人の過去問であることは明白だ。

 弱みというほど強いものではないけれど、それなりに気は遣う。やっぱり、誰かに頼るとろくなことにならない。

「手、離してください!」

「逃げられたら困るしなぁ」

 意気揚々と私の手を取って、歩き出す先輩に思わず強く反抗した。それでも、先輩は振りほどかれないようにと、大きな手のひらで私の手首をぎゅっと手首を抱え込む。なんだか、背中がチクチクと痛い気がする。

 私が春休み明けに友達がなくなったらどうしてくれる。先輩は自分がモテることを気づいていないのか、知らないふりをしているのか。

 とにかく、新学期の私のアウェイは約束されてしまった事実に落胆しながら、刺さる視線を振りほどくように大学を後にした。

「好きなもの、頼んでいいからなー!」

 ご機嫌で連れてきてくれたのは蕎麦屋だった。仕事終わりなのか、スーツをまとったおじさんたちが上機嫌でちびちびと日本酒をなめている。瓶ビールを携えた人もいて、古き良きってこういう店のことなのかな、と疲れた頭でぼんやりと考える。

「とりあえず、板そばはマストかな。リクって結構食べれるほう?」

「え?まあ、そうですね。」

「本当か?女の食べれるって、信用ならないしな。」

「じゃあ聞かないでください。ついでに言っておきますけど、カイさんにぶったところでメリットないので。」

「……すいませーん!瓶ビール1つ、ウーロン茶1つ、あと、板そば2つと、ゲソ天と野菜の天ぷらの盛り合わせと、あと……なにがいい?」

「え!?……っと、長芋のわさび漬けと、たこわさお願いします!」

  お店の人が去ってから、いい選択じゃんと歯を見せて笑う。こういうところがモテる理由なのだろう。整いすぎず、親しみやすい。何事も、ほどほどがちょうどいい。その観点からいけば、いつでも笑顔を絶やさない先輩は、やはり理想的な男性と言えるのかもしれない。

 思い返せば、私は先輩の怒った顔は思い出せない。誰と話しているときも笑っていて、ふとしたときに(大体次の飲み会の場所決めをしているとき)は真剣な顔を見せて。こういうギャップにときめくんだろうな、世の女性たちは。

 ビールは私に飲ませるわけではなく、一人で楽しそうに注いでいる。私はまだ未成年だし、未成年に酒を注がせるほど落ちぶれちゃいないよと楽しそうに笑う。食えない人だとは思っていたけれど、まさかここまでとは。

「……先輩って、彼女いるんですか?」

「やだー!セクハラ」

「殴りますよ。」

 冗談だって、すでに赤くなった顔でケラケラと笑う。特に話したいこともないからと安易に恋バナなんか振ってしまった自分に情けなさを感じる。でも、カイさんに聞きたいことって正直何もないんだよなぁ。

「いるよ~」

 言いながら、ぽちぽちとケータイを操作して、ほれっと画面を見せてくる。先輩と寄り添うようにして肩を並べた女性とのツーショット写真がそこにある。目が覚めるようなグリーンの服は、歯を見せて笑う彼女によく似合っていた。肩よりも少し伸びた髪の先は微かに先輩の肩に触れている。

「……カイ先輩ってこういう人好きなんですね?」

「なに?ガッカリした?」

「うーん。なるほどなって感じです。」

「なるほど、とは。」

「そのままの意味ですよ。」

「そこはさ、私みたいなのはタイプじゃないんですか?とか、そういうことを言うべきじゃない?」

「というか、やっちまった感のほうがでかいです。いくら興味がないとはいえ、サークル内の恋人事情はきちんと把握しておくべきでした。」

「リクさ、会話のキャッチボールできてないよな?」

「私、恋人もちの人とごはん行くの本気で嫌なんですよね。」

「なんで?」

「……経験上、ろくなことがないからです。先輩の彼女さんはそこのところ大丈夫ですか?」

「……うーん、言わなきゃ大丈夫かな。」

「警察呼んででも拒否しとくべきだった。」

「恐ろしいことを言うのはやめろ。……人のこと言うけど、リクは?俺も答えたんだから、セクハラとかいうのはナシな。」

「……いませんよ。察してください。」

 そこまで話したところで、長芋のわさび漬けとたこわさが運び込まれる。

 遠慮なく箸を伸ばして長芋をつまんで口に入れると、鼻の奥を突き上げるような辛みと爽やかな歯ごたえが広がって思わず声が漏れてしまう。長芋を初めて食べた人には感謝しかない。すっても、煮ても、生で食べてもおいしいなんてもはや罪じゃない?それに食べ合わせも選り好みしないしなぁとじんわりと嬉しくなる。

「……幸せそうに食べるね。」

「おいしいもの食べると幸せになれるんですよ!」

「さっきまであんなに不機嫌な顔してたくせに。」

「彼女もちとごはんを食べてしまったという罪悪感ゆえです。」

「……声かけた時から眉間にしわ寄ってたぞ。」

「やだー老けちゃう。」

「彼氏作らないの?」

「そのうち。」

 そこで二人とも何となく無言になって、あたりがしんと静まり返ってしまう。

 店内は一人で訪れた人が多いらしく、会話らしい会話がほとんどなかった。先輩の様子を窺うと、気にしている様子もなく、ひたすらに口を動かしてビールを飲んでいる。……せっかく誘ってくれたのにちょっと感じ悪かったかな。

「……早めにしておけば、ここまでハードルが上がることもなかったと思うんですけど。必要性も感じないしなぁとか、そんなことをうだうだと考えて誰とも付き合わなかったらいつの間にか残飯女子に。“恋愛”ってするにも結構エネルギー使うじゃないですか。早めに経験するに越したことないんだなって、周りの子を見ていて実感しています。」

「な、残飯女子ってなんだ」

「新歓コンパで彼氏ができない女子を総じてそういうらしいです。」

「失礼この上ねぇな。」

「確かに。」

「……そういうのはタイミングあるしな。お前のその低すぎるテンションにも付き合ってくれるリアリストなもの好きがいるかもしれねぇじゃん。期待しすぎずに待っていればそのうちひょこっと現れるだろ。だーいじょうぶだよ、俺が保証してやる。」

 その時のカイさんの笑顔はなんだか柔らかくて、彼女持ちの人にこんな感情を抱くのは間違っているのはわかっていたけれど、こういう人と付き合えたら楽だろうに、とらしくもないことを思ってしまった。年下の女に、ずけずけと物を言われても不機嫌にならないところは、称賛に値するだろう。

 私の機嫌を汲んでくれたわけではないだろうが、この日は本当に食事をしただけで解散した。適当に連れまわされるかと思ったのに、とんだ勘違いだったわけだ。家で私を待っていたDVDを、無事に楽しむことも出来た。

 なんだか拍子抜けの私は、カイさんに少しだけ警戒しなくなった。

 このあとから、私と先輩はちょくちょく食事に行く仲になった。

 いつの間にか、綺麗な緑を身にまとう彼女とは別れていて、私は同じゼミの男子と付き合ったりしてみた。

 色恋の話をしたのは、あのときが最初で最後。一度キリだ。

 そのうちに私たちは大学生活に幕を下ろして、飲み友達になっていた。会わなくても差し支えないけれど、なんとなくお互いに会う予定を作ってしまう。カイ先輩という呼び方はしなくなって、口実がなくても一緒にご飯が食べれる関係になりたいという告白で恋人になった。

 私たちの間にはごはんがある。というか、ごはんがなければ私たちは付き合っていなかったといっても過言ではない。

「リク、何ぼんやりしてるんだよ。」

「いえ、べつに。」

 目の前にどんと置かれた板そばに箸をいれる。薬味をたっぷりと溶かしたつゆに軽くつけて勢いよくすすると、いつもより濃い蕎麦の味が口いっぱいに広がった。

 そういえば、初めて板そばを食べたときに、私はこの味の濃さに驚いたのだった。地元の蕎麦だという先輩は得意げな顔をして、おいしいだろ!と何度もはしゃいだ顔を見せていた。

「やっぱり、板そばはおいしいなぁ……。」

「生意気な口をたたくようになったな!」

 嬉しそうな顔で髪をぐちゃぐちゃにかきみだす。蕎麦大好き県民らしく、麺類には情熱と呼べるほどの並々ならぬこだわりがあるらしい。普通の麺類好きの私にはちょっとした敵意を抱いているらしい。恋人に対してまでってよっぽどじゃない?と思いつつも、そんなことでむきになるカイさんのことは結構好きだ。

 着道楽の私が、彼女とは同じ緑を身につけないことカイさんは気づいているのかな。

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