何者かになろうとする前にまず、『私』になることから。
昨日、自分が決めたことをnoteに投稿した。
https://note.mu/misaxx222/n/n2845b336b750
これをやろうと思ったのは、もちろん『やりたいから』だけれど、それだけじゃない。
きっと、何者かになろうとする自分から卒業するためなんだと思う。
***
幼い頃から、学校では優等生だった。成績が、ではない。振る舞いや態度が常にお手本となる子だった。部長も学級委員も常連だった。「しっかりしてるね」という声は幾度となくわたしの頭の上をかすめわたしの心に居場所をくれた。
母は、誠実に私を育ててくれた。人に優しく、自分に厳しく、行きたい高校に行くためには内申書が大事だしお世話になった先生にはきちんとお礼を、感謝を、そんなふうに育ててもらったから、わたしは常に先生や友達に囲まれて育ってきた。
だからこそ、何不自由無かった。周りに人がいてくれれば寂しくないし、学生の枠の中だってやりたいことはできた。
そして、社会に出て半年と少し経った今、『やりたいこと』は、これまでの生き方をひっくり返すようにわたしを振り回し戸惑わせた。
その本質はおそらく、
誰かの為、と人の気持ちばかり見て一生懸命いい子の中でもがいていた自分から、
私のために、私だけのために生きてみたい!と身体のあらゆる細胞から滲み出るように叫ぶように出た『やりたいこと』という本能に近い本音だったのだ。
ぽんつと、水滴が水面に落ちる。それが静かに輪をかけて広がる。そんな、気づき。
あ。わたし、この22年間、『自分のために生きたこと』がほとんどなかったんだ。
受験も、部活も、就活も、結果を出せば周りが喜んでくれる。周りが自分に力をくれる。だから頑張れる。そう思っていたけれど、それだけでは自分という中身が空っぽになってしまうのが社会に出て働くということだった。
人の為、がっかりさせないため、そんな自己保身から卒業して、まずは自分がやりたいことをして幸せになる。その先に周りを幸せにできる自分になろう。
いきなり大きくジャンプはできない。いきなりたくさんのことはできない。最初は手のひらサイズの好きなことを。そしてまた、もう一つの手のひらサイズの好きなことを。積み重ねる生き方を、したい。
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それはまるで、自分が自分にかけた呪いのようだった。
誰の為でもない、自分の為だけに生きる自分に、一度でいいからなってみたくて勢いよく飛び出した。
漢字ドリルに印刷された手本の薄い影をはみ出さないようになぞる自分から、やんちゃでわがままで不器用で自分勝手で面倒くさがりで怖がりで格好悪い自分のまま生きてみたら、そこからどんな景色が見えるのだろう。
何かの為や誰かのためではなくて、自分の為に、生きてみたい。
何者でもない『私』にならないと、何者にもなれない気がするから。
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