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明るく性を語りたい。

先日、福島のローカルTV局にて「不妊治療」の特集が組まれ、一当事者として私に取材対象の依頼が来た。出演した特集は10月初旬に放送となっている。正直なところTVに映った自分を見る勇気がないために、実際のOAはまだ見れていない。というか一生見ないかもしれない。
取材をしてくれたアナウンサーから「今回はプライベートなことにも関わらず取材をお受けいただき、ありがとうございます。反響もすごいです。」とメッセージをもらい、それっだったら良かったと、自分の今回の行動に少しだけ胸をなで下ろすことができた。


「不妊治療」という言葉の重みとイメージ。

「不妊治療」という言葉を聞いたとき、皆さんは何を思い浮かべるだろうか?「不妊」だから子供ができないってこと?子供ができない体ってこと?粗方そんなところだろうと思う。私もそうだった。
「不妊」の状態というのは世界基準での指標が一応はある。『一年間避妊をせずにしかるべきタイミングで性交をしても妊娠にいたらない場合』ということだ。だけれど一ヶ月に一日(というか数時間)しかない排卵日に、確実に毎月一年間セックス、あるいは膣内に精子がいる状態を担保できるカップルが、現代の日本において果たして何割いるだろうか。忙しくしてたら一年なんてあっと言う間だ。
こういった現実を踏まえると、この指標はあくまで”目安”として捉えておく程度で良いのではと個人的には思っている。

私たち夫婦は、上記の“不妊の定義”からすると、不妊には当てはまらない。クリニックに通って妊娠に向けた治療や検査は行っているが、検査上も問題はないし、あとはタイミングだけ合えばいつ妊娠してもおかしくない、という状態ではある。一回のセックスでの妊娠率が35歳上だと20%未満と言われているので、半年から一年妊活を続ければ自然妊娠は可能ということだ。

だけど、である。私たちのこの「クリニックに通う」「排卵日を特定する」「ホルモン剤を処方してもらう」ということも、一般的にはまるっとくるめて“不妊治療”として表現されるのだ。すると途端に「自分は不妊治療に通っている」という重みがずっしりと胸につかえてくる。「私は不妊、だから治療をしている」。本当はただ体の状態をチェックして、正しく現状を知ることできちんと妊娠に向けて準備していこうという前向きな動機であったはずなのに、いつの間にかこの“不妊”という言葉の重圧に飲み込まれ、どんより暗い気分になっていくのである。そしてそれを助長するのが周囲の反応。「不妊治療しています」と伝えると、大方の人は「そうなんだ…。それは大変だね」と神妙そうな面持ちで応答する。こちらがどんなに明るい調子でカラッと言っても、きっと反応はさほど変わらない。そうなるとこちらも「なんか重いこと言っちゃたかな」とかえって申し訳ない気持ちになったりするのだ。

言う方は言う方で、相手を傷つけないように、思わぬ一言で無為に心をえぐらないようにと、相当な気を遣ってくれているだろうことは良く分かる。なのでその想い自体を責めるつもりはミジンコほどもない。だけど、それでもやっぱり「ちょっと違う」という違和感は拭えない。もちろん人それぞれ状況は違うが、先の通り、私たち夫婦の場合は「不妊」というわけではない。クリニックに通って妊娠に向けて前向きに行動しているという状況なので、重々しい表情で「うんうん、大変だね」「辛いことがあったら何でも相談してね」などと言われてしまうと、拍子抜けしてしまうのだ。「いや、大丈夫です」と。

不妊治療は当事者だけの問題?いえいえ、性に関する全人類の問題です。

どうしてこのようなギャップが生まれるのだろうと想像してみると、それは後にも先にも「当事者か否か」ということに尽きる気がしている。不妊治療を経験した人とそうでない人、妊活を経験した人としていない人、といった具合に、自分がそうなってみないとどうもピンとこない、という現象がこの二者間には起こっているのだと思う。でもだからと言って「全員不妊治療経験しやがれ!」なんてのは暴論以外の何物でもないし、「この問題は当事者にか語る資格はありません」なんてことも、当たり前だがもちろん思わない。
しかし一方で、この現象を“性の問題”として捉え直してみるとどうだろう。驚くべきことに世の中の人間すべてが当事者となる。つまりは私が感じている「現代の日本の不妊治療が抱える問題」とは、根本的には “日本においての性の問題”と言い換えることができるのではないか。

男女の体のこと、皆さんはどの程度知っているだろうか?
恥ずかしながら私自身は、これまでいたって健康優良児で育ってこれたこともあり、自分の体について真剣に向き合ってこなかった。もちろん「痩せてきれいなりたい」とかいう程度は思ったことがあるが、その場合、「あの人みたいに痩せたい、きれいになりたい」という、あくまで他者基準の表層的な動機で、“自分”という個体に向けられた意識ではなかったように思う。むしろ「今の自分を否定して」成り立っていた変身願望だったかもしれない。

そのため妊活でクリニックに通って初めて知ること・気づくことが多く、私はこれまでの数十年間、一体こんなにも“自分の体”について知らずによく生きてこれたものだと、我ながら愕然とした。性器という言わば「臓器」の話なので、ダイエットのように“shape(見た目)”で良し悪しを判断することもできない。しかし逆を言えば、純粋に“自分個人”の状態にフォーカスすることができるということでもある。加えて女性の性器は特に“ホルモン”に左右されており、そのホルモンの司令塔は“脳”だということも知った。そしてその“脳”は背中をまっすぐ縦断している脊柱(背骨)のあたりを通っている“自律神経”から大きな影響を受けており、自律神経は骨盤まわりの状態にも関係している。「女の人は腰を大事にしなさい」とはよく言ったものだ。
このように、妊活を考えていくと必然的に“からだ全体”のことを考えることになるし、もっと言うと“ホルモン”を司る脳の状態(精神状態とも言える)を無視することはできないので、妊活を通して私は“女性としての自分の体と心の状態”に、はじめてきちんと向き合えているのだ。

このことをもっと若いうちに出来ていたら良かったというのが、唯一の後悔だろうか。若くて元気なうちは体のことをあんまり考えない、むしろ無茶してなんぼ、みたいな風潮はいつの時代にもあるが、今の日本の晩婚化と不妊治療の件数の多さ(と出生率の低さ)は、もはや国家レベルの大問題である。世界でも有数のクリニック数を誇る一方で、治療の成功率は最下位レベルの日本の不妊治療。その中でも一層クリニック数の少ない地方の不妊治療の厳しい現状。安心して産み育てられる環境もない上に、正しい性の知識もないまま大人になり、一生懸命せわしなく働いてようやく「子供を授かりたい」と思ったら、“You HAVE to be hurry!(あなたもう急がなきゃよ!)”といきなり尻をたたかれ、初診で行ったのに基礎体温を測っていないことを責められたりするハメになるのは、すべて“知る機会”の乏しさによるものではなかろうか。

なぜ日本の性教育は遅れている? “言わない美徳”にひそむ危険性

もともと、日本には「言わない美徳」みたいなものがあるような気がしていている。 “暗黙の了解”、“以心伝心”など「言葉や声に出して言わないことが高尚」のような雰囲気があり、もっと言うと日本人の恋愛とか性愛って「こっそり」とか「秘密めいた」みたいな嗜好が強いのではと、勝手に思っていたりする(海外の人にラブホの存在を伝えると、『日本人ってシャイなふりしてすごいことしてんのね』と、目を丸くして驚かれたりする。ラブホはどうやら日本独自の文化ようだ)。
この傾向は、一般的な日本人男性の女性の好みからも見てとれるのではないだろうか。「ちょっとおとなしそうで」「聞き上手で」「疲れたときには優しく包容してくれる」のような、あるあるな“理想の彼女像”。そんな“理想の”彼女は、きっとセックスのこととか性のこと、あるいは政治について自分の意見を人前で語ったりしないし、意見が違っているときには相手に反論などせず、黙ってことが過ぎるのを待っていて、でも夜になると床上手だったりするのだろう。しかも“彼”だけにとびきり献身的に。
寝言は寝てから言っていただきたい。

ちょっと偏見が過ぎたかもしれないが(苦笑)、それでも当たらずとも遠からずなのが日本の“性の風潮”ではないだろうか。そして私はこれが本当に心地悪い。女だって性について興味があるし、語るし、昨日寝た男とのあれやこれやを酒の肴にケラケラ友達と語ったりする。もっともっと“性のこと”をカジュアルに話せる空気が出来ても良いはずだ。神妙な面持ちで、あるいは過剰に恥じらいながら“こっそりと”話してしまうことで、余計に“語りにくい空気”を自らが作り出してしまっているのではないだろうか。
中学生の頃、生理用ナプキンを制服の袖に隠して友達に渡していた頃のことが思い出される。男子に気づかれないように、ささっと渡すことに心血を注いでいたが、何をあんなに恥じる必要があったのだろう。その時の居心地の悪さと“不妊治療”あるいは“性について”の語りづらさの根底には、同じものが流れている。私たちゃいつまで“思春期”やってんだろうか。

カラっとフラットに性を語るために

取止めもなく書いてきたが、結局はもっと性について「知る機会」と「語れる空気」が必要だと言うことだ。そこにどんなソリューションや突破口があるかは今は分からないが、少なくとも私自身は“語ること”を続けていこうかと思っている(というか語らないとガス抜きもできない 笑)。
日本人女性にもっと性の自由を!というかっこいいスローガンを携えて、最後に個人的バイブル『SEX AND THE CITY』と、別ブログで書いた『妊活前の全人類に告ぐ、体を知るための基本の”き”』のリンクを貼っておきます↓

(あといつか『ここが変だよクリニック』の話も書こうかな。まじ人間界とは思えないディストピアが繰り広げられているので乞うご期待 笑)

12OCT2022
Misato

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