見出し画像

坐禅cafeのこと — 心を笑顔に — 27/11/2021の追記

日々のつぶやき日記にも記した坐禅体験。
つぶやきに収まりきらない感動と経験だったので体験記を書いてみました。

最近無感動になった気がする、忙しくて考えがまとまらない、やりたいことはあるのに手が動かない……そんな方に読んでいただけたら、と思います。


会津美里町への移住者、関わりの深い方を対象に町内のお寺でひっそり開かれた坐禅cafe。
しばらく開催を控えていたため、久しぶりの坐禅体験です。

企画した方からのお誘いで移住1年生として参加。
忙しない日が続いていたこともあり、「ざわざわする心を落ち着かせるきっかけになりそう」という期待もありました。

前日は猪苗代町で予定があり、そのまま宿泊していたためバタバタとお寺へ駆けこんでしまいました。
ご住職はやさしい笑顔で迎えてくださり、まずはご本尊にお線香をあげてから坐禅をするお部屋へ。


お茶を飲むまでが坐禅です

今回体験したお寺の坐禅はこんな感じです。

身体をほぐす準備運動

坐禅、警策きょうさく(右肩を棒で打つ)

経行きんひん(立って行う坐禅)

茶礼されい(坐禅と坐禅の間にとるお茶の時間)

ご住職から坐禅の流れや作法を聞き、お寺によってやり方が違うと知ってびっくり。
たしかに以前体験した坐禅とは、全体の流れや考え方が異なっていました。宗派にもよると思うのですが、いろいろな悟りがあるのだなぁと感じた瞬間です。

お茶の時間までがひとつの坐禅の流れだなんて驚きですよね。本来は次の坐禅へうつる合間に行い、心を整えるそうです。


HELP! 無我になれません!

身体をほぐして坐蒲ざふ(坐禅用のクッション)に座り、足と手を組んだら準備万端。
背筋を伸ばし目線を下げる、半眼になって鼻呼吸。
大きく息を吸って、吐いて。空気が身体のなかで循環するのが感じられます。

しかし、全然「無」になれない。自然の声も耳に入ってきません。
余計なことがとっかえひっかえ、頭をかき乱すのです。普段の生活ではなにも考えない時間を意図してつくらないけれど、平常時だってもう少し落ち着いているのになぜ? という疑問が膨らむばかり。
息を吸うと雑念が頭を占めて、吐くと追い出せるのですがまた次の呼吸で戻ってきてしまう。静かな空間なので自分のざわめきがありありと感じられ、進む時間に比例して心は焦っていきました。

どうしよう、困ったなぁと思っていたとき、
「顔は仏さまのような笑顔で、心も笑顔にね」

ご住職の言葉を聞いて、すとんと納得したのです。
あぁ、心が笑顔になれないから、こんなに落ち着かないんだ。


表情と心、笑顔ってなんだろう

笑顔とは、どんな表情でしょうか。
目尻は下がっていて、口角が斜めに上がった状態。歯が除いていたら華やかな印象が強くなり、はずんだ声が聞こえてきそうです。
顔の筋肉を使えば笑顔をつくることはできますよね。

では、心の笑顔はどんな表情、もしくはどんな状態だと思いますか?

友だちとおしゃべりしているとき、おいしいものを食べたとき、身体を動かしているとき……。
きっと心が笑顔になる瞬間は、ひとそれぞれだろうと思います。

でも、そうではないとき。
心が笑顔になれない理由は重なる部分が多いように感じます。
つらいことや悲しいことに遭遇して疲れているとき、だれかの言葉で心が傷を負ったとき、現状に不安を抱えているとき。
疲弊した不安定な状態では、心から笑顔になんてなれませんよね。

いままで心が笑っているかどうか、気にしたことも考えたこともありませんでした。表情としての笑顔がつくれたら「笑えるから大丈夫」と信じていたのです。

坐禅の時間が終わって目線を上げた先。
柱に小さな黒板がかかっていました。目に飛びこんできた文字は「こころを えがおに」
目の前に書かれていた言葉さえ気づけていないとは……。内面に対する視点に大きな欠落があり、結果心が疲れて知覚が衰えていたようです。

それじゃ笑えなくっても仕方がないなぁ。
無理にそうする必要もないよね、できないし。

なんて思うと、一気に肩が軽くなりました。思考回路の黒ずみが洗い流されたような感覚です。


「名は体を表す」って言いますよね

私の名前には「笑」という漢字が入っています。
いつの間にかうまれた、名前負けしてはいけない、名前が表す状態を保たなくては、という謎のマイルールが自分の首をしめていたのでしょう。
だれかと話していると「すぐに笑顔をつくれるようにしなくちゃ」という意識が、頭の片隅にいつもありました。

メンタル超合金なので、だいたいの嫌なことは寝て切り替えるのですがうまくいかない場合も。
海の底で物言わぬ貝になりたいときは、だれにも会わず、ひとりで悠々過ごすせば復活。深海から人間界へと戻ります。
自分でつくった意味不明なしがらみから逃れ、コミュニケーションによる心身的なエネルギー消費をなくしたかったのかもしれません。


坐禅を広めたのは達磨大師といわれています。

笑う心には仏きたる

これから物事を成すうえで迷ったら、「心は笑顔になれるかな」と問いかけてみようと思います。

地域おこし協力隊の活動も自分のやりたいことも、「なぜそうしたいのか」「どうなりたいのか」という核になる理由、原点があります。
もしかしたら自分が思っていた理由は、まだ殻の部分だったのかもしれません。

正直な応えが、よりよい未来へ導いてくれるはず。

つくった笑顔で切り抜けた場面もあるけれど、これからは人間らしく、そして自分らしく進んでいきたいです。

                           I just go my way. 


最近はいろいろなお寺でオンライン坐禅もできるので、ご興味を持った方はお試ししてみてください。


この記事が参加している募集

眠れない夜に

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?