わたしの放浪記(2) 〜諦めの境地〜
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当日の朝、ひとり旅と言いながらも家から母と一緒に出かけた。
休日によく2人でぷらぷらするその延長で初日の夕方までは母と一緒に過ごすことになった。
ふたりでたまに遊びに来る街だったのでいつものように商店街をみて歩き、昼食を食べて夕方まであっという間に時間が過ぎた。
母と別れ今日の宿に向かった。
駅から10分程大きな道路沿いを歩くと趣のある日本家屋が見えてきた。
わたしが昔から憧れている平屋で、今回の旅の目的の場所だ。
ガラガラガラと引き戸を開けると、玄関に宿泊客のものと思われる靴が靴箱に収まっている。
ガラガラと扉を開けて玄関に入る感じが友達の家に遊びに来たようで懐かしい気持ちになった。
玄関から真っ直ぐのびた廊下は中庭に向かっていて、玄関を入ってすぐの右手にはカウンターのようなスペースがあり、左手はすりガラス越しにソファとテーブルが置かれているリビングのような部屋があった。
奥の部屋からなんとなく人の気配を感じる。
廊下に向かって「すみませーん」と不安気に呼んでみると、ドタドタという足音とともにオーナーが現れた。
40代半ばくらいの感じの良い男性だった。
名前を言って、確認をして、すぐにお会計、ラフで淡々とした接客が心地よく、ゲストハウス案外向いてるかも?と思った。
その後、念願の縁側のある部屋を案内してくれた。玄関から見えていた吹き抜けの中庭を囲うように部屋があり、そのうちの一室がこれからわたしの泊まる部屋。
縁側に面した六畳の和室、あの日パッと頭に浮かんだことをこうして現実にしていることが嬉しかった。
夕食のためにもう一度街に出たものの、1人で飲食店に入る勇気がなくてスーパーで惣菜を買ってきた。
部屋で買ってきた惣菜を食べている時、親友からLINEが来た。
「〇〇ちゃん、わたしマッチングアプリ登録したから頑張ろうと思う!」
たしかそんな内容だった。
よく語り合っていて、わたしの考え方を好きだと言ってくれる親友でさえも、29歳で独身という状況には焦りを感じるのか…。
親友はこっち側ではなかったという事実を突きつけられたようで、さらに孤独感が深まった。
でもよく考えればわたしは昔からずっとこっち側だった。
幼稚園の楽器決めの時、とても珍しい木製の楽器を見て、これは争奪戦になるだろうと勢いよく手を挙げたら、誰もやりたくない楽器だったらしくみんなに笑われたこと。
小学校の時、写生の授業で自分の絵がみんなの描いてるものとあまりにも違うことが恥ずかしくなって、上から絵の具を塗り重ねたこと。
中学では美術部に入りたかったのに自分の個性を消さなければ社会に出られないと、やりたくもない集団行動命の部活に入ったこと。
就活の時だって、みんなが何故素直に取り組めるのかも不思議で仕方なかった。
学生時代全体を通して同級生と話が合わなかったことを、今になって思い出した。よくよく考えれば、わたしはずっとわたしのままだった。
一般的な道に行きたくて、自分の形を変えようとしんどい努力をしてきたことを今認めるしかなかった。
なんだ、最初からずっとそうだったのか…と。
29歳という人生の大きな分岐点にきてようやく、騙し騙し生きてきたこれまでの人生のルートにサヨナラをする日が来た。
最後の分岐点、大通りではなく道なき道を開拓していくしかないことを悟った。
ゲストハウスの一室でわたしは、いわゆる普通の人生を諦めることが出来た。
諦めるとは、明らかにすることらしく、前向きな意味での諦めは想像以上に清々しいものだった。
ひとりで過ごしていてももう孤独ではなくなっていた、自分という確固たる存在を感じられたからだ。
外が真っ暗なことには変わりないけど、胸の内側から強烈な光が放たれているような心強さ、ずっとここに居てくれたんだ、という嬉しさ、そんな初めての感覚を味わった。
今後何があっても、自分さえ居てくれれば何も怖いものはないとすら思った。
ずっと違和感があり、偽り続けてしんどかったことが明らかになった今、なんの未練もなく生まれ育った所を離れて生きる決意ができた。
もっと自分らしくいられる場所を探してみよう、そうすればわたしと似た価値観のこれまで出会ったことのないような人たちに出会えるかもしれない。
これまでの思い出の場所も人も、何もかもが捨てても良いと思うほど、その時のわたしは高揚していた。それくらい確固たる自分の芯を感じ取れたからだった。
1泊目の夜、決意を新たに眠った。
世間はオリンピックムード一色だった、開会式が行われていたのにも関わらず一切それらを見ずに、ひとり静かな夜を過ごした。
この夜決意したことが、想像を超える不思議な展開になっていくなんて当時のわたしは知る由もない。