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心がゆるまる、琵琶湖での時間について

いつか、海がすぐそばにある街で暮らしたい、と思っていた。日常の中に海がある暮らし。けど今は、海がそばにある暮らしへの憧れをいったん心へと閉じ込めて、京都で暮らしている。

いったん手放した憧れ。だけど、そんな私が日々京都で心地よく過ごせているのは、もしかしたら定期的に琵琶湖に行くからかもしれない、そんなことがふいに頭をよぎった。

琵琶湖には、私が求める海への要素がたくさん含まれていると思う。穏やかな、まるで瀬戸内海のように揺らめく水面。空が高くてどこまでも続いているかのような感覚。つい空を見上げたくなる壮大な景色。私が求めているのは”海”というわけではなくて、”拠り所となる場所”が欲しかったのかもしれない。だから、琵琶湖がすぐそばにある京都での暮らしは、私にとってはちょうどよかったのだ。

14時頃に仕事に区切りをつけて、私は大好きな場所、琵琶湖へ向かう。晴れた日の琵琶湖は格別きれいで、それが冬であるなら、さらに澄んだ美しい景色を見せてくれる。JR膳所駅から10分くらい歩くと、いきなり受け皿のように深く広がる青の世界が見えるようになる。何度訪れても、この景色が見える瞬間には顔がほころぶのがわかる。

空と湖の青が重なり、繋がり、溶け込んで。どこからどこまでが水面なのか、空なのか、曖昧になっていく様子を眺めているのが好きだ。琵琶湖のこの青さを眺めているだけで、時間の流れをゆっくりとただ感じることができる。

晴れた風の少ない日には、建物や山が水面へと映り込む。くっきりとぐるりと囲む山々。向こう岸の山にはうっすらと雪が積もっていた。

琵琶湖の水面は、波紋のように広がっている。奥に広がっていくほど、青が淡くなっていく様子。一言で形容しきれない色の重なりをいつまでも眺めてみる。湖畔をずっと歩いているときもあれば、ただ1カ所にとどまって、目の前の景色を眺めているときもあって。つい、心がゆるまるのを感じられる。

「海の近くの街で暮らしたい」と考えていた私が、近くに海がない京都への移住を決めたのも、結局は近くに海のような存在(=琵琶湖)があったからだ。琵琶湖がなかったら、京都ではなくて尾道で暮らしていたかもしれない。京都に住みながらも、今は電車で15分と歩いて10分くらいで琵琶湖に気軽に行けてしまうのは、あまりにもいいとこどりをしている気分。

実は、大学生時代を琵琶湖のほとりで暮らしていた。「キャンパスは琵琶湖。 テキストは人間。」をモットーに掲げる大学で4年間過ごしていたのだけど、当時は琵琶湖のすばらしさなんて微塵も感じていなかった。あのときの自分に、琵琶湖がこんなにも拠り所になっていることを伝えたら驚くかもしれない。

将来は、海の近くでなくとも、湖のほとりで暮らすのもいいかもしれない。空が広く何もかも包み込んでくれる穏やかな存在が、すぐそばにあること。そんな存在こそが私にとっては海だと思っていたけれど、別にそういうわけではなかった。穏やかなやさしい景色がすぐそばにある暮らしそのものに憧れていたのだ、ということに気づかされて。暮らしの選択肢が広がった感覚。

吸い込まれるような青の世界へ。会いたいときに会いに行こう。大好きな場所にすぐに足を運べる暮らしが、やっぱり私が好きな暮らしなんだ。

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