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春の匂いに誘われて。冬から春の空気が変わる瞬間を、じっと観察する。

春が来た。そう思えることが、どれほど幸せなことだろうか。柔らかな暖かい光に包まれた今日。私は春の匂いに誘われるように、気づいたら公園へと足を運んでいた。

きっと、こんなにも嬉しくて仕方がない日は、1年のうちでも数回しかないだろう。「あ、春が来た」と認識する、まさにその瞬間。それは、私にとって嬉しくて仕方がない記念すべき日でもある。

家の近所にある梅小路公園には、見頃を迎えた梅が乱れ咲く。青空をバックに少しずつ咲いていく過程を、毎日のように眺めていた。嬉しい嬉しい嬉しい。春の兆しが見えていることに。暖かな空気に包まれていることに。道行く人が皆にこやかに平和でいる様子に。冬眠を経て動き出す動物のように、私はずっとこの瞬間を待ちわびていたのだ。

嬉しさを隠しきれない私は、公園で時間を過ごすことを覚えた。散歩をするだけで十分、だと思っていたのだけど、いつのまにか、公園に居つくようになった。弁当やお菓子、コーヒーとか、いろんなものを持ち歩いては、公園のなかで、まさに今、春になろうとしている、この空気を楽しもうとしている。嬉しくてたまらなくて、その嬉しさをなんとか形にして表現してみたいけど、ぴったりとは表現しきれない。そのもどかしさを抱えて、毎日のように、公園に居つく。

季節は巡る。1年中、春の陽気が続いたのならば、きっと私はこんなにも嬉しさを噛みしめられないだろう。巡るからこそ、この冬から春の空気が変わる瞬間を見逃さずに、じっと感じることができる。暖かな空気の愛おしさを愛おしいとして味わえる。

ああ、ちゃんと、私は幸せでいるんだな、とまるでさっきまで幸せではなかったかのように、幸せを噛みしめる。別に毎日幸せでないわけじゃないのに、なぜか、改めて「あ、私幸せだな」と感じさせてくれるような、そんな部類の幸せだ。季節が巡ること、冬と春の間にどちらともつかない曖昧な季節があること、葉っぱの合間からのぞく陽の光が柔らかいこと。全部全部、幸せの結晶になっていって。そんな大げさなことを感じてこうやって書き綴ってしまいたくなるほど、私は嬉しいと全身で感じ、それをどうにかして形にしたいと願っているのだ。

柔らかな陽の光を見て、美しい、と呟く。
気づかずに通り過ぎてしまいそうなほどのささやかな光。
これまでの人生でどれほどのささやかさを見逃してきたのだろうか。
見逃してきてしまったかもしれない景色を思うと、少し恐ろしいけれど。
見逃してこなかったものだけを大事に抱えながら、私は今生きている。

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