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京都暮らしの半年を写真と言葉で振り返る │ 何気ない日々でこそ美しい

京都での暮らしも、気づけば2年が経とうとしている。あんなにも京都で暮らすことが憧れで、遠い存在だと思っていたけれど、今ではもう、すっかり日常だ。

好きな街で暮らすということは、ささやかな日常でさえ、愛すべき存在になるということ。当たり前すぎる日々の暮らしからも、幸せや素敵だと思う景色をたくさん吸収できる。憧れだった暮らしが実現したことの嬉しさを噛みしめながら、この2年間を過ごしてきた。

2024年前半の京都暮らしの記録として、訪れた場所やお店を、写真と言葉で振り返ってみようと思います。単なる日常に、愛すべき存在がたくさんあることは、何よりも幸せなこと。愛おしい小さな欠片をたくさん掬って、日々は続いていくのだと信じていたいのです。

1月 │ 凛とした空気のなかで1年を願う

初詣は、大好きな下鴨神社へ。信仰心が強いわけではないけれど、新年に神社に行ってお参りをすれば、気持ちがスッキリしていい1年になりそうだなと思わせてくれる感じが好き。
念願の北大路にある「グリルはせがわ」へ。ハンバーグ肉汁ぎっしりで本当に美味しかった~!!
冬の鴨川は緑が少なくて少し物寂しい。けれど凛とした空気を感じられるのは冬の鴨川ならでは。
冬の晴れた日は、散歩がはかどる。西本願寺の門を出てすぐの、仏壇屋さんが並ぶ通り。ここだけ別の世界の入り口のような気がして不思議な気持ちになる。
今の家に住み始めてから、本当によく梅小路公園へ行くようになった。晴れた日、遠くの京都タワーを眺めながらぼーっとする時間に救われている。

2月 │ 寒い日々のつかの間の晴れを追う

思えば、2月が一番散歩をしていたかもしれない。歩道橋にわざわざ登って街をぼぅっと眺めるのが好き。確かに、それぞれに暮らしがあることを思い出させてくれるから。
「平安蚤の市」へ。コーヒーカップが欲しかったけれど、悩んで悩んでやめてしまった。優柔不断は私によくない癖だなぁ。あの悩みぬいて買い損ねたカップは、今どこの誰の手元にあって、心をほっとさせているのだろうか。
2月中旬から梅小路公園の梅が一気に咲き始めた。毎日のように観察して思い思いに咲く様子を眺める。日常とは辛抱強く観察することでもあるのかもしれない。
晴れた日の鴨川に降り立つと、つい気持ちが抑えきれなくなって早足になる。寒い日のつかの間の暖かさを大切に大切にながら広い空の下をひたすら歩いてみたりして。
2月の鴨川デルタ。3年前にこの景色を見て「京都で日常を送るってどういうことなんだろうか」と思い耽っていたことを思いだす。
神宮丸太町にあるカフェ「more」は、ひとりでも入りやすくて明るい雰囲気でとても居心地がいい。

3月 │ 春の陽気を追い求めて

│ 晴れの日が多くてとても嬉しくて、お弁当を持って毎日のように公園に足を運んでいた。春を心待ちにしては、狂ったように散歩に出かける日々。
相も変わらず私は鴨川にいる。何をするわけでもないけれど、この空気を感じるために足を運ぶのだろう。鴨川を歩いているたびに「京都に暮らせてよかったなぁ~~」とじわじわと満ちた気持ちになる。
3月の鴨川デルタ。暮らしという土台のなかでさえも、ついつい写真を撮りたくなってしまうのは、大好きな街で過ごしているからこそなのかもしれない。
早咲のおかめ桜で有名な長徳寺を訪れた。どこよりも早い春の訪れに心が浮き立つ。
地蔵堂に映り込む景色に心を奪われて。映画を見ているように、どこか遠い街の春の様子を眺めている気分になる。
一乗寺に行くとよく立ち寄る「アカツキコーヒー」。平日は誰もお客さんがいないこともあって、読書にぴったりの空間。
3月の晴れた日。梅小路公園でピクニックをした。スタバの容器も春仕様になっていて、長い冬を乗り越えた嬉しさが湧き起こる。
結婚半年記念日というものをこじつけにして、近所のフレンチ料理屋さん「rivière」へ。丁寧にひとつひとつの素材を味わうとびきりに上質な時間だった。
散歩のコースにある六孫王神社。桜の名所として知られているので、あえて桜が咲く前の枯れ木の様子から観察してみる。
今年は桜の開花が遅かった。待ちきれずに一足早く咲いていた京都御苑のしだれ桜を見に行く。桜を取り囲むように同じ考えの人がたくさんいた。

4月 │ 桜巡りの心地よさを思い知る

平野神社。4月1日、最高の晴れの日だったので、桜巡りDayとして、いろんな場所を訪れる。
濃いピンクのしだれ桜が美しい水火天満宮。桜の影がゆらゆら揺らめく姿が忘れられない。
桜巡りの途中で立ち寄った「喫茶 Prangipani」。常連の人が多くて優しい朗らかな空気が漂っていて、その空気を味わいながらの読書が進む。
今年の桜ピクニックは、鴨川ではなく家の近くの桂川にて。菜の花と桜が同時に見られる川べりで、来年も行こうっと。
4月7日の六孫王神社。溢れんばかりの桜のアーチをくぐって、本殿へと向かう道筋、違う世界に足を踏み入れるみたい。
4月25日の六孫王神社。あっという間に緑に染まる。こんな風にずっとずっと季節の移ろいを感じて豊かな気持ちに浸っていたい。
桜巡りの最後は、妙心寺退蔵院へ。極楽浄土のような(どういうの?)、昔の人も眺めていたのかなぁと思うような世界が広がる。
桜と新緑が混ざり合う景色が美しい。季節がまさに移り変わろうとするその曖昧な瞬間も見逃さずに生きていたい。
春の心地いい空気に包まれて、新しい散歩コースを作ってみたりして。山に沈むことが多い京都の夕日だけど、綺麗に見える場所を見つけられて嬉しかった。
京都暮らしの好きなところは、毎週のようにどこかでマルシェや手づくり市が行われていること。ふらっと立ち寄って眺めるだけでも新たな発見があって面白い。

5月 │ 新緑と木漏れ日が美しい日々

たとえ同じ場所であっても、訪れるたびに見える景色は変わる。その違いを追い求めるだけで、日々は一層豊かになる。
新緑に太陽の光が差し込み、風で揺れるたびにキラキラと輝く。この季節が一番好きだ、ということを思い出す。
天気がいい日はなるべく梅小路公園で過ごしていた。木漏れ日に揺られながら読書をする時間が何よりも心地よくて。私は私が思う心地よさを大切にしようと誓う。
伏見稲荷大社の近くにあるちいかわもぐもぐ本舗へ。京都らしさがたくさんあって8,000円分の買い物を一瞬でしてしまう。
大好きな「more」のプレートランチ。好きなカフェの好きなメニューは、日々を元気に過ごすために必要な要素だ。
近所に2階建ての窓の大きなスタバがある。5月は窓から瑞々しい緑の木々がたくさん見えて気持ちがいい。

6月 │ 散歩をすることで世界が変わる

6月もスタートは下鴨神社から。すっかり新緑に囲まれて神聖な雰囲気を醸し出していた。歩いているだけで日々のモヤモヤがそぎ落とされる気がする。
緑の多い鴨川も大好きだ。ただただ目の前の景色の美しさを噛みしめながら、日々を過ごしていく。
紫陽花が綺麗な智積院。毎年毎年変わらないのに、私自身の感情や環境は変わっていくのが不思議。
庭園の緑を視界に入れて、ただぼーっとしたり本を読んでみたりして。京都暮らしの特権は、そうやって自分を無にしようとする居場所があることかもしれない。
6月の六孫王神社は、さらに緑の世界になっていた。桜の時期の賑やかさはすっかりなくなっているけれど、私はこれからも景色の移り変わりをこの目で確かめていたい。
紅葉の名所は新緑の名所。という合言葉を刻みながら、もう何十回訪れているだろう建仁寺へ。一か所だけ太陽の光が差し込む様に目が離せなくなる。
壁一面に本が並ぶカフェ「地球舍」で食べたバスクチーズケーキ。カウンターでひたすら本を読む時間はとても豊かで、日々の余白にこんな時間を過ごしたいと思う。
ずっと行ってみたかった憧れの「喫茶ソワレ」のゼリーポンチ。青い光の店内でタイムスリップしたかのような気分。
6月終わり。半年の穢れを払い、残り半年の無病息災を願う「夏越の祓」で半年間を終える。

何気ない日々でこそ美しい

京都で暮らす何気ない日々をこうやって思い返してみれば、やっぱり日常は美しいということに気づく。何でもない散歩中のできごと、桜を追い求めたこと、近くのお店で食べたもの。旅行のような非日常感や特別感、ビリビリするような刺激はないけれど、日常の延長線上にこんなにも美しいものがたくさんあるんだ、とふと思う。

「何気ない日々でこそ美しい」そのことに気づけば、日常はもっと楽しくなるのだろう。何てことない私の日々は豊かであると、大好きな京都で暮らすようになってから実感できるようになった。

まずは、日常を愛そう。そして、たまには旅に出よう。そんなバランス感で生きていくのがちょうど良いのかも。2024年後半も、特別なことをしなくても私は私の日々が豊かだと心から思える毎日を過ごそう。

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