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おばあちゃんとの出逢い


銭湯に行ったときのこと

おばあちゃんが靴を脱いで段差を登ろうとして
こけた
手すりを掴み損ねてひっくり返った

どうやら足を引きずっていて少し動きにくさがありそうで杖を使っていた

スタッフが駆け寄り手を貸したあと

"悪いんだけどね、風呂の中はここより濡れて滑るからこんな感じだったら危ないから ひとりではやめた方がいい。せっかく来てくれて申し訳ないけど ちょっとこれでは怪我しても困るから …今日のところは帰ってもらえるかな"

と、言いおばあちゃんは戸惑い

"前にも来たことあって大丈夫で… いつもはあんまり転ばないんだけどね… そうですか …"

と言って、ベンチに腰掛けて途方に暮れていた。
気持ちの整理がつかない様子で、じっと遠くを見ていた。


両者とも、全くお互いを責めることもなく
でも希望が叶わない虚しさに 重い空気が広がって
周りにいた人も目線を落としていて
わたしの中にいてもたってもいられない気持ちが湧いた。


わたしはずっと銭湯や温泉で母の入浴介助もしてきて、このおばあちゃんよりもずっとずっと歩くのが難しい状態でも、行っていたので、
おばあちゃんは、全然大丈夫だと確信があった。
でもスタッフが心配する気持ちもわかる。


意を決して
おばあちゃんに提案してみた。

"あの、わたし実は作業療法士というリハビリの仕事をしていて、お風呂のお手伝いの経験があります、なのでもし迷惑でなければ、必要なところはお手伝いさせてもらえればと思うのですが。"と。

人によっては、余計なお世話だと不快に思うこともあったと思う。
でもおばあちゃんは、"あ、いいですか?"と、サクッと明るい表情で受けてくれて、すごくホッとした。
そして、スタッフさんに、

"もしもどちらも困らなければ、そういうことでもよいでしょうか"と尋ねると
"そういう条件であれば、もちろんです!良かったねおばあちゃん!"と、喜んで受け取ってくださって、とても救われた気持ちになった。


そこからわたしがしたことは
信じて見守ることだけ。


おばあちゃんは慎重に、
時間はかかっても確実な方法で移動をして
わたしは背もたれ付きのお風呂椅子を準備することと浴槽に入るときに軽く手を添えるお手伝いをしただけ。
他は全て自力でなさった。


特別な知識も技術も必要なく
ただ信じて見守ることだけで
おばあちゃんの自由は 希望は支えることができた。
わたしはただおばあちゃんと一緒にお風呂に入って楽しく話しをしただけ。
おばあちゃんがさらっと喜んでくれて申し訳なさそうにしないでくれたことが報いだった。
可哀想に思わせないでくれた。
そして母を思い起こさせてくれた。


母は、いつも私に"お風呂いきたい?"ときく。
一緒に連れて行って手伝ってほしい。ではなく。
いきたい?って聞いた。笑
毎日遅くまでハードワークな頃に週に一度しかない休みに、へとへとになるほどの介助が必要なお風呂に行くのに、"行きたい?だと?"と思っていた。苦笑
でもだから本当にしんどいときは断ったし、言いたいことも言った。



そして気付くと、
母の手伝いをしていた経験があったからこうやっておばあちゃんの手伝いを申し出ることができたし、おばあちゃんのそのライトな感じを喜ぶことができたという そんな種をもらっていたことに、気づいて
結果、たくさんを交換してフェアだったのだと気づいた。行けていて良かったのだ。


そして信頼と寄り添いだけで叶えられることが
たくさんある。

そこにもっと自由を広げる可能性を感じることができた。



その気になって考えてやってみれば健康になれる

-作業行動の考え方を広めたマリーライリーの言葉。

その人がその状態になれるために手伝うのに
手伝う側が主語になって何をするかに目を向けちゃうと違っていっちゃうんだろうな。


そして特別なことじゃなくても
出来たことに目を向けられる感覚があった。


母に対しても。


20年弱、母は身体の不自由さと付き合って生きていてそれにずっと手を貸しきれていないという負い目があった。ずっと一緒生活して介助をし続けていないことに"出来ていない感"を持っていた。
作業療法士でもやっぱり家族だからこそ素直には提案は飲まれないし。笑 経験があっても母にそれを活かして手伝うことができてないと思っていた。


でも同時に、これだけ長く付き合う疾患だからこそ、家族だけで支えるのではなく、サービスを使って、家族も、自由に生きることが大切だと実感してきた。


そう思っているけど、思いきれない囚われだった。

でもおばあちゃんのお陰で、介助してる感のないことも、充分に役に立つし、最終的にはどちらかがしてるされてるではない全て交流してるだけだということが腑に落ちて、今までたくさんしてきたことに気がついた。


サービスの調整をしたり、必要なときに話をしたり、初ボーナスでバリ旅行にふたりで行ったり、喧嘩もしたり、毎年叔母さんのお見舞い旅行に行ったり、一人暮らしの部屋を掃除してもらったり、笑 歩行器を贈ったり、二十歳のお祝いにハイブランドのバッグを贈ってもらったり(母が働きにでて稼いだお金で) 毎月温泉について行ったり…
充分母と一緒に時間を過ごしてきたと感じられた。


そう思うと
小さい頃からずっと留学したい、バックパッカーになりたいなどと海外に憧れながら
母のことを気がかりにしてやりたいことを諦めて札幌から離れることをしなかったことは
母へのある意味執着だったと思うし
わたしは両親からもらったわたしの命を生きていいと思えるようになった。



いつわたしの自由が利かなくなるかもわからないなかで自分に制限をかける意味などない。


全てにフェアなんだ。
自由なんだ。
どんな生い立ちでも家族でもいつでも何をしてもいいんだ。


すごく大きなギフト。


みんなが健やかに生きるバランスを探せばいい。
全ては交流。
手伝いもさせてもらうこと。
"やってあげること"ではない。


その気持ちを手放して許して
頼って差し伸べられるものを受け取って
自分ができる範囲のことをすればいいんだ。


家族が頑張りすぎやすい。当たり前じゃない。
そこに"してやってる感"を持たずにいられないくらいなら離れたらいい。犠牲は必要ない。
愛情からできることでいい。
苦しむことを誰も望んでない。
母も。


だからいいんだよーっ。て
わたしは自由に言って回りたい。

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