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〘前編〙「死にたい」「つらい」「生きている意味がわかりません」─19歳少女が抱える苦悩と向き合いました。〖180日間の記録〗

始めに:
本記事は、柏野美沙の活動3年間の全てを締めくくる集大成の記事となります。普段執筆している記事の内容とは随分異なりますが、どうか、どうか、この記事だけは最後まで読んでいただけないでしょうか。

最後までのお付き合いを何卒よろしくお願いいたします。

皆さんこんばんは。
柏野美沙です。

今回の記事は、上述した通りわたし柏野美沙の活動3年間の全てを締めくくる集大成の記事となります。いまこのタイミングだからこそ綴らねばならぬテーマがあり、わたしはいまPCに向かっています。

2019年3月8日。
あの日のカミングアウトから始まった活動の中で、本当に様々な人と出逢い、様々なことを経験し、学び、糧としながら、今月2022年の3月をもってわたしは活動3周年目の記念日を迎えることができました。
いつも応援してくださる皆さまにおかれましては、本当にありがとうございます。

その数々の出逢いの中から、本日はとある少女との物語を綴ります。

少女のお名前は、ここでは仮にXさんとしましょう。
Xさんとは、友人を介して出逢いました。
後に判明することですがXさんは若くして非常に深刻な経験を重ねており、人生に絶望していました。そんなXさんを何とかお支えしお力になりたいと思い、わたしは持ち得る全ての力を尽くしてきました。

これは、その180日間の記録の全てを綴った記事となります。

Xさんのプライバシーをお守りするため、詳細は部分的に伏せながら、また脚色も織り交ぜながら執筆を進めていきます。
記事本文において会話文が頻出しますが、わたしの発話を「」で括り、Xさんの発話は『』で括って区別します。前編/後編の全2部構成となり、本記事はその前編記事となります。

最後に。
本記事を執筆する目的としては、ひとえに1人の大人としてその責任を果たすためであり、後編記事の最後までお読みいただければ、一連の記事執筆の妥当性と必要性をご理解いただけるとともに、この目的にも納得していただけるであろうことを約束します。
また、執筆においては何よりもXさんの人格を一番に尊重し、わたしにだけ話してくださった秘密についてはこれを一切記載せず、最後までXさんの尊厳を守り抜くことを此処に誓います。

この記事は、次の段落で構成されています。

序論:1人の人間が、その存在を拓いていく道のりについて。

まず最初に、わたしがXさんとご一緒した180日間の記録と経験を基に作成した展開図を提示します。本記事では、この図に基づき一連の経緯を説明するとともに論を展開していきます。

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本図は簡略図となります。必要に応じて注釈を加えたスライドを差し込みながら、執筆を進めていきます。

上記の展開図の構成としては、1人の人間が成長していく過程におけるフェーズを、大きく3つの段階に分けて設定しています。
図中では色分けでこれを表現しました。

青:〘本質的な自己と向き合う〙
緑:〘自己の先に存在する他者と向き合う〙
黄:〘主体的存在としての自己の確立〙
この3つの段階を経ながら、"わたし"と呼ばれるものを拓いていき、やがては他者との協働関係の中において『統合的価値』を生み出すこと。これを最終的な目標としました。

抽象的な単語や表現も多く困惑させてしまっているかと思いますが、この記載内容の全てを自分自身の言葉に落とし込んだうえで、一から責任をもって説明してまいります。繰り返しとなりますが、最後までのお付き合いを何卒よろしくお願いいたします。

出会い

Xさんとの出会いは数年前に遡ります。
きっかけはわたしの友人Aでした。

「会ってほしい後輩がいる。」との連絡を受けて、都内のレストランにてXさんを紹介していただきました。

Xさんの第一印象は、すらっとした綺麗なお嬢さんだな、というものでした。一体なぜAが唐突にこのようなことをするのか疑問に思いましたが、いまになって振り返ると……、その意図もわかるような気もします。

聞くところによると、XさんはAからわたしのことを知り、紹介してほしいと仲立ちを頼んだとのこと。
「この子の面倒を見てあげてほしい。」Aからもそう強くお願いされ、連絡先とTwitterアカウントを交換し、その後わたしとXさんは定期的にお会いするようになりました。

Xさんの学校のお休みに合わせてお会いし、お茶やご飯をご一緒して、駅までお見送りをして解散。友人Aから受けたお願いのこともあり少し構えてしまっていましたが、その内実は通常の友人や知り合いとの付き合いと何ら変わらないものでした。
最初はお互いにぎこちなさもありましたが、回数を重ねる毎にそれもなくなり打ち解けていって。多感な時期ということもあり、Xさんから学校での悩み相談をされてそれに対するわたしの考えやアドバイスをお伝えすることが多かったように思います。
Xさんは小さい頃から音楽に親しまれていて、進学先も音楽大学に合格したんです、って嬉しそうに話している笑顔が印象的で。お会いすればするほど、本当にしっかりしているお嬢さんだな、という印象を持つばかりでした。

面倒を見るって、果たしてこの程度で本当にいいのかな?とは思っていましたが……、Xさんが毎回楽しそうにしてくださっていたこともあり、この関係性をずっと続けていました。

変節

しかしながら、あるとき、Xさんの様子が普段と明らかに違っていました。
お会いしたのは、とある冬の日。この日も夜ご飯をご一緒していました。
近況を伺いながら、なんだかXさんがとても疲れて見えました。
何かがあったのだろうかと思い聞いてみると、数十秒の沈黙の末、Xさんが重たい口を開きました。

『──数日前に、兄弟が逮捕されました。』

その対応で、ここ最近はずっとばたばたしていたこと。
いまだ心の整理がついていないこと。
わたしは驚きをもってこれを受け止めましたが、まずは何よりもXさんがこの場で現状話せる/話したいことをきちんと吐き出し消化できることが最も重要であると考え、打ち明けることでXさんが少しでも楽になるのであれば、わたしがお聴きすることで尽力したいと本心から思っている旨をお伝えした上で続きを促しました。

『実は、逮捕だけじゃなくて、わたし自身も最近かなりおかしいんです。』

心身の異常

主な症状は、重度の不眠でした。

ここ一週間で合計3~4時間ほどしか眠れていないこと。
これに関しては先の兄弟の逮捕を受けて混乱していることも原因として考えられるが、どうもそれだけではなさそうだ、ということ。そしてこの不眠により、既に学校生活もままならない状態に陥ってしまっていること。

『この間なんてひどくて、お昼休みに急に眠気に襲われてしまって。我慢できずに空き教室で気絶するように寝てしまって、目が覚めたらもう夕方になってしまっていました。』『午後の授業を丸々サボってしまいました……。』

次に話してくださったのは、食生活の乱れについて。

疲れ切って学校から帰ってから、まともな食事が採れていないこと。
夜ご飯は毎日カップラーメンだけ、よくてそれにコンビニサラダをつける程度。
不健康な食事、不眠で眠れない夜、当然学校での勉強にも身が入らない。『崩壊しています……。』Xさんは本当に憔悴しきっていました。

最後にお話ししてくださったのは、親との関係性、そして恋愛面でのお悩みについて。

幼少期からずっと、両親との関係性が良好とは言えないこと。一時期は家庭内で親子共に声を荒げての罵倒し合いが日常的に繰り広げられていたこともあること。今回の兄弟の逮捕も、そういった不安定な環境に端を発して突発的に凶器を持ち出してしまったことが原因であること。
そのほか家族の中に経度ではあるが発達障害を抱えている者がいて、いま自分自身がこうした状態に陥ってしまっているのも、もしかしたら自分にも知能等の面で何かしらの遅れがあり、それが作用しているからなのではないかとも心配していること。
また、現在彼氏がいるが、この関係性においても悩みが尽きないこと。既にXさんに気持ちはなく、すぐにでも別れたいと思っていること。

恋愛面のお話については詳細をぼかされてしまいましたが、ここにも相当程度の大きな悩みや苦しみを抱えているのだろうということが、Xさんの"語ろうとしない"という態度から推察することができました。

医療への接続

Xさんのお話を一通りお聴きして、わたしは前述の通り非常に驚くとともに、自身を深く恥じました。
これまで決して短くない期間一緒にいたのに、Xさんが抱えている問題の、その1つにさえ気がつけていなかったこと。本当に、本当に、申し訳なく思いました。

また、お話していただいた心身の異常についてはカミングアウト以前のわたしとも酷似する症状が並んでいたため、非常に深刻な危機感を覚えました。

真っ先に必要だと考えたのは医療への接続です。
これについては以前わたしが通院していたメンタルクリニックがあり、まずはそこにXさんを紹介し診てもらってはどうだろうとご提案しました。
『ぜひよろしくお願いします。』と了解をいただき、Xさんのお身体の不調も鑑みその日は解散としました。

帰り際。
「無責任な言葉になってしまうかもしれませんが、Xさんが心穏やかに過ごせるようになることを願っています。」と声をおかけしたことを覚えています。

『……わたしもそうなればいいな、とは思っています。』

改札の向こうに消えていくXさんの弱弱しい背中を、最後まで見送りました。

このとき、Xさんは19歳でした。

音信不通

Xさんからお話を伺った日から、メンタルクリニックへの紹介の進捗も含めて定期的に連絡を差し上げていましたが、既読になってから返信が来るまでのスパンがいままでに見られないほど長くなっており、Xさんの精神面の状態を心配していました。

改めて状況は一刻を争うことを再認識し、わたしはメンタルクリニック予約を急ぎ、まずはXさん抜きの状態で先生に事のあらましをお伝えすることにしました。幸いなことに、すぐに予約をとることができました。
間を置かず、Xさんに報告しました。

「Xさん、メンタルクリニックの予約がとれました。明日先生に話してみて、結果をご連絡しますね。」

このときのDMにはすぐに反応を頂けました。
『ありがとうございます。お待ちしています。』



診察日当日。
先生はわたしの久しぶりの来院に驚かれていましたが、親身になって話を聴いてくださいました。
Xさんから伺った家庭環境の現状と、それが孕んでいると思われる問題のこと。そして現時点で既に心身に症状が出てしまっていること。これについて、わたしに過去起こったものとよく似ていること。切迫した危機感を持っていること。少しでも力になりたくて、いま自身にできることの中で一番の最優先事項を検討した結果、今日ここに来たこと。

「もし可能でしたら、わたしからの紹介という形でXさんを診ていただくことは可能ですか?」わたしのこの申し出に先生は快く応じてくださり、まずは一安心しました。

これを受けて、すぐにXさんに電話で報告しました。

「──先ほどメンタルクリニックに行って先生に相談してきました。結論から言うと、診てくださるとのことです。」「また、Xさんが診察に伺う際にご提案したいことが1つあって、聞いていただけますか?」
半月ぶりに聞くXさんのお声は、予想していたよりは暗くなく安心しましたが、やはり元気がない様子でした。今夜はこれから高校生時代の友だちに会いに行き、相談に乗ってもらうそうです。このときの電話では、前回ぼかされてしまっていた彼氏とのことについても幾分踏み込んだ打ち明け話をお聞きすることができました。

『詳しくは言えないのですが、すごくひどいことをわたしがしてしまって、』『だから、いまのこれはきっと罰で。』

その"すごくひどいこと"というのが一体何なのか、なんとなく察しはつきましたが……、いまはとにかくお話を聴くことに専念しました。

『何のために生きてるの?って聞かれたら「音楽のため」って答えるけど、きっと本心ではそう思ってないんでしょうね。』Xさんのこの印象的な吐露が、いまでもわたしの中に残っています。

「……先ほど言ったご提案なのですが、」「Xさんの診察日に、わたしも付き添いでご一緒してもいいですか?」Xさんにとっては人生で初めてのメンタルクリニックの受診となり、現在の精神状態でこれをお1人でこなすのは相当厳しいのではないか……とお力添えをしたく考え、このように申し出ました。

『ありがとうございます。そんなことまでしていただいて、本当に。』
電話越しのXさんの声は震えていたように思います。

「……わたしも修羅場はたくさんくぐってきたので、ぜひ安心して頼ってください。何を聞かされても絶対に引いたりしないので、言える範囲であればどんなことでも言っていただいて大丈夫です。」「心配なので、近日中にまたお会いしましょう。そのときにお互いの予定を擦り合わせて受診日を決めて、その場で予約の電話もしてしまいましょう。」

お会いする日はその一週間後で調整がつきました。
電話のあとは正直気が気でなかったのですが、気持ちを落ち着かせて当日を待ちました。この期間はXさんへの連絡も意識的に控えていました。

迎えた当日。
自宅を出発し、電車の中でXさんに連絡しました。
『おはようございます。今日はよろしくお願いします。何かあったら教えてください。』送ってもなかなか既読がつかず心配していたのですが……、数十分後に返信が来ました。

「ごめんなさい、もう向かってますよね……?身内でトラブルがあって行かなければならないので、今日行くのが難しくなってしまって……。申し訳ありません。」

了解の旨とリスケをすぐにご提案したのですがその後1日中音沙汰がなく……、23時頃に『本日は本当に申し訳ありません!』と短文で連絡が来た後、こちらからの返信に一切の反応がなくなり、音信不通となってしまいました。

1ヶ月目

現在のXさんの精神状態はおそらく非常に危うい状態にあり、であるからこそ、ここで過度に干渉してしまうとそのバランスをさらに崩しかねないと判断しました。
「落ち着いたら、いつでも連絡をください。決して見捨てないことを約束します。」とだけ連絡し、あとはXさんからの自発的なご連絡を待つことにしました。

とは言ったものの、待つだけという状態も非常に苦しく……。忸怩たる思いで日々を重ねました。こうしている間にもXさんが、それこそご兄弟のように突発的な衝動行為に走ってしまうのではないか──、よからぬ想像は膨らむばかりで、わたしとしてもかなり堪えた時間でした。

だからこそ、再び突然Xさんからご連絡をいただけたときは本当に嬉しく思うとともに、深く安心しました。

『ずっとご連絡できなくてごめんなさい。いろいろありすぎて、限界になってました。』

あの日から、約1ヵ月が経とうとしていた頃でした。
すぐにXさんに電話しました。

『──なんかもうずっと病んでて、夜中に家の近くの河川敷まで行ってずっと死にたい死にたいって思ってました。』『本当にいろいろあって……。』『でも、最近は学校も忙しくなってきて病んでばかりもいられなくなって、ちょっとだけマシになりました……。』

わたしと音信不通になっていたときのお気持ちも話してくれました。

『わたし、頻繁に人間関係のリセットをしてしまう癖があって。そういうときは大体、SNSのアカウントを消して物理的に連絡が取れないようにするんです。』『今回も限界まで落ち込んだときにこのアカウントを消そうかと思ったんですけど、』『そのときに「消したくない」って思ったんです。そんなことを思ったことは初めてで、自分でもそれに驚いてしまって。』

それはつまりわたしのことを大切に考えてくれていたということの証なのかな、と嬉しく思いました。この感謝は、Xさんにもきちんとお伝えしました。

『いえいえ、感謝するのはこちらの方です……。本当にありがとうございます。』
いわゆる問題行動が数多く見受けられ、その程度も甚だしくはありましたが、それでもXさんはこうした感謝や礼節をきちんとわたしに対して示してくださる方でした。このことを、わたしは絶対に忘れません。

その後、改めてお会いする日を一緒に決めました。
「つらいだろうけど、当日は頑張って、来てね。」

『はい。』わたしの言葉に、しっかり返事をしてくれたことが嬉しかったです。



約束の日、それでもさすがに一抹の不安はありましたが……、今度はXさんはちゃんと来てくれました。電話で伺っていた内容やお話ぶりからいままで以上の憔悴を心配していましたが、思っていたよりもお元気そうで安心しました。ちゃんと意思疎通できるし、ときには笑えるし、しっかり前を向いて歩くこともできています。
しかしながら、それはつまりわたしが日常の中でお会いし関わった相手が、一見何の問題もない元気で普通の人に見えていたとしても──それこそあの冬の日以前のXさんのように──、その内心には非常に切実な問題や悩みを抱えている可能性だってあるのだということを示しています。

もちろんそこに土足で踏み入るような真似を是とはしませんが、このことを念頭に置いて他者を慮ることが何よりも大切なのではないかとわたしは考えます。

現状の整理

お話を伺う際は非常にデリケートかつ個人的な情報を扱うことが予想されたため、当日はXさんの許可を得たうえで予め人払いのできる個室環境を用意していました。

Xさんは既に覚悟を決めて来ていただいていたようで、以前はぼかしながら言及していた内容についてもはっきりとわたしに語ってくれました。
下記に、Xさんが陥っていた状況を簡潔にまとめます。

《Xさんから伺った内容》

小学生
両親が不仲。父親が深夜まで家に帰らないのが当たり前だった。母親からはそんな父親の愚痴や悪口を聞かされて育った。
印象的な出来事として、妹が産まれた日のことをよく覚えている。
母親が産気づいたため父親の会社に電話すると、すぐに血相を変えて帰ってきた。母親をかいがいしく介抱しながら病院に向かう父親の背中を見て、ひどく冷めていた自分がいたという。『お互い嫌い合ってるのに』『何をいまさら家族ごっこみたいなことしてるんだろう、って思いました。』

中学生
両親の不仲が悪化。父親の不倫が発覚するなど、家庭環境は最悪。
その後ついに両親は離婚、Xさんは母親についていくことに。

新しい生活が始まったが、それは理想とは程遠いものだった。
ある日を境に突然、家に見ず知らずの男が転がり込んでくる。母親からは「ただの知り合い」と説明されたが、すぐに2人は恋仲であることが判明する。

多感な時期、同じ屋根の下で赤の他人と同居する緊張とストレスは凄まじく、自分と妹そっちのけで男に夢中になる母親の姿を間近で見てしまったことで、自分の中の何かが『壊れてしまった』。

この頃からリストカットが始まったように思う。そのほか抜毛癖も見られ、気がつけば自分の髪の毛を抜くようになってしまう。この当時の記憶には抜け落ちている箇所も多い。母親との喧嘩も頻繁に起こすようになり、口にするのも憚られるような暴言で母親を強くなじり罵ることも珍しくなかった。
『自分は母親にとって大事な存在ではなかったのだ、いらないんだ、』
そう思ってしまうことがとても悲しかった。

耐えきれなくなったXさんは家出を決行。別居中の父親の家に身を寄せる。これを受けて母親の精神状態が激しく乱れ、Xさんを連れ戻そうとするなど荒れに荒れたが、Xさんの意志は固く最終的には母親もこれを認める。

これ以降、Xさんは父親の家で生活するようになる。

高校生
高校時代についてはXさんから特に言及がなかった。前述の中学時代の出来事のインパクトが甚大であり、そちらに話す労力と時間が割かれたためと思われる。
しかしながら、この頃から自身の恋愛観が歪になっていった自覚があるとのこと。また、前述の自傷行為も常態化していた。

大学生(現在)
入学時からあまり学校に馴染めなかった。しかしながら、同じような家庭環境で育った同級生1人と出会い友人となる。学校に行くのは気が乗らないが、友人がいてくれるおかげで頑張れている。

自傷行為は依然として続いている。
大学生となったことで生活習慣や行動範囲も大きく変わり、それに伴いこの問題行動が変調をきたし始める。

Xさんはいままでの学生生活を通じて恋愛経験が乏しく、長年それをコンプレックスに感じていたとのこと。そんな中、とある同級生男子から声をかけられる。あろうことに、浮気の打診であった。その男子には既に彼女がいた。
しかしながら、これでコンプレックスから解放されると思い、Xさんはその誘いに乗ってしまう。後にこの行動をひどく後悔することとなるが、やがて自暴自棄に転じ、性的に奔放な行動を取るようになる。学内の狭い人間関係の中でこの噂がまわり、Xさんに対して複数の浮気打診が舞い込むようになる。倫理的に望ましくない交友関係/交際関係を複数結び、夜遊びにも興じるようになる。金銭的なタガも外れ、計数十万円をこれらにつぎ込む。

これに呼応するように、自傷行為がさらなる悪化の一途を辿る。
さらに心的な変調も加わり、希死念慮が増大。自身に対する無価値感、罪悪感、絶望感が常につきまとい、それらを解消するために自傷行為や逸脱行為に手を出し繰り返し続ける負のループに陥ってしまう。

最後に、身体的な症状が現れる。
重度の不眠と、それに伴い日常生活の維持が困難になる。
あの冬の日、打ち明けてくれたときXさんはまさにこの渦中にいた、とのこと。

こちらも以前から得ていた断片的な情報を基にある程度の予測と準備はしていましたが、それでもその範疇を優に超えてくる激烈な内容の話も多く、驚きをもってお話を聴いていました。特に中学時代のお話は衝撃的で、当時のXさんが心に負ってしまった傷はいかばかりのものであったか、ただただ想いを寄せることしかできませんでした。

一通りお聴きした後、何よりもまずは、心からの感謝をお伝えしたく思いました。

「話しずらいことも多かったと思いますが、こうして話してくれて本当にありがとうございます。」「信頼してくれていることの表れなのかなと思って、すごく嬉しいです。」

『……美沙さんは、憧れの人なんです。ずっと見てきて、生まれて初めて、この人は信頼できる人だって思えた人なんです。』
Xさんの言葉には感情が込められていて、熱を帯びていて、嘘ではないことが明確にわかりました。だからこそ、とても嬉しかったです。

「親御さんの話もしてくださって、ありがとうございます。」「わたしも親子関係が決して良好であったとは言えない家庭で育ったので、お気持ちはわかります……と簡単に言ってしまうのも失礼かと思いますが、ある程度理解はしているつもりです。」「なんというか……、"大人になり切れない子どもが子どもをつくってしまった"、そのような印象をお話から受けました。」

『本当にそうで……、本当に。』

「恋愛面でのお悩みについても、詳しくありがとうございます。」「わたしがうまくアドバイスできるかはわかりませんが……、世の中を見ていると、男女問わず、人格のベースにおいて異性に対する蔑視や憎しみを持ったまま関係を構築しようとする人が一定数居るように思います。」「その結末は大抵悲劇的で、それでもそれを繰り返し続けるから、決してうまくいくことがないのだと思います。」

『……正直、もうこのままでもいいのかなって、』
Xさんがそんなことを言うから、このときわたしはXさんの目を見据えて、「それだと破滅しますよ。」真っ直ぐ、そう告げたことを覚えています。

「__思うに、いまXさんが悩んでいる問題行動は、結果として表に出てきているだけのものであって、根本的な原因はもっと深いところにあるとわたしは想定します。」「おそらく、いま考えるべきは恋愛関係自体ではなくて基本的な人間関係や自分との向き合い方であって、まずはそこを立て直して、それを恋愛関係にも波及させていけばいいはずです。」

その後時間をかけて、自分自身の行動の意味をもっと本質的な意味で理解しないとダメですよ、という話をしました。

「例えば、いまXさんのTwitterアカウントのプロフィール欄には"胸を張って生きたい!"って書いてくれているでしょう?」

『はい。』

「それを書いてくれたのは、確かAに紹介されてわたしと初めて会った日のあとだったよね。レストランでアカウントを交換したときにその記載はなかったはずだよ。」「あの一文を見たとき、わたしは本当に嬉しかったんだよ。なんで、ああやって書いてくれたの?」

『……うまく言えませんが、ただただそう思って……。』

「わたしのことを知って、会いたいと思って、紹介して貰おうって決意して、行動して、実際に会って、経験して、結果として生まれた感情を言語化したものが、あの"胸を張って生きたい!"って言葉だったんでしょ?……だったら、その過程を忘れてはダメです。」

「物事の考え方は同じです。」「いまXさんの目の前にある問題はその規模も大きさも桁違いだからわからなくなってしまっているだけで、まずはこれに立ち向かおうと決意して、その方法を考えて、仮説に基づいて行動/実践してみて、その結果を受けて必要であれば改善して。これを繰り返していく中で、いま生じている弊害を少しずつ小さくしていけるはず。」「構造と、考え方/向き合い方はいつだって同じです。」

最後に、わたしは意識的にとある発問をしました。

「Xさん。今日、なぜわたしがここに来たか、わかりますか?」

『…………。』

「大切だからです。」「あなたのことが大切だから。心配だから。どんなに小さなことであったとしても、あなたの力になりたいと心から思っているから。」「だからこそ、こうして時間を作って足を運んで、いまあなたと向き合っている。」「わかりますか?」


『……わかります、と言ってはいけない気がします。』

そう答えたXさんの声を、わたしはいまでも覚えています。

決意

お話を伺い出来得る限りのアドバイスをしたものの、今後どのようにXさんをお支えしていけばよいのか、わたしは結論を出せずにいました。
事は重大であり、果たしてわたし1人に務まるのか不安もありました。

かと言って、このままメンタルクリニックに丸投げするのも躊躇していました。
この複雑に入り組んだ現状と問題を、ましてや恋愛関係という非常にプライベートな事情から端を発している諸症状を、カウンセラーとはいえ赤の他人に対して話すのは酷ではないだろうか……と考えると、やはりメンタルクリニックは最適解ではないように思えました。

それでも、今日、Xさんがわたしに会いに来てくれたこと、勇気を出して言いづらいこと/恥ずかしいことをわたしに打ち明けてくれたこと。これに対して敬意を表し、答えを出し、道筋を示すことが自身の責任であると理解しました。

「……もし今後、浮気を打診されたり恋愛関係におけるトラブルに巻き込まれそうになったら、わたしのことを思い出してください。」
気がつけば、口が勝手に動いていました。Xさんに語りかけながら、それと同時に自分自身にも語りかけ、わたしの中でことばが駆け巡るのを感じました。

「つまり何が言いたいのかというと、」「まずは、わたしとあなたのこの数年間は──出会ったあの日から今日に至るまでのこの関係性は──、恋愛関係やそれに付随するものによって成り立っていたわけではないよね、ということ。」「つまり、Xさんは恋愛関係に依らずとも、現にいまここで、尊重と尊敬をベースとした人間関係を築くことができている。それができる人間である、ということ。恋愛だけがあなたの全てではない、ということです。」「いままでわたしと積み重ねてきた年月がその確たる証拠です。」「これを自覚し理解していただければ、浮気の打診をされたときも、今後はそれがストッパーとして作用するかもしれない。」

ハッとしたXさんの顔を、よく覚えています。

「まずはやってみましょう。」「結果うまくいけば良し、うまくいかなかったらそのときは改善策を講じて再度トライしてみればいい。」

この瞬間、わたしは覚悟を決めました。

自身の持ち得る全てを行使し、責任を持って最後まで、この人を看て支えていこう。今日ここで見出した事実とことばが、1つの突破口になるかもしれない。

今後も定期的に会って、その都度現状を確認して、解決に向けて一緒に歩いていこう。そう約束して、この日は解散としました。

「今日話したこと、忘れないでね。頑張ってみてね。」

『はい!』

最後には笑顔のXさんと別れることができたのが、この日の大きな成果でした。

2ヶ月目

フローの構築

次にXさんとお会いするまでは、ひとまず約1ヵ月の期間を空けることにしました。その間に、わたしは今後Xさんとお会いする際の1日全体の流れの作成作業を進めました。

前回Xさんとご一緒した際の一連の流れが非常にスムーズだったこともあり、これをベースとして最終的な形に整理し直しました。下記に示します。

《Xさんとお会いする際の1日全体の流れ》

①お会いする
  ↓
②現状の確認
・いま悩んでいること
・逸脱行動や問題行動の有無
・その他共有しておきたいこと 等をヒアリング
※プライバシーに配慮し個室環境を整備
  ↓
③アドバイス/指針の提示
  ↓
④次回の日程調整
※約1ヵ月後を想定
  ↓
    ~
  ↓
⑤次にお会いする日の3週間前までに電話
・前回のアドバイス/指針の提示を受けての経過観察
・再度の現状確認 等をヒアリング
  ↓
①に戻る

こちらについてXさんから了承をいただき、改めてこのフローに沿ってご一緒していくこととなりました。

本フロー構築の背景としては、合理化/効率化はもちろんのこと、何よりもまずはお会いするにあたってXさんの心理的負担を軽減することを一番の狙いとしていました。非常にセンシティブな事項を取り扱うこととなるため、不確定要素を徹底的に排除したうえでXさんに対して先行きを提示することができれば、Xさんのお気持ちも安定し再び音信不通となってしまうような事態も防げるのではないかと考えました。

実践

さっそく本フローに則り、数日後にXさんと電話しました。
電話口から聞こえてくるXさんの声は明るくはっきりしていて、とても安心しました。

『……あのあと、本当に気持ちが軽くなって、いまもメンタルは割と安定しています。』『思えば、いままでは男の人と会ったり話したりしているときに、いつも恋愛関連のことが頭にちらついていて、そういう関係にならないといけないんじゃないかって思ってて。でもいまはそれだけじゃないんだってことに気づけて、楽になりました。』

ご一緒していてよく感じたことですが、Xさんは自分自身について語ること/言葉を尽くすことが非常に上手な人でした。その言葉の瑞々しさは、たとえXさんが深く落ち込み自暴自棄になっているときであっても変わることはありませんでした。

「声を聴けて安心しました。ご様子も、いまのところ安定しているようでよかったです。」「改めて、先日お話したことを整理したいのですがよろしいですか。」

『はい!よろしくお願いします。』

1.事実ベースで物事を構造的に考える、ということ。

「わたしとXさんの関係性は、恋愛関係やそれに付随するものによって成り立っているわけではないということを、あの日2人で一緒に確認して理解しましたよね。」

『はい。』

「ありがとうございます。ここで何よりもまず押さえておきたいのは──、」「その事実を確認して理解するまでの自分は、果たしてそれを本 当 に 理 解 で き て い た の か ?ということです。」

『…………。』

「厳しいことを言うようですが……、言われてみればそうだとわかる、自分でもよく考えてみればそうだとわかる、……でも指摘されるまではそれに気づけなかった/わからなかったということはつまり、わかっているようでいてわかっていなかった/考えているつもりでいてその実何も考えていなかった、ということです。」「これはXさんを責めているわけではないんですよ。」「これからは自分の頭で物事を"構造的"に考えていかなければならない、わたしはその重要性を説きたく思っています。」



生きていくうえで、"考えること"を止めてはいけません。
人間は、いとも簡単に"考えること"を忘れてしまうから。

例えば、誰かと友達になれたとしても、1ヵ月、半年、時間が経っていくにつれて、"なぜ一緒にいるのか"がわからなくなってしまうことがある。これを放置したままでいると、やがては「なんとなくいつも一緒にいるから」などと、その関係性における意味は際限なく薄れていってしまいます。

でも本当は違う。違うはずなんです。
あなたがその相手と友達になれたのは、そもそもはあなたもしくは相手が「友達になりたい!仲良くなりたい!」と思って勇気を出してアクションを起こして、関係性を構築したからにほかなりません。そしてその後もその関係性を維持し継続してこれているからこそ、あなたはいまでもその友達の隣で笑っていられるはずなんです。この連続性の全てを、絶対に忘れてはならない、ということを申し上げています。

"価値"と呼ばれるものは行動から生まれ、連続性の中で育まれていきます。

過去から現在に至る中長期的な時間軸の中で、自分自身は一体何を果たしてこれたのか?

これを構造的に分析することができて初めて、"人間"というものを本質的に理解することが可能となります。
物事や存在──対象と向き合う際は、何よりもまずその背後にある"構造"にこそ思考の焦点を合わせるべきです。"外側"に表出している事象のみを注視してしまうと、全体的な理解の精度は著しく低下します。


「──だから、先日お会いしてXさんからお話をお聴きしたときは、確かに驚いたし危機感も覚えたけど、でも、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。」「あの問題行動や逸脱行動はいわばXさんの"外側"に表出している部分であって、本当の本当は、もっと深いところで根源的な苦しみを抱えているのかな、そう思いながらお話を聴いていました。」

『……そうかもしれません。』『実はいままでも、周りの人に相談してみたことがあるんです。』『そんなときはみんな決まってそんな関係はやめろ、アプリを消せ、連絡を断てと言うだけで……。』『でもそうしてみたところで、ほとぼりが冷めたら結局また同じことを──』

「「「『『『繰り返す。』』』」」」

「……そうでしょう?」「だから、何度も言っている通り、問題行動や逸脱行動そのものを抑え込もうとしても、何の意味もなさない。対症療法では何も解決しない。」

2.自分と向き合う、ということ。

「再度申し上げます。」
「わたしとXさんの関係性は、恋愛関係やそれに付随するものによって成り立っているわけではありません。」「そんなものに頼らずとも、Xさんは現にいまここで、わたしと健全な人間関係を築くことができている。これは"事実"として"いまここ"で起こっていることであり、それ故に、否定することなど誰にもできない。」「事実をベースとして構造的にこれを把握し、本質的な意味合いを理解してください。」

見えていたのに、見ようとさえしていなかったもの。それこそに、いま一度しっかりと目を向けて考える。
そして、そこから得た"事実"という名の糧を、絶対に、忘れてはならない
この"忘れない"ということばは、単に"覚えておく"という意味ではありません。そのような理解では浅すぎる。もっともっと深い意味──、

"言葉を自らの身体の根幹に刻み込むこと。"
"それを消化し、自らの血肉とすること。"
"常に、生活の根底に置くこと。"

これが、"忘れない"という言葉の、本当の意味です。

『……わかりました。』『忘れないように、します。』
『もっとちゃんと自分のことを見てあげて、ほかにもちゃんとできていたところがあったと思うから、見つけてあげたいです。』

最初は、ほんのわずかな欠片でもいい。
形だけの世界に居た人間が自己に対する"確信"に触れた瞬間、それは信じられないくらいの大きなインパクトを持って当人の心を打ちます。そこには驚き、喜び、感動──そして"何もないと思い込んでいた自分自身"の"内側"から、"突如湧き上がってきたもの"に対する当惑があります。

この当惑を経験した人間は、一度"静止"します。立ち止まり、内省が始まります。──つまり、"静的"な活動にいざなわれる、ということです。

次第に、当人の中で自己に対する知的好奇心が呼び起こされ、やがて急速に波及していきます。

もっと。
もっと自分のことを知ってあげたい。
いま、一体わたしは"何を"しているのか。
なぜ、いまわたしは"ここ"に居るのか。
なぜ、いまわたしは──"生きているのか"。

自分自身の"内側"に踏み込めば、関連する"ことば"が、"想い"が、"感情"が、溢れ出してくる。
そしてそれらが一斉にベクトルを揃えて、自己の核心の在り処を指し示す。
自身の深くへと根を下ろすこの態度こそが、探究的態度であると理解してください。
この態度を基盤としたうえで、現実的/構造的な思考をたゆまず連続することが、ひいてはより大きな営みへと発展していきます。

《中長期的な時間軸の中で、自分は一体何を積み重ねてきたのか。》

その選択と、行動と、結果を見定める──それはすなわち、"わたし"という存在を記す歴史そのものを"認識"し、その連続性の最終地点に立つ自己を"了解する"という作業にほかならず、つまりはこれこそが"自分と向き合う"と呼ばれる営みの正体であると、わたしは考えます。

2-1. 《注釈》"外側"と"内側"についての論考

この"自分と向き合う"という営みについて、

「「「自分と向き合うのはつらい」」」

という声をよく耳にします。
言わんとすることはよくわかります。そうした彼ら彼女らについてわたしが考えている仮説としては、彼ら彼女らがつらくなってしまう原因としては、自分と向き合ってみたところで結局自分自身のダメなところや嫌いなところ──それを示す"ことば"に直面してしまうからではないかと推察します。

この、人間と"ことば"との関係性において、わたしはその"ことば"が当人のどこに存在しているのか?を最も重要視しています。
考えられる領域は2つあります。──"外側"か、"内側"か。

例えば、ここに「自分はダメなやつだ」という"ことば"があるとしましょう。
彼ら彼女らがこの"ことば"を持っている(=自分自身のことをそう思っている)のだとすれば、この"ことば"が一体どこでどのように形作られていったのかを考えてみることで、彼ら彼女らの状態をより正確に理解することができると考えます。

耳を傾けてみればすぐに、彼ら彼女らのこの"ことば"には、根拠があることがわかります。理由があることがわかります。当人にその自覚がなくとも、理由があるからこそ「自分はダメなやつだ」と思っているはずなんです。そしてその理由は、間違いなく、過去に存在しています

過去に劇的な何かがあったから、失敗したから、傷ついたから、大切にされなかったから、愛されなかったから。過去に"自らの身体で体験した事実を以ってして、自らを「ダメなやつ」と定義している。──つまり、「自分はダメなやつだ」という彼ら彼女らの"ことば"は、彼ら彼女らの"身体の中に在る"。この領域のことを説明しようとするのであれば、"内側"と呼称するほかない──わたしはそう結論づけます。

そんな彼ら彼女らに対して、
「そんなことないよ」「あなたは素晴らしい人間なんだよ」と言ったところで何も響かないのは、これらの"ことば"は、逆に彼ら彼女らの"外側"に在るから

「そんなことない」理由は?
「あなたは素晴らしい人間なんだよ」と言えるだけの根拠は?
それを誰も示してくれないから説明してくれないから自分自身の身体が知らないから、その"ことば"を"信 じ る こ と が で き な い "
そんなものよりも、自身の"内側"に刻み込まれている痛みが、屈辱が、呪いが、事実という根拠を伴って響いてくるから、それだけに囚われてしまう。

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よく、「自分で自分を褒めてあげよう」、「それが自分と向き合う方法です」などということが盛んに言われています。ネットで軽く調べてみれば、すぐにそうした言説を見つけることができるでしょう。

例えば、
「生きてるだけで偉い!」って自分に行ってみよう。とか、
「大丈夫!わたしはできる!」と唱えてみよう。それを毎日何度も何度も繰り返そう。とか。

断言します。
そのような行為は、戯言は、世迷言は、
彼ら彼女らにとっては 何 の 意 味 も 持 た な い 陳 腐 な 方 法 論 に 過 ぎ ま せ ん 。呪 文 を 唱 え れ ば 救 わ れ る な ど と 無 責 任 に 喧 伝 す る こ と は 、有 害 以 外 の 何 物 で も な い 。悪 魔 の 所 業 に も 等 し い 。

「生きてるだけで偉い!」という"ことば"は、当人が心の底から自分自身に対して「生きてるだけで偉い!」と思っている状態で口にしなければ意味がない
「大丈夫!わたしはできる!」という"ことば"も、当人が心の底から「大丈夫!わたしはできる!」と思っている状態で口にしなければ意味がない
つまり、自身の"内側"から生み出された"ことば"でなければ、それは何の意味も持たない。"ことば"をむやみやたらに叫んでも喚いても、それが根拠も理由も持たない薄っぺらい"ことば"であるのなら、たとえ自分自身の口から出た"ことば"だとしても、"外側"に取り残されて届かない

2-2. 《注釈》"ことば"を標準化する

この構造が、自己否定を引き起こしている一因であると考えます。

彼ら彼女らは、自身の"内側"にある「マイナスのことば」と、"外側"から与えられた「プラスのことば」を比べようとしている。

ここで問題となるのは、"内側"のことばと"外側"のことばとでは、その質が違うということです。このことを、つまりは単位が異なっていると、わたしは説明します。
例えるのであれば、それはg(グラム)とcm(センチメートル)を比べようとしているようなものです。比べられるはずがない。だって単位が違うから
そしてここで、自己否定に陥っている彼ら彼女らは、自身の"内側"にあって強烈な実感を伴う「マイナスのことば」のみに無条件に重きを置いてしまっているのではないかとわたしは推察します。

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しかしながら、"外側"から与えられた「プラスのことば」を、事実ベースで"構造的"に検証/分析した結果、"内側"の尺度に置き換えることができれば状況は一変します
他者から与えられた"外側"の「プラスのことば」に対し、根拠を持って「確かにその通りだ」と実感できれば、初めて、人はその"外側"の"ことば"を自身の"内側"に取り込むことができます

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この瞬間、"ことば"は標準化され、単位が揃い、比較優劣が可能になると考えます。

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結果、たとえその「プラスのことば」がいかに少なかろうと、それでも、自身の中に確かに存在したその"ことば"を、信じることができるようになる

そして此処に至り、誰しもが等しく不完全であり、完璧な人間などいないのだということを、初めて構造的に理解することができるようになります。
自身に制御可能な範囲内で、「プラス」と「マイナス」のバランスを保つ感覚とその術を知ることができます。最終的に、当人は等身大の自分に気づくことができます。

このようにして自分自身と向き合い、等身大の自己を肯定する。
この一連の流れの中で、その人の人格が未来に向かって大きく発展していく。わたしはそう信じています。

3."ことば"を相対化して考える、ということ。

"わたしは、恋愛関係に依らずとも、健全な人間関係を築くことができる。"

事実をベースに、物事を構造的に分析した結果として出てきた1つの"ことば"。

「次にお願いしたいことは、この"ことば"を相対化して用いること──つまり、特定の場面においてのみ当てはめるのではなく、ほかの場面においても当てはめてみて──考えることです。」

"美沙さんとは、尊重と尊敬をベースとした健全な人間関係を築くことができた" ⇒から⇒ "ほかの人との間でもそうした関係性を築くことができるかもしれない" 、そう考えてみてください。」
「もし今後浮気を打診されたとしても、これがあれば、思いとどまるストッパーになってくれるはずです。」

『……ありがとうございます。』『頑張ってみます。頑張れそうです!』
『……でも、美沙さんは、いまこうして教えてくださっていることを、どうやって勉強したんですか?』

「……自分で生きてきて、考え続けてきた結果です。」
「"自分とは何者なのか?"──常日頃からわたしは『中性/男の娘』という特殊な在り方を掲げていますが、活動を通して、そして何よりも自分自身の人生を通して、この命題と真正面から向き合ってきた自負がわたしにはあります。」

「例えば、いまこうしてXさんとお話をご一緒できているのだって、それはわたしたちが互いを相対化して認め合っているからではないですか?」

『…………。』

「わたしたちは、性別も、年齢も、趣味嗜好も何もかもが違うけれど、それでも、一緒にいることができる。」「それは、何もかもが決定的に違う中で、それでも、わたしたちの根底において通じ合っている"何か"の存在を感じとっているからだとわたしは思います。」「自身と他者を隔絶するのではなく、その"何か"を見出すことこそが、他者理解と尊重を育み、ひいては共生に繋がるはずです。」

「……Xさんには、今後わたしが辿ってきたものと同じ道のりを歩いてもらおうと思っています。」「その中で、きっと何かが起こるとわたしは信じています。」「ご一緒してくださいますか。」

『もちろんです!……本当にありがとうございます。』『今日教えていただいたことも、一生懸命、頑張ってみます。』

「ありがとうございます。また次回、進捗を教えてください。」

フローの再検討/再構築

電話をした後、適宜DMでやり取りを続けつつ、2回目のヒアリングの日程を決定しました。

2回目のヒアリング当日までの間に、わたしは今後Xさんをお支えしていくうえで必要となるであろうステップと工程を洗い出し、Xさんを導く最終的なゴールを明確にしたうえで、図表の形に整理しました。本記事冒頭で提示した図表がこれに当たります。

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この全工程を完了するまでには、最低でも合計6回のヒアリングが必要になると概算しました。
そしてここで、1回1回のヒアリングで確実にステップを踏んでいくために、Xさんとご一緒する際の1日全体のフローの見直しをする必要が出てきました。見直し後の変更点として、わたしからアドバイスを提示するだけではなく、加えて毎回具体的な課題を与えることとしました。

各ステップと工程の洗い出し、そして課題の内容の設定においては、自分自身の体験とその記録を判断材料としました。

いま現在Xさんを蝕んでいる心理的/身体的な諸症状が、以前の自分自身が経験したものと部分的に重なっていること。そして何よりも、わたしが与えたアドバイスが現時点である程度の効果を発揮していること。

自分自身のケースとXさんのケースを、別個の事例として捉えるのではなく相対的に捉え、抱えている問題の内容は違っていたとしても、その回復と向上のアプローチには根底において通じるものが存在しているのではないかと考えました。わたしの経験をXさんをお支えするために役立てられるかもしれない、その可能性に賭けてみたいと思いました。

《【見直し後】Xさんとお会いする際の1日全体の流れ》

①お会いする
  ↓
②現状の確認
・いま悩んでいること
・逸脱行動や問題行動の有無
・その他共有しておきたいこと 等をヒアリング
※プライバシーに配慮し個室環境を整備
  ↓
③アドバイス/指針の提示
  ↓
④【NEW】課題の提示

  ↓
次回の日程調整
※約1ヵ月後を想定
  ↓
    ~
  ↓
次にお会いする日の3週間前までに電話
・前回のアドバイス/指針の提示を受けての経過観察
・再度の現状確認 等をヒアリング

  ↓
①に戻る

リストカットという行為について。

その後、2回目のヒアリングの日を迎えました。
前回の成功体験のおかげか、Xさんも元気にお越しくださって嬉しかったです。

改めて現状の確認をしたところ、現在は特に取り立てて困っていることがなく、この日はXさんが話したい/共有したいことを自由に挙げていただきながらお話を伺いました。その中で、非常に示唆的なテーマが提示されたためここに記します。

リストカット、という行為について。

『最初は、違っていたんです。』
『最初から手首を切っていたわけではなくて、リストカットをするようになる前は、自分が抑えきれなくなったらそのとき自分が一番大事にしていたものを壊していたんです。』『壊れたそれを見て、ハッと我に返るというかすっきりするというか……。』
『でもあるとき、壊したいものが周りから全部なくなってしまって。手首を切るようになったのはそれからです。』

『でも、普通親って気づくじゃないですか。自分の子どもが手首切ってたら。』『わたしの親、一切気づかなかったんですよ。』『なんで気づかないの⁉一体どこまでやったら気づくんだろうって思って。』『それで一回、デザインナイフを使ってリストカットしてみたんです。深く切りすぎて血がドバドバ出てしまって、……結局なんとかなったんですけど、あのときはさすがにこのまま死んじゃうかもって思いました……。』

このリストカットについて、巷でよく言われている対処法があります。
曰く、手首を切りたい衝動に駆られたときはその代わりに氷を握りしめる。思いっきり叫ぶ。紙を用意してビリビリに破る。そのようにして気持ちを落ち着かせる。

しかしながら、彼ら彼女らからしてみれば、この対処法はおそらく壊滅的にセンスがない。そしてこれを実際に試してみたところで、さしたる効果は認められないように思います。

なぜ手首を切るのか?ということに関しては、実際のところ彼ら彼女ら自身もその理由を正確に把握できてはいないのではないでしょうか。

彼ら彼女らは自分自身を説明するための"ことば"を持っていない
このことが、この問題の理解と対処を困難としている一番の要因ではないかとわたしは考えます。

当人は否定するかもしれませんが、本当は、本当の本当は、手首なんか切りたくないはずです。なぜ切りたくなるのか、切ってしまうのか、切ると治まる理由も、自分が何をしたいのかも、生きたいのか死にたいのかさえ、自分自身でも"わからない"。その胸中には混沌とした、混濁とした、声にすらならない声がある。それを、誰かに気づいてほしい。

だからこそ、傷痕が残ることが重要なのではないでしょうか。

"ことば"を持てぬ故の自己の定まらなさと、他者との関係性における孤立、不安、恐怖……。その他幾重の苦しみが噴き出す行為があるいはリストカットなのであって、その声に耳をふさぎ蓋をするような真似が果たして対処法足り得るのか、わたしは疑問に思います。

課題ノートの作成/課題の提示

ヒアリング後は、第1回目となる課題の提示を行いました。

「先日もお伝えしましたが、今日からヒアリングのあとに毎回、次回までに取り組んでいただきたい課題を提示しようと考えています。」

『はい。楽しみにしていました。』

「ありがとうございます。では……、まずはいまからノートを買いに行きましょう。」

一緒に文房具屋さんを訪れ、Xさんが気に入ったデザインのノートを購入していただきました。軽い散歩がてら、Xさんも良い気分転換になってくれたようでよかったです。持ち運んでもらうことを想定していたため、大き過ぎないサイズの一冊を選んでいただきました。

せっかくなので、Xさんにはノートに題名をつけていただきました。

Man in the mirror.──変えるのであれば、まずは鏡に映る自分から。
非情に示唆的で、美しい題名であったと思います。

「──では、ノートを購入していただいた理由と課題の内容の説明を行いますね。」
「ノートを用意した理由としては記録のためですが、その内訳は2つあります。1つは、課題に取り組んでいただく際の内容と結果の記録。そしてもう1つは、今後ご一緒していく中でのXさんの経過を記す記録です。」「後者については今後の話になるので、いまは置いておきましょう。」

「次に本日の課題ですが……、」「まずお聞きしますが、Xさんのお友達や、そのほかご自身がお世話になっている方の人数を軽く挙げてみていただけますか?」

『……大学には友達が1人だけいます。高校時代の友人も入れるともう何人か増えると思います……。』『あ、あとお世話になっている方だと楽器の先生も。』『こんな感じでしょうか……。』

「ありがとうございます。」
「今回の課題として取り組んでいただきたい作業は、その方々と改めて連絡を取っていただく、というものになります。」「直接でも、オンラインでも、その形態は問いません。ですが、その際に必ず相手に伝えてほしいことが2点あります。」

  1. 普段は恥ずかしくて言えない感謝の気持ち

  2. 今後、その相手とどのような関係性を育んでいきたいと思っているのか

「これを、恥ずかしいとは思いますが頑張って伝えてみてください。」
「そして、その結果をこのノートに記録していってください。」

・相手の名前(ニックネーム可)
・関係性
・会った or 連絡を取った日付
・自分が相手に言った/送った文面
・相手からの返事/返ってきた文面
各種項目を設定し、これに沿って結果を記録していただくこととしました。

"わたし"と向き合ったあとで、他者と向き合う。

「Xさん、この課題の目的はわかりますか?」

『……わかるような、よくわからないような感じです。』

「では、先日の電話でお話したテーマを覚えていますか?」

『……自分と向き合う、こと?』

「その通りです。」「そして、自分と向き合ったあとは、今度は他者と向き合う作業が必要となるとわたしは考えています。」「その中で、他者との関係性の中における自分自身の存在がより明確になっていく。」「この課題は、それを体験していただくために考案しました。」

『他者と向き合う……。』

Xさんはどこか不安気な様子でした。
それを少しでも解消できればと考え、この日は特に時間をかけてXさんと向き合い、ことばを交わしました。

『実際に気持ちも軽くなったし、いまはメンタルも落ち着いているから、きっとこのままいけば大丈夫だとは思うんですけど……、』

「……漠然とした不安がある?」

『はい、先行きが不透明というか、向こうに灯りが見えて進む方向はわかっているけど、道が見えづらくて足元がおぼつかないというか……。』

その不安はもっともであることと、それに寄り添えるようわたしが全力を尽くしお支えしていくことを一番に強調しお伝えました。
そして、いままでご一緒してきた中で現時点で少なからず明確な効果が得られていることを再確認し、

「だから、Xさんは大丈夫です。」

心から、このことばを伝えました。


「狙いは先月と同じです。見えなかったものを見るようにしよう、ということ。」「この課題を通じて、眼差す対象を自分自身だけではなく、今度は他者にも広げて考えてみてください。」「また、この課題で対象とする相手としては、会った全員をその対象とする必要はありません。言いたい人にだけ言ってください。伝えたい人にだけ伝えてください。書きたい人にだけ書いてください。」「つまりは、愛する and 愛されるという関係性だけではなく、愛する or 愛さないという関係性についても考えてみてほしい、ということです。」

「中核となるテーマは、つまり、愛です。」
「でも、無理に愛さなくてもいい。」「自分のことを愛せるようになり、その基盤の上に立って他者を適切に愛せるようになれば、拓けていくものがあると信じています。」「頑張ってみてください。」

「最後に。」
わたしは、前回と同様の質問をXさんに投げかけました。
「今日、なぜわたしがここに来たか、わかりますか?」

『……うーーん、、あれですよね、』『えーーと、』
「大切に想っているから。」
『……はい。』

Xさんをお見送りする頃には、既に日はすっかり落ちてしまっていました。

3ヵ月目

好転の予兆

受動ではなく、能動として。
客体ではなく、主体として。
"わたし"がいまここに存在していることを、明確に自覚する。鮮烈に理解する。

だからこそ、あのとき、"わたし"から願いが溢れ出してきたことは必然であったと言えます。

それがたとえほんの一部分であったとしても、心が変わる。根幹が変わる。
"確信"は複数の形に派生しながら"わたし"の根幹に注ぎ込まれ、在り方に多大な影響を与える。それは形を纏い、やがてあなたの表層まで浮かび上がる。

それは見過ごせないほどまでに色を濃くするから、誰かが目ざとくも見抜く──。



数日後、深夜。
Xさんから突然DMが届きました。

『夜分にすみません、とても嬉しいことがあったので共有させてください!』
Xさんの方から連絡をくださるのはとても珍しく、驚いたことを覚えています。

『彼女は高校時代の親友なのですが、さっきこのラインが来て。』
『彼女がそう思うほどに、自分自身が変われていたんだなってわかって、嬉しかったです。』

すぐに、こちらからXさんに電話しました。

「ご連絡ありがとうございます。本当に……、本当によかったですね。」

『ありがとうございます。夜遅くに申し訳ありません……。』『でも、めちゃめちゃ嬉しくて。』『ちゃんと変われてるんだって実感できて、嬉しいんです。』

Xさんの声は明るく弾んでいて、わたしもまるで自分のことのように嬉しかったです。

「だから……、言ったはずです。」「Xさんは大丈夫です、と。」

断言する危険性もわかってはいましたが、しかしながらここは言わなければならない、そう感じました。

「ご一緒する中で、Xさんにはわたしと同じ道を歩いてもらおうと思っている、以前そうお話しました。覚えていますか?」

『はい。』

「だから、なのでしょうか…。」「振り返ってみると、今回こうしてXさんの身に起こったことと同じことを、過去にわたしも経験していた記憶があります。」「この奇妙な一致に、いま、わたしは得も言われぬものを感じています。」

ここで、わたしはXさんにとあるnote記事を提示しました。

持論となりますが、1人の人間が変わろうとする際には、それを『受け止めてくれる誰か』の存在が -つまり他者の介在が- 必要不可欠となってくるのではないでしょうか。

引用:2021/2/6 公開記事
【✉DM文通企画 with 柏野美沙】質問:『どうしたら三日坊主を治せますか?』に答えます。

カミングアウトをする。
そのことで一体何が起こるのか、自分がどのように変わっていくのかなんて、やってみるまで全くわかりませんでした。

なぜならば、その人の行動に色を与えるのは主に他者の役目だからです。
その人の行動に対して、肯定的/否定的な評価を与えるのは他者の役目だからです。

《中略》

そうやって周りからのフィードバックを貰ったときに初めて、わたしは"わたしが起こした行動には価値があったんだ"と信じることができるようになりました。

そしてこの経験に裏打ちされた小さな確信は、その後自己受容感/自己肯定感と呼ばれるような大きな基盤へと成長していくと共にわたしの根幹に内発的な動機付けを根差しました。

わたしたちは、大なり小なり集団の中で生きていく社会的な存在です。
それ故に、関わりの中で他者の介在を受け入れてあげることで自分なりの考えや方向性をしっかりと定めることができるようになります。相対化して考えることを通じて、自身の在り方を確立することができるようになります。

つまりは、他者の存在によってのみ"わたし"という存在は決定される。
わたしはそう結論づけています。

引用:2021/2/6 公開記事
【✉DM文通企画 with 柏野美沙】質問:『どうしたら三日坊主を治せますか?』に答えます。

「──わたしは、別にカッコつけようとか、いいことを書いてやろうと思って、こんなことを書いていたわけではないんですよ。」「カミングアウト以降のこの活動の中で、自分の足で歩き、自分の目で見て、小さくとも確かな"世界"というものを自分の身体で経験し考察した結果として、そうとしか書けなかったから、これを書いたんです。」

「……つまりは、"ことば"とはこのようにして理解するものであるとわたしは考えています。」

言葉の字面だけをなぞっただけで、それが持つ意味の全てを理解したような気持ちになってしまってはダメです。
この言葉は一体どういう意味なんだろう。何を表しているんだろう。何を伝えようとしているんだろう。
自分なりによくよく考えて、落とし込んで、そしてその言葉の通りに"行動・実践"してみる。
そして、まさにその言葉通りに自分の周りの世界が変わっていく様をまざまざと見せつけられたとき、人は本当の意味で言葉の意味を理解する。

引用:2019/10/15 公開記事
女性の格好で暮らしてきた6年間の全てを「自分史年表」にまとめました。

「Xさん。」
「わたしはずっと言ってきました。」「ずっと、ずっと言ってきた。」
「どうか、わたしのこの"ことば"を、自分ごととして受け止めてください。」「自分に向けられた"ことば"であると考え、その本質的な意味合いを考えてください。」

『……わかりました。』
『最近……、美沙さんの話す言葉の意味がわかるようになってきている気がして、嬉しいんです。』『もちろんいままでもnote記事は全部読んでいたのですが……、いまはちゃんとその意味を自分の中で咀嚼できているというか。』
『だから、これからも頑張りたいって思います。』

「ありがとうございます。」
「課題を始める前に既にある程度成果が出てしまいましたが、今回の課題を通じて、他者との間でこういった経験をたくさんしていただきたいなと思っています。」「段階を踏みながら、まずはより近しい他者と向き合ってみましょう。これは例えばわたしとXさんとの関係性であったり、今回のお友達とXさんとの関係性であったり。」「この関係性のことを、わたしは"わたし"と"あなた"の関係性と呼んでいます。」
「これを経て、次はより広い範囲の他者と、例えば学校の知り合いや友達と、そして先日おっしゃっていた楽器の先生などとも関わり、向き合ってみてください。」
「次回お会いするときに、課題ノートの記録を読むことを楽しみにしていますね。」

『はい。』『ばっちり書いてきます!』

電話を切ったあと、しばらくの間高揚が収まりませんでした。
……これは好転の予兆だ、そう確信しました。

懸念点

しかしながら、この頃のXさんの挙動について心配に思う点もありました。

DMのやり取りをしている中で突然、数日~一週間程度返信がぱたりと来なくなることが何度かありました。通常の関係性においてはそうしたことがあってもそこまで気にしませんが、Xさんとの関係性においては「何かまたご家族/交友関係等の中でトラブルがあったのだろうか」「メンタル面のバランスが急に崩れてしまったのだろうか」とその度に気を揉んでいました。これについては、以前に実際Xさんが一度音信不通になってしまっているという点も多分に影響していたように思います。

Xさんとご一緒する日程を確保しつつ、ヒアリングに際する事前の想定や、その他課題の準備等も進めながら連絡を待っている身としては、例えばお互いの日程調整をしている中で突然音沙汰がなくなってしまったときなどは少なからずストレスを感じました。

こういったことについては、角が立たぬよう、お会いしたときに口頭で注意とお願いを伝えていました。

単語や単文でもいいから、返事をくださるとわたしは安心すること。
返事がしづらいのであれば、例えば、DMに対してマークで反応するという手もあるよね、ということ。
日程がまだわからないのであれば、わかるまで一切返信をせず放置するのではなく、「まだわかりません」「〇日までにはわかると思います」と言ってくださるととても嬉しい、ということ。

このわたしのお願いに対して、Xさんはしっかりと耳を傾けてくださり謝意も伝えてくださいましたが、この3ヵ月間、なかなか改善は見られませんでした。

ときに、Xさんのことばと行動の軸が大きくぶれてしまうというこの点を、わたしは懸念していました。

第三者との共生

その後、再び第3回目のヒアリングをご一緒する日を迎えました。

『今日は、お話したいことをいっぱい持ってきたんです!』

お会いして開口一番、Xさんは笑顔で言ってくださいました。その姿がとても眩しく見えたことをよく覚えています。

「……変わりましたね、Xさん。」

わたしは、1人の人間がその内的な在り方を変容せんとする場面に、自分はいま立ち会っているのだということを自覚していました。
その過程において、その人の目がどのような色を湛えるのか、その人の表情にどのような情緒/情動が表れるのか、その人の"ことば"がどのように編み込まれ形作られていくのか、その光景を正に目の前で見ていたから。

『いままではお話していた通りの散々な状態だったので、学校の単位が全然取れてなくて、この間学生課の方と一緒に時間割を組み直してもらったんですけど……、』『そのときに、声が明るくなったって言われました。』『単位がほんとにヤバイ状態だからもっと深刻にならないとダメだよって、もちろん冗談交じりにですが、注意されちゃいました。』『でも、嬉しかったなぁ。』

『あとは、いままで全然話したこともない同級生から声をかけられました。』『最近かわいくなったねって言われて、そんな自覚なかったから、ちょっとびっくりしました。』『ぶりっ子みたいになってないかなって心配なんですけど……、大丈夫ですかねっ??』

『授業が終わって、移動教室のときに空を見上げて、いい天気だなぁって思ったりすることが増えました。』『思わず写真も撮ってしまって、そんなこと、いままでしようと思ったこともなかったから、自分でも驚いています。』『美沙さんにも見てほしくて……、これなんですけど。』



Xさんの視野が、広がっている。お話を聴きながらそう思いました。
構造的な思考に立脚し自分自身と向き合った結果、いまおそらく、その思考のベクトルが外の世界を指し示そうとしている。

それを示すかのように、課題ノートもXさんの綺麗な字でびっしりと埋め尽くされていました。

"わたし"と精一杯向き合った先に見えてきたのは、"あなた"という存在でした。
自分自身を見つめて、認めて、愛して抱きしめてあげたら、他者であるあなたとも向き合うことができるようになりました。

あなたのことが見えたんです。
あなたのことがわかったんです。
だから、「もっと知りたい」って、そう思ったんです。

《中略》

"わたし"の先には"あなた"が居る。

《中略》

考えてみれば当たり前のことです。
ごくごく当たり前のことなんだけど、自分自身の身体と経験で理解するまでは"本当の意味"では理解できていなかった。

引用:2020/12/19 公開記事
【2019年~2020年 総括note】「わたしは、生物学的には男性です。」-"中性"として生きた中でわかった1つのこと-

世界は、当人の中で段階を経ながら拡張していきます。

その中でも最小のものは、"わたし"を囲う空間のこと/構造のことを差します。再三に渡って申し上げている通り、この成り立ちを自分自身の頭で構造的に考えないことには、我々は永遠に囚われの身と成り果て、自分自身の存在にすら気づくことができません

"わたし"と向き合った次に見えてくるのは、"あなた"と共に在る世界。

※画像をクリック or タップで拡大

ここで言う"あなた"とは、例えばXさんにとっては柏野美沙という存在や、フィードバックをくれた友人といった存在のこと。自分自身にとって重要な意味合いを持つ相手から、"わたし"という構造的存在を承認してもらうこと──すなわち、"わたし"と"あなた"の関係性を構築すること──を通じて、自己愛/自己肯定感の基盤を育んでいくことが可能であると考えます。
ここからさらに歩を進めていくと、その先にはより多くの"あなた"が居る(居た)ことを、"わたし"は初めて知ります。これは、Xさんで言えば学生課の職員さん、そして、初めて声をかけてくれた同級生。
"わたし"を自覚し、"わたし"を認め、その"わたし"を以って、より多くの他者と実りある関係性を築く。この過程と変遷のことを、わたしは第三者との共生と呼んでいます。

ここまで思考が至れば、自身と他者を相対化して考えることが可能となります。

他者と共に生きるということは、互いの違いを知ること、すなわち相容れない部分と直面することを意味します。
それでも、だからこそ同時にそれはとても充実した営みになるのではないかとわたしは考えています。

《中略》

あなたとわたしは違う。

社会とそれを構成する人々の中で、それを心から理解し、それでも共に歩むための最適解を見つけること。
それが"生きる"ということだとわたしは学びました。

引用:2020/12/19 公開記事
【2019年~2020年 総括note】「わたしは、生物学的には男性です。」-"中性"として生きた中でわかった1つのこと-

"あなた"と"わたし"は違う。

このことを心から理解し、自身と他人を相対化して捉え、その間に境界線を適切に線引く。この作業が態度という形で表されたそれを、つまりは"尊重"と呼ぶのではないでしょうか。

相対主義をあまりに突き詰めてしまうことも問題かとは思いますが、実際的なバランスを保ちながら、他者の存在、そしてひいては世界の構造を"知ろうとする"態度が、生きていくうえでは必須となるであろうとわたしは考えます。

そしてこの日、わたしはこれをXさんに促し、ご一緒するためのとある課題を用意してきていました。


「──今日は、Xさんに読んでほしい本を持ってきました。」
「エーリッヒ・フロムという方を知っていますか?」

『いえ、知りません……。』

「ドイツの社会心理学者、哲学者です。1980年まで生きた方で、既に亡くなっています。」「その著作の中から、この1冊を読んでいただきたいと思って持ってきました。」

『……愛するということ……。』

「取り組んでいただきたい今回の課題は、この本を読んで、自分の心に響いてきた箇所の文章を課題ノートに書き写していただく、という作業になります。」「ただ、本書の全てを読んでいただく必要はなく、100ページ目まで読んでいただき、課題に取り組んでみてください。それ以降のページを読み進めていただく必要はありません。また、途中の「神への愛」の部分も、込み入った話になるので読み飛ばしていただいて構いません。」

『……わかりました。頑張ります!』
『美沙さんの言う通りに頑張っていけば、この間みたいにまた何かが起こるんですよね……!?』
Xさんはこの課題に少なからず戸惑っていたようにも見えましたが、力強いお言葉をいただけて嬉しかったです。

「わたしは万能ではないので、まだどうなるかはわかりませんが……、それでも、責任を持ってXさんに寄り添っていきたいと思っています。」「でも、そう言っていただけると、期待していただいているのかなと思って本当に嬉しいです。ありがとうございます。」


──わたしは、表現者たるもの、自分自身の表現を"説明する"ことができなければならないと自身に課しています。
しかしながら、これは何も例えばその表現の意図や技法について徹頭徹尾言葉を尽くさなければならないということを言いたいわけではなく、何らかの形でそこに再現性を担保さえできればよい、という考え方に基づいています。

自分自身の"表現"と、それが拠って立つ基盤/思想/哲学。そして内包する"ことば"が、信用に値するものであると保証する

Xさんとご一緒した全期間において、わたしはこの責任と真摯に向き合い、実直にこれを果たしてきたことを此処に誓います。



課題の説明を終えたあとは、Xさんと一緒に少しだけ散歩をして帰りました。

一緒に歩きながら、Xさんには写真を撮っていただきました。

道端にあるお花、
目に留まった街中の景色、
上を見上げれば大きく広がる空と雲。

ご自身が撮りたいと思ったものを、そのお心のままに撮っていただきました。それを見返しながら、これ可愛いね、この写真の雰囲気もいいね、って感想を言い合ったのも楽しかったです。

重ねて、こうして身の回りの世界に対する感覚と意識を持ち、それを日々磨いていくことを忘れないでいてほしいです、ということをXさんに改めてお伝えしました。

常に、あらゆることを考えて生きていこう。

心の存在を意識すること。
魂に輪郭が与えられる瞬間をこそ、意識すること。

世界に対して意識的になり、その事象が、その変化が、一体どのような意味を持つのか思索を巡らせることが何よりも大切。
そして、果たしてそれはどのような"ことば"で言い表せるのだろうかと考えてみよう。

「生きること。大人になること。」「誰も教えてくれないんです。教えてくれないんだよ。」
「それでも、学ぶことはできます。自分の頭で、考えることはできます。」「いや、考えなければなりません。"人間"という形として生命を謳歌するためには、それができなければならない。」

「最後に。いつもの質問です。」
「今日、なぜわたしがここに来たか、わかりますか。」

『……わかってます、わかってるんですけど……。』『ちょっと口にするのが気恥ずかしいです……。』『ごめんなさい。』

「大丈夫です。わかっていてくれさえすれば、大丈夫。」

精一杯のことばをお送りして、この日はお別れしました。

帰り際、
『今度は、電話できる日程も、来月お会いできる日程も、きちんと連絡しますね!』Xさんはそう言ってくださいました。

それが、とても嬉しかったことをよく覚えています。



途絶

翌日。
改めて、昨日のお礼をしたためてXさんにDMをお送りしました。

課題に込めた意図。いつも熱心に話を聴いてくださること、課題にも真面目に取り組んでくださることへの感謝。現時点で、Xさんをお支えする工程のちょうど折り返し地点に居ること。今後はわたしから教えられることはおそらく段々と少なくなっていくであろうこと、それを寂しくは感じるけれども、同時にとても嬉しく思っていること。最後に、心からの励ましのことばを添えました。

直後、すぐにXさんから返信が来ました。
その文中、『残り半分の期間、1日1日を大切に過ごしていきたいです。』という前向きなことばがとても嬉しかったです。

返すDMで、「電話の日程もお待ちしています。」とお送りした以降、


Xさんからの返信がぱたりと途絶えました。


いつもであれば数日~一週間程度で返信を頂けるためそのままお待ちすることにしましたが、今回は3週間以上が経過しても音沙汰がないままでした。

さすがに、これはおかしい。

音信不通の期間がこれほど長く続いたのはあの冬以来なかったことで、今度こそXさんの身に本当に何かが起こったのかもしれないと強い不安を覚えました。
催促を送ろうかとは考えましたが、仮にこの悪い予感が的中していた場合、不安定な状態にあるであろうXさんのメンタル面のバランスをさらに悪化させてしまう可能性もあると考え、しばらくの間はわたしも動こうにも動けない状態が続きました。

しかしながらさらにそのまま数日が経ち、もはや埒が明かないと考えたわたしは、Xさんに電話をかけてみることにしました。

夜、時刻は23時頃だったと記憶しています。

緊張の面持ちでコールボタンを押し、Xさんが電話に出てくれることを祈りました。
が、コール音が虚しく鳴り響くばかりで、それに引きずられるようにわたしの気持ちも沈んでいきました。

発信を切り、諦め混じりに宙を見つめて、どのくらいが経った頃でしょうか。
スマホが震え、Xさんからの折り返し着信を知らせました。


「もしもし──、」



前編 (終)

Xさんが抱えられていた問題は、わたしが想定していたものよりもさらに根深いものであることが判明します。ここで、わたしは大きな試練を迎えることとなりました。

後編記事では、Xさんをお支えした後半3ヶ月間の記録を引き続き綴るとともに、責任/主体性/人間の在り方、そして人生について論じます。

また、この180日間の一連の経験を通して、いま、わたしには新たな夢ができました。後編記事の最後にてこれの詳細を表明し、結びとします。

後編記事の最後まで絶対に読んでいただきたいです。
何卒よろしくお願いいたします。

※後編記事は、2022年5月初旬に公開予定です。
※2022/5/7 追記:後編記事を公開しました。



柏野美沙

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